観光客の哲学
人間は人間を好きではない。人間は社会を作りたくない。(東浩紀)
そのあとのフレーズは「にもかかわらず人間は現実には社会をつくる。言い換えれば、公共性などだれも持ちたくないのだが、にもかかわらず公共性を持つ。」社会と交わりたくない、他人と会話をしたくない、人間がそもそも嫌いな人々が社会にあふれている現実。自分の心のなかに降りてみて、たとえば通勤の途上の電車の中や、職場の中を見てみると、これに類した現象がたくさんあるし、心模様に合致すること多いと思う。近代民主主義の元祖、ジャン・ジャック・ルソー「社会契約論」で一般意思は常に正しく、個人は共同体の意思に従うべきであるという考え方が200年以上にわたって流れている。最強は常識(という幻想)や法律(という人工利害意思)の発動で、個人にしてみれば、悪いこともせず、日常たんたんと生きる上で「邪魔・構わないで欲しい」ということが多い。
しかし、現代、世界中で流れている思潮は「疲れた個人が国境を越えて漂流し」観光客として漫然と歩いている。それを後ろ押しをする所得の増加、格安航空運賃の常態化もあるだろうが、「インバウンドは」は世界の潮流で平成15年度で約12億人、日本では2015年で約2000万人である。21世紀は観光の時代になるかもしれないと東浩紀さんは言う。観光客の特性は、読者も何度も体験はしていると思うが、「無責任である」「偶然に行動する」「彼らの視線が我々の日常に向けられる」「ふまじめである」そして価値観を「フラット化」(平坦化)する。フラット化された観光地の定番はショッピングモール、テーマパーク、大型家電、ドラッグストアである。同じ広告、同じブランド商品が並ぶ。これだけの大掛かりな人の移動が起きているのに、それの思想的な意味が語られてこなかっったのはのはなぜだと問題提起をしてるのが「観光客の哲学」という本。
たとえば、札幌市電の旧式の電車や汚いビルも撮影している、大好きなのは看板や動くカニ、さっぽろ雪祭りも大好きみたいだが、東南アジアの子供たちを見ていると、札幌駅前に雪を置いておけば、雪だるまを作り出して並べ始める。その風景を親たちがニコニコ顔で撮影している。ホテルの前でも薄汚れた雪でも大喜びだ。「自由さ」「奔放さ」「感情の発露」である。規則に縛られない、無責任かもしれない、偶然の行動かもしれないが、イキイキしている。イキイキするために世界中を観光しているのかもしれない。自国が息苦しいがゆえに。
日本の社会も、考えてみると他人の干渉(メールや電話、馬鹿丁寧な交通機関のアナウンス)に溢れている。ということは、いつでもどこでも観光客になって、外の自由な空気を吸いに出かけたい願望が強くなる。インバウンドだけではなくて、私たちがすでに観光客になってしまっている・・そんな気もする。功罪で考えると、自国ファーストにならないために必要なステップかもしれない。中国でも台湾でも韓国でも自分の国だけに自己完結しないほうが、平和は近づくと思うがいかがだろうか。
坊主の孫。
今やインバウンド(英語: inbound)と言われるようになって、久しいですね。「外から中へ入る、内向きの」の意味の形容詞で日本では訪日外国人旅行者のことですね。対義語はアウトバウンド(英語: outbound)国際線の航空機や船舶で、本国に向かう便。帰国便。または交通機関などが市内に向かうことですね。(あまり使われていませんが?)
外国から自国への観光客つまりインバウンドは「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」(平成14年)から始まったビジット・ジャパン・キャンペーンでよく使われるようになりましたね。海外から訪れる観光客の方々のインバウンド消費は今や日本経済の重要な部分にもなっているようです。訪問先で落とされるお金が地方経済を潤しているのは間違いないようです。我々が日常なんとも感じないものが実は海外から見れば非常に興味深いものだったり、不思議な光景であったりと意外な観光資源にもなっているようですね。これに似た現象は国内でも感じた事があります。それは北海道に住み着いて数年後に道産子の友人を連れて故郷の北陸に行った時の事です。石垣や土塀や瓦屋根や茅葺屋根など風景そのものに驚いていたのを思い出しました。また九州育ちの友人を冬に連れて行った時には多雪地帯の北陸の雪に大喜びで大はしゃぎでした。海外の人たちもそんな時刻とのギャップを期待して訪日するのでしょうから、近代化された都会よりも、伝統や日本独特の風景や人情などはもっと残すべきでしょうね。
seto
北海道からみて本州は異国に感じますよ。明治時代、アメリカやヨーロッパから来たお雇い外国人は、本国に帰った気分を北海道に感じたらしいので、これは大事な感覚ですね。インバウンドは世界中の現象でオーストラリアも中国、ドバイはアフリカの人たちで大混雑、中国は中国各地からの来客で人だかり。意外に旅をしないのはアメリカ人の中部地帯の人たち。閉鎖的な人たちかもしれません。モンロー主義のお国柄残ってて、トランプの基盤。観光に行って、ドルを落とすなんてとんでもないと言ってるかも。
ホランペッター。
今朝のTVでは車道のセンターラインに立って写真撮影や自撮りしている東洋系外人観光客が大勢いました。危険だと注意してもやめないようです。インスタ映えとかで盛んに写真をアップロードする若者たちが増えていますが、どこの国の若者も例外ではなさそうです。何でもセンターラインで風景を撮ると街路樹などがシンメトリーできれいらしいです。日本人に比べて対クルマへの危険度への認識が低いようです。日本では横断歩道でさえひき逃げされるくらいで、交通事故での死傷者が多いので滅多にしない行為ですね。これも「自由さ」「奔放さ」「感情の発露」としての偶然の行動かも知れませんね。日本の観光客も外国では似たような行動をとっているのかも知れませんが。
seto
事故(自己)中心主義ですね。