雑談あれこれ。
勤め先を見つけるのも大変ながら、いざ辞めるときもあれこれ思案しつつ、既婚者なら配偶者の了解を得ながら辞表を準備する。私の世代はほぼ終身雇用で、最初に勤めたところで合併はあっても雇用継続が続いている仲間が多いから、筆者みたく結婚後4回の転職は稀である。なんとか生き伸びてきたのも、転職先の人たちに恵まれてきたからで感謝・感謝。
家賃14、000円の道営の長屋住宅から新婚生活が始まり、29歳で貯金ゼロの筆者は親の援助がなければ式も挙げられない悲惨さであった。玄関を開けると5歩で居間が終わる狭さ。落語に出てくる長屋のほうが広いのではと思うくらい。雪国の安普請住宅で、地面の上にすぐ床を貼っていて超寒い。トイレはカビだらけ、娘は喘息になってしまった。これじゃダメになると思い、1年かけて中古住宅を探しをしていまに至る。道営は年収に応じて家賃が決まる。しかし、道営であっても見栄の張り合いは続いていて、相手より家賃が高いとなると、それは《私のほうの年収があなたの亭主より高いのよ!》という証明でもあるから少し自慢気。高価な電子レンジでも買った家があると、皆で集まり試食会。ミキハウスブランドを子供に着せて自慢する主婦もいる。元学校の校長先生も住んでいたり、カトリック信者のモデルのような奥さんが子育て4人をしながら、グダグダ亭主と住んでいたり、電報配達人の夫婦が自分たちがパチンコしている最中に子供を交通事故で亡くして、さらにパチンコにはまっていく夫婦もいた。円山動物園で土木の仕事をしていて、深い穴に入っているとき土砂が崩れて亡くなった人の葬儀にも出たが、地区会館の会場には親会社の社員が10人も来たが、多忙を理由に顔だけ出して、すぐに誰もいなくなった。長男の悔しい顔が忘れられない。自分の父親の事故死を余りに軽く見られただろうと思う。トラックの運転手もいたが、隣町で通行人をはねて死亡させた人もいた。公務員ながら、自分の戸建てを長男夫婦に譲り、自分たちは道営に住む人たちもいた。ベニヤ板1枚の壁なので、隣の夫婦ケンカも筒抜け。電車の清掃の仕事をしているおばさんがいて、毎日ケンカ。ある日、《助けてくれ》と飛び込んできたこともある。結局、離婚したけれど。
しかし、話はこれでは終わらず、一戸建てに住もうと、高級住宅街であろうとマンションであろうと事情は似たりよったりであるということ。お金が残れば財産取り合い始まり、パチンコ狂いで近所に金策走る主婦もいるし、消防車やパトカーが突然、ある住宅前に止まることもある。夫が刃物を持って妻への脅しで警察に電話をするお金持ち家もある。普段は大人しい男なんだけどね。出来事や事件のない家はどこにもなくて、探せば出てくる出てくる滑稽から人情話や人生の悲哀や欲の突っ張り合いや性犯罪。これがなければ弁護士さんも失業してしまうかも。長屋なら、「ちょっとここに来なさい!」と諭して解決に持っていくお節介屋さんがいたものだ。小さなことから芽を摘める賢者がいたが、いまはいったいどこに?他人様のゴタゴタに首を突っ込んだりせぬよう、自己防衛しているのだろうか?もったいない。
坊主の孫。
先日の事件で夫婦喧嘩の仲裁に呼ばれた知り合いの男性が夫に家族全員と一緒に殺害されました。こんな凄惨な事件の後のマスコミのインタビューには必ず近所の人が登場して「仲の良い家族でしたよ」と答えています。実は端から見て幸せそうな家族とは?世間体を重視する演出であり、外面でしかないのです。余程の札付きの悪でもないかぎり、どこの家庭も幸せ家族を演じていますね。我が家など、悪ガキばかりで毎日怒鳴っていますが、近所の歯医者さんのご主人に「お宅は三世代家族のお手本ですね」?などと言われ他ことがありますよ。
seto
どこの家庭も幸せを演じているのは本当ですね。どこの近所も似たりよったりで、極端な話、アメリカの管理職やサラリーマンはなぜ自分のデスクに家族の写真を置いて、(私は家族を一番大事にしているんだぞ)と他人へアピールしているのはなぜでしょうか?そして離婚率50%。もう建前のせかいです。犯罪の種は家庭や親子関係から植えられているのかもしれないとも、例の宮崎の殺戮事件を見て思うし、近所の人も本音言えず(ケンカが四六時中絶えなくて・・・)、飛び火してこないようインタビューに答えているだけではと思います。
昔の少年。
結婚当初、まるで長屋のように中庭を挟んだ南北に二棟の二階建てアパートに住みました。大工の棟梁の家族や、障碍者夫婦やらいろいろな家庭がありました。冬季五輪で私の住む南棟のところに道路が出来ることになり立ち退き料20万円ほどを貰って、斜め前の一棟二戸建てに引っ越しました。篠路の農家の大家さんで収穫期には玉ねぎやトウキビを大量にいただきました。夫婦喧嘩で妻が投げつけた大きな八朔をヒラリと避けたとたんに室内扉のガラスが割れました。隣に聞こえたのでしょう。翌日、隣の主人がガラスを入れ替えてくれていました。お隣は放送局を退職した老夫婦で喧嘩など聞いたことがありませんでしたが、若い私たち夫婦はよく喧嘩しました。実家が遠い本州ですから夫婦喧嘩くらいで帰るところが無いと、家庭を顧みない私の勝手な思い込みでしたが、ある日帰宅すると妻が子供二人を連れて居なくなっていました。何気に電話台のメモ帳に目をやると興奮して書いたのか筆圧で引っ込んだような痕跡の白紙がありました。デザイナーの私はおもむろに濃い鉛筆の芯で表面をこすりました。すると見慣れない電話番号が白く現れました。早速架けてみると、意外にも近くの旅館が出ました。迷わず迎えに行くと妻と子供たちは驚いていました。その日は家の近くの旅館に泊まって翌朝みんなで帰宅しました。こんな夫婦の危機は何度かありましたね。殆ど私のわがままな行動が原因でした。仲の良い夫婦などこの世に絶対居ないと、今でも思う私です。
seto
仲のいい夫婦は奇跡ですね。たぶん、愛より尊敬するところがないと、普通の夫婦は仲良くはなりませんね。外に向かって仲がいいというのは、世間体で言ってるだけで、どちらかが我慢していると思いますよ。お互い、尊敬し合うという夫婦も、これはこれで気持ち悪く、口げんかしてるほうが正常のような気がします。ケンカが絶えるのは、どちらかが死んでるときですね。
寡黙主義者。
「兄弟(姉妹)は他人の始まり」と言いますね。それぞれが所帯を持つと、連れ合いへの気遣いから本来の性格さえも変わるものです。変わるものと言うより、正確に言えば変えるものです。お互いに自我を通せば喧嘩ですし、それが原因で離婚なんてことにもなり兼ねませんからね。兄弟姉妹の関係は次第に離れて行き、付き合いさえしなくなりますね。夫婦は所詮は他人ですから育った環境の違いから考え方も習慣も大きく違いますから円満に暮らすには、双方いずれかの努力が必要ですよね。僕の対処法は「寡黙」です。
seto
円満に暮らす一番は、孤独に慣れることですね。「寡黙」もそうかもしれません。
ホランペッター。
北海道に来たての頃のお話ですが、6帖ほどの一部屋に男三人が同居しました。一人は同郷ですが頭の切れる男でした。もう一人は九州男児で親が居ないので幼い時から寺で育った男でした。僕は頭脳もそこそこで飽きっぽい性格でした。三人は大阪で出会ったバンド仲間で、大阪のマンションの一室に暫く同居もした仲間でした。大阪の悪い環境に見切りをつけてギターと布団だけで真冬の北海道に疎開したわけです。到着したその日にアパート探しで見つけたのが6帖間でした。しばらくして落ち着いたのでアパートの部屋でお得意のバンドの練習をしました。エレキギターとベースにアンプとボーカル・マイクとドラムです。「じゃぁ~ン!」と始めた途端に隣のトラックの運転手の主人が怒鳴り込んで来ました。当然ですね。板壁一枚のアパートでしたからね。それから練習場を見つけるために毎日ブラブラしている内に、ベースのリーダーが突然居なくなりました。やむなく解散を決め、狸小路の楽器店に楽器を返却しました。ローンの違約金5万円を自腹で払いスッテンテンになりました。寒いアパートで懐まで寒くなってしまいました。そのうち九州男児も女性と駈け落ちして本州に行ってしまい。僕一人が今も居座っています。隣の部屋とは険悪になりましたが、そのほかはいろんな人に助けられました。当時の北海道の人は温かかったですよ。
seto
いまは人情を解さない道産子も多くなり、困った島になりつつありますね。もともと貧乏な集団なのに、助け合わないと生きていけない環境、冬の厳しさは変わらないのに、妙に都会人ぶって、知ったかブッダ的な人々が多くなりました。むしろ若いときに関東や東京からやってきた50代の経済人のほうが人情を解しますね。さっぽろっ子の60代は共通の感性が残っています。すぐにわかります。言葉で分析したくてもなかなかできないのでなんと表現したらいいか困りますが。