見せびらかしの経済(9月6日の地震後)

Posted by seto

渡辺京二さんの『無名の人生』(文春文庫 156~157)に、ヴェブレン(経済学者)が引用されていて今の社会に見られる経済現象を(衒示の経済)(衒示とは見せびらかしの意)と命名した。富裕層は多くの贈り物をすることで自分の勢力(金や権力)を誇示した。その現象は大衆まで巻き込み大衆消費社会となり、今日まで続いている。誰もが消費することに血眼になって、消費物やサービスを受けるために金・金・金・金。出世や成功談の蔓延、自己実現や自分の才能の開花を目指すが、才能がたっぷりあっても磨く努力をしないと枯れるだけである。欲望は物がそこにあって発動する心理だ。ブランド物が何もない地域では、ブランド志向はあり得ない。必要最小限の物や事に満足していれば、現代の消費社会に飲まれることはなくて、わが道を生き切れるということでもあるが、果たして、小さなころから集団で同じような流行物に囲まれて、その話題についていかなくても平気のヘイさで『人は人、私は私』と念じながら生き続けるのは容易なことではない。

(見せびらかしの経済)とはよく言ったもので、人間が基本的に生きるために必要な水や米についてもいつのまにか水を買う、コメも銘柄で選ぶ時代になった。運動の後の水道の水をたっぷり飲んで十分美味しいし、水分補給もできるのに、スポーツドリンク飲料と命名された飲料水を買って飲む習慣(すべて習慣化すれば商機は勝ちである)に嵌る。いつのまにか、『○○は○○でないと嫌』人間を排出する羽目になってしまった。

パソコン普及のころ、MAC信者がたくさんいた。WINDOWS派をずいぶん小馬鹿にしていたと記憶する。広告制作ソフトがたくさんあって、自称少数派を自慢していたにすぎず、それを使ってどれだけ会社に貢献したかを考えると『単にMACを自慢、見せびらかしをしていた』に過ぎない。それも会社に100万円を超える本体&ソフトを買わせて威張っている。何でもアップルの最先端を追い続けている。あるときもう制作部は外注を使うからと廃部となり、営業に出されたらノイローゼ(懐かしい日本語)になり、退職願を出した。頭を下げる仕事はプライドが許さないのか。よくわからない。

『見せびらかしの経済』はどこか、他人に向かって顎を突き出してツンとする姿に見えないか?黄色いカブトムシの車、真っ赤なボルボ、黒のクラウン。好きだ嫌いだ以上に見せびらかしの心持が伝わる。育ち・学歴・企業名・肩書・収入額・グルメ。全部、それはその人の本質ではなく属性の一つに過ぎない。最近、美しく生きている人が少なくなってきた。それは顔にも所作にも出るからわかる人にはわかることである。特に男の顔にいい顔が少なくなった気もする。40歳以上の男たちである。いい男の顔って、筆者が想像する顔ってどんな顔と言われたら、ずるくない顔のことである。それ以上でも以下でもない。我慢する顔である。お前はどうだと言われたら「発展途上である」と答えることにしている。

  1. 自称プロデューサ。

    ブランド志向も一時の流行から変化して来ている。中高壮年層のこだわりと現代の若者たちの趣向との違いやギャップが起因していると思う。ルイ・ヴィトンやシャネルなど伝統的なブランド力は健在だが、これこそ見せかけのツールとしては格好のものばかり。クルマにしてもベンツやポルシェなどの所有は、大企業に限らず、中小の事業主たちの見せかけの演出ツールとしては手っ取り早い。それも競って大型の数千万ものクルマとなれば一目置かれると自身が思うからだ。しかし、それはブランド品そのものが確立したブランド力であり、その所有者に不似合いな場合も数多い。一方、若者たちはスポーツブランドに拘るケースが目立つ。小学校児童の間でさえ。理由は若い親が買い与え、校内で流行させているからで、週末にはスポーツ専門店に、そんな親子連れが大勢やって来る。大型スポーツ専門店ではこんな顧客の囲い込みに格好なLINEで情報発信していて、同趣向のスマホ年代層に向け、最新情報や特売情報など消費を促す広告戦略を展開している。見せかけブランドも、古典的とも言える伝統的ブランドとスポーツブランドに分かれて来たようだ。

    • こんな時代がいつまで続くやらって感じですね。私の予想はグーグルもフェイスブックもツイッターもウィンドウズもいずれ倒産する、アマゾンも世界中のトラック業界が「やってられない、運ぶのは」でいずれ無くなりますね。道路占有と極端なドライバー不足で本業ができなくなっているので、アマゾン自身が運輸会社を経営することになっても運転手がいません。スマホやパソコンで注文して、軽いダンボールで届けられますが、現在、ダンボール古紙をめぐる争奪が凄いことになってます。中国での通販の需要です。箱をつくるダンボールと紙需要で、林業関係も悲惨なことになってます。30年50年先の産業ですから。林業でも山から木々を下ろすドライバーがいません。とにかく運ぶ人が極端に少ない。飛行機の機長も65歳を超えてなお「頼むからもう少し操縦してくれよ」と言われています。格安航空会社の乱立からです。こういうことを考えて、自分が買ったり、乗ったりできているか、理解が遠くまで推理しているか・・・。そういうことです。「子供に刃物の時代です。」

  2. 我々は、田舎の谷川の水の味を知っている。それも日常で利用していた。当時サイダーやラムネしか無かったが、飲料水が数多く出回り始め、ついにはお茶に始まり、ミネラル・ウォーターと称した真水までが売られるようになり、現代社会では抵抗無く受け入れられている。その昔、我が子が幼い頃に東京にいる姉の子供たちを夏休みに田舎に呼んだ時の事。谷水の美味さを教えると、今度は大きな川の水まで呑み始めたのには驚いた。当時は上流で赤痢やチフスが発症すると学校で通達があり、川遊びが一切禁止されたりしていたからだ。それほど東京の水は不味かったに違いない。さて今売られている飲料水だが、意外にも東京都心の工場で水道水を原料に作られていたりするから驚く。不味いはずの東京の水を商品化していかにも健康的なミネラル・ウォーターとして世に送り出す企業も考えものだが、問題はそれを知らずに購入し続ける消費者だ。自前の札幌の水道水を容器に入れて一昼夜冷蔵庫で冷やせば、カルキの味も消え、立派な飲料水になる。それが証拠に、市内の一流ホテルでのイベントでホテルマンに聞いた事がある。「この水って美味しいけど?一体どうやって作るの?」と。彼曰く「水道水を冷蔵庫で冷やしただけですけど?」と。

    • 「清田の水」もコカコーラで出してます。清田は西友がオープンのときに下痢を起こした場所では?お餅を買った人に次々と下痢が出て(実は私も食べて少し具合悪くなった)あとで現金で返したら、買ってもいないのに遠くから金だけもらいにきた人が並んだ事件でした。この場所は昔、ミンクの飼育と屠殺の場所で地下水が濁ってたところです。この水のネーミングの鈍感さ(昔の事件を覚えている人がいないのか?)と私は想像します。水の採取場所は違うとは思いますが、水は地下で繋がっているものですからネーミングにデリカシーは必要だ思いますが、いかがでしょうか?

  3. 美しく生きるって難しいでしょうね。それは、きっと多くの何かを捨て去る事ではないでしょうか。例えば、ゴミ屋敷化した部屋と清楚なインテリアの部屋の違いでしょうかね。捨てられない性格の人。片っ端から容赦なく捨て去る人。両者のどちらも極端ですが、その中間辺りに僕たちはウロウロしている気もしますね。何も持たずに身体一つでこの世に誕生したはずが、生きる過程で身の回りにいろいろな物が増え(増やし)これまでの人生を顧みる時になって初めて気づく訳ですね。「自分は美しく生きて来れたか?」と。そして「もっと若い頃から美しい生き方を実践していれば良かった」とも。

    • 美は抽象的な概念(絶対的と言う人もいます)で、必ず身近にお手本の人がいるものです。それを真似ればいいだけではと思いますが、残念ながら身近にいない人は「探すしかない」。過去の人であっても、ひとりの人を追いかければ少しは似てくるかもしれませんね。私はお手本は亡くなった哲学教授です。晩年は自宅に行っても会ってくれませんでした。すい臓がんでしたが末期で、見せたくなかったのでしょう。私が大学を辞めるときも「退学届け」を自分の机の中に置いて事務局へは出していなかったと聞きました。何度もハガキをもらい復学を促してきましたが、返事せず後悔してます。岩波文庫カント「永遠の平和について」を翻訳しています。2冊買いました。

  4. ホランペッター。

    師走です。間もなく、一年間のゴミを処分する大掃除が待っています。一年間手つかずの書類や紙袋、机の引き出しの中身など、来年も使わないはずですから、何も考えずに捨てる事にします。一つ一つを見出せば切りが無く、想い出に浸り出すと捨てられなくなりますから決断は速く見切りを付ける事ですね。読まない書物は縛って階段下などに積みますが、これも今後読まないであろう物ならゴミ出しかリサイクルショップ行きです。現代で持つべき者はスマホとスッキリした空間くらいですね。果たして?

    • ボケ防止に何でも捨てず、残して思い出に浸るほうがいいぞと「文藝春秋」の先月号で五木寛之が書いてましたよ。

  5. 僕はMachntoshとWundowsの二刀流です。制作作業は殆どMacで、メールや事務系の仕事は便利なWinですね。バッグに入る15インチのMacには実はWindowsも使えるようにしています。重いPCを何台も持ち運ぶ必要もないですからね。お互いのメールも共有していて使い勝手はいいですよ。Macも中古しか買いません。新型は高価で、また直ぐにモデル・チェンジするからです。その点、中古は新品の半値以下でありながら機能は十分ですからね。そんな訳で僕はMacに限らずPCに必要以上にお金は掛けません。

    • 男はどうしても「形」や「物の揃え」から入りがちで、ソバ打ちも最初に道具揃えですね。私は使えればOK派でこだわりがわかりません。あればいいではないか・・・です。

  6. クルマ遍歴50年。

    勘違いされがちですが、僕は今ヨーロッパ製の輸入車に乗っています。一昔前には今話題の国産車ばかりでしたが?輸入車と言ってもグレードの低い、つまり一番安価なモデルばかりですが、それでも今では8台目になります。2年そこそこで乗り換えるからですが、2度ばかり長く乗った経験もありますが、数百万円のクルマも15〜16万kmも乗ればガタが来て、下取り額もオークションで15万円にしかなりませんでした。仕事で月に2000kmほどの距離を乗る僕は今のクルマも二年目で既に3万5千km超えです。さすがにガソリンも高騰していますから、今は軽油のディーゼル車です。なぜ?そんなに見栄を張るのか?と疑問に思われるのではないでしょうか。実は仕事先の関係です。本当に趣味で乗るのなら好きなグレードのモデルなのでしょうが、仕事の関係ですから最低グレードにしているわけです。それに比べ、同じオフイスビルの自称 I T 企業?の若い経営者の方はアウディの高級モデルのオーナーさんです。I T 企業って儲かるんでしょうね。きっと。

    • ITはインテリジェンス・テクノロジーの略ですが、50代60代のパソコン音痴やネット音痴の間隙をねらう隙間産業だと思いますよ。コールセンターも隙間です。札幌と沖縄にコールセンター多過ぎます。

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