老人階級というネーミング。
老人階級というネーミング。
五木寛之『新老人の思想』で、現代社会を3つの階級として捉える話だ。1世代を30年と考えて30歳までを第一世代、30歳から60歳までを第二世代、60歳以上を第三世代と分類。空港や観光地、街中のホテルランチバイキング、スーパー、どこへ行っても老人階級の跋扈がすさまじい。(蛇足ながら中国では60歳以上が2億人)ここから何度も書いているがクレーマー老人、暴走老人、迷走老人、アナーキー老人が余剰エネルギーを使い登場する。未来の人生への不安と虚無を抱えながら。さらに長寿な認知症の親を抱えてる場合も多い。老人階級は複雑である。
人生50年であった時代から見れば夢のような(ある人にとっては地獄のような)長寿社会になっている。階級といえば『労働者階級』や『資本家階級』、支配階級や被支配階級など懐かしい単語の数々だが、いまや老人階級はその数、支給される年金額、薬や病院代、さらに政治や企業経営でなお権力を振るい、人事権まで行使して老害とささやかれ、若い世代から本音では嫌われている。
しかし、実態は老人階級の中で、貧富の差もひどい。国民年金約月7万だけの人がいる一方、親の不動産や遺産をもらい毎月海外旅行をしている人もいる。五木寛之は、同世代での相互扶助を提案している。若い世代に負担のしわ寄せしないよう、暮らしに困らない人には年金廃止、その分は暮らしに困る同世代の老人に分配することで、60歳以下の世代へつけを回さないようにする。贅沢な購買には高額の税金をかけるのもひとつだ。
さらに大きいのは退職金の額と企業年金の有無である。(退職金の多い企業が企業年金も同時に持ってるから余計に貧富の差が出てくるわけだ)。私の知っている自営業者は『倒れるまで働かないと生きていけない』とも言っている。しかし、記憶力・持続力・エネルギー全般の低下、体力の低下、視力の低下、尿力の弱体はいかんともしがたいジレンマだ。
さらに追い討ちをかけるのは、老人階級の子供たちが親と依存しないと、暮らしていけない経済システム(派遣や非正規雇用の固定化)と精神的な追い詰め現象である。『派遣業』を製造業に拡大したのをはじめ、認可をあらゆる業種にOKを出したことである。正社員と派遣社員が同居する冷たい雰囲気の会社に筆者は在籍したが、最小限の仕事上の会話以外、言葉が交わされなかった。ボーナスの説明会は、彼女たちを外して別室での説明会。恨めしい彼女たちの視線を今でも忘れない。
私はそうなら、派遣業法に賛成の意思表示をした全国会議員を時給で雇ってはどうかと提案したい。雇い主は、NPO法人『常識ある議員を派遣するための会』。話を戻して、老人階級の話だ。老人階級は子供たちとの同居は少ない。同居してもどちらが家を出て行くケースも多い。筒井康隆の小説に『老人同士殺戮しあう』小説があった。場所と既得権の取り合いなのか?
昔の少年。
少年老いやすく・・・老後は長い。同じ老後でも千差万別。遊んで暮らせる楽しい老後もあれば、我々のように働き続けなければならない老後もある。どなたかが「人の上に人を作らず・・・」とか言っていたが、上には上がいる。この世に「平等」など殆ど夢で、あり得ない。ただ思うに最後まで人の迷惑にならぬように生きたいと、それだけだが、果たして?。
seto
楽しい老後は身近にたくさん老人いますが、羨ましい人はゼロです。大金持ちもクロアチアからエベレストジェット飛行から帰ろうとすぐに日常生活が始まります。大事なのはこの日々をどう楽しく毎日生きるかです。死ぬまで働くのは一番健全で、常識の時代に入ってます。同級生で毎朝、牛乳配達をしている話を聞きました。150軒へビン牛乳を配っていて、78歳まで働くつもりと言ってました。車のない老人は喜ぶと言ってましたね。ヤクルトおばさんみたいです。宅配の原点ですね、新聞配達も。働く仕事があるのは贅沢なことだという時代がきますね、いずれ。
5時から男。
平日は毎日出勤して一番奥の大きなデスクに座り、部下職員の背中を見ている。仕事は殆どがハンコを押すだけでその他は新聞を読んだり週刊誌を見たり文庫本を読んだり。ふっと居なくなったと思えば食後の喫茶店でコーヒータイム、その後スポーツショップへ。職場に戻るその手にはビニール袋に入った長~い買い物?。ゴルフのクラブらしい。この方は市の本庁の或る階が職場で月収80万円ほどの外郭団体に属する高給取りの理事長?年寄りもいろいろです。もちろん背中を見られている職員たちは内心ムカムカしています。なぜなら?その職員のなかに僕の友人もいたからです。
seto
旧日本道路公団へ営業に朝の10時に行ったとき、課長席の人が新聞をうずたかく積んで偉そうにしているのを見ました。公団の担当者に『毎日、ああやって朝から新聞読みですか?』と皮肉を言うと『そうなんです。本省からきた役人で仕事がないんです。すぐ東京へ帰りますが』と彼も呆れ顔と困った出世屋をバカにしていました。教養がないんですね、そういう人。上級公務員試験パスした連中が国交省に入って(点数いいのは大蔵省現財務省へ行くらしい)非常識なデスクワークをしてペラペラしゃべっているのでしょうね。
坊主の孫。
長年培ってきた仕事上の立場をいつまでも引きずりながら生きていると、定年後は、以前のようには誰も相手にしてくれないジレンマから思い通りに行かない事に腹を立てキレるのでしょうね。「オレを誰だと思っているんだ?!」がいつもの口癖に。キレ癖が度重なり、そのうち「オレを一体誰だと思っているんだ??えっ?誰だっけ??」となりませんように。
seto
それって現実ですね。最近、元知事がウロウロしているのをみかけます。背広をまだ着ていました。先日は札幌商工会議所へ運転手付きのクラウンに乗って降りてきました。何かの団体の役職についたのでしょう。道民への迷惑は止めてほしい。静かに引退して畑を耕して欲しいとかげながら念じています。『おれを誰だと思っているんだ!元知事だ』。無名の人生が最高ですよ。
第三の男。
第三世代?ですか。その頃には誰しも体力は減退しあちこちが痛みだすものですね。車など頑丈な機械でさえ10年そこそこで心臓部のエンジンや、足回りのサスペンションや、ボディの軋みなど不具合が生じるものです。ましてや我々第三世代ともなれば、そんな車などの機械と比べようもないくらい長年酷使して来たわけですから、膝が痛い、腰が痛い、背中が痛い、肩が痛い、首が痛い、目が見えないなどは当然の事ですね。エンジン部分の内臓が重症の場合はもっと大変ですから。多少あちこちが痛いぐらいは我慢の限界範囲だと思うしかありませんね。
seto
老化でいいことはありません。しいて言えば鈍臭くなって、五感が鈍くなって悪口が聞こえなくなるくらいですね。ポンコツは部品を1つ2つ入れ替えても(これも多難ですが)治らないと覚悟しましょう。痛いのは生きている証拠ですが、限界を超える痛みもあります。(数人、その話を聞いています)。
憎まれっ子世に憚る。
昔、居ました。新聞全紙を朝から全部読んでいた支店長が。スポーツ紙のエロ記事までも。そして、こう言います。「お前らこれ!知ってるか?な〜んだ新聞も読んでいないのか?」と部下が汗水流して働いているのに偉そうに。こんな情景も今ならネットでしょうね。デスクトップPCに向かっていれば、アダルトサイトを見ていても、いかにも仕事をしているように見えますからね。こんな人達の高い給与を稼ぐ為に働くのは頭にきますね。
seto
前の会社で必ず自分の席を窓に背中合わせに座るわがまま女がいました。仕事中、ネットショッピングするためでした。誰かが近づくとパソコンのページ変えて知らんぷり。その結果、事務所内に幾つもカメラが設置されて、アップすればパソコンで何をしているかまで見れる設備を付けられました。私は、そこの役員やトップにドローンを付けて見守り、東京へ日々の仕事の報告や全社員へ見せるほうが効果があるように思います。見る人間を見られる人間へ、頭脳労働者を肉体労働者へ、管理する人を管理される人間へ、裁く人間を裁かれる人間への価値観の移行がこれからの時代のあり方だと思います。