2月23日、BS1で羽生さんの特集を見ていた。そういえば昔、書いたブログがあったと思い出し、再録する。

この後は『日本の社会は、同質社会ということもあって、このバランスが悪いと思う。リスクを負わない人がいる一方で、リスクだけ背負わされている人がいる。決断を下さないほうが減点がないから決断を下せる人が生まれてこなくなるのではないか。目標があってこその決断である。自己責任という言葉を最近よく聞くが、リスクを背負って決断を下す人が育たないと、社会も企業も現状の打破にはつながらないであろう』(71p)(決断力 角川oneテーマ21)

格言の山のような本である。私は特に『リスクを負わない人がいる一方で、リスクだけ背負わされてる人がいる』というところで立ち止まった。日本社会を大局観として、将棋盤に見立てれば、起業家や企業経営者、派遣労働者も彼の視野に入って語ってるような気もしたのである。将棋はひとりで決断する連続技ある。

また『将棋と狂気』についても書いている。将棋を忘れる空白の時間、空白の大脳をつくる大切さについて説いている。仕事についてもいえることかもしれない。『将棋には怖いところがある。・・・将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。ギリギリまで自分を追いつめて、どんどん高い世界に登りつめていけばいくほど、心がついて行かなくて、いわゆる狂気の世界に近づいてしまう。一度そういう世界に行ってしまったらもう戻ってくることはできないと思う。入り口はあるけれど出口はないのだ』(同著97p)

凡人には計り知れない怖い世界は、どの分野にもあって、仕事やゲームの世界、パソコンのソフト開発の世界もスポーツの世界にもきっとあるだろうなと推測する。サラリーマンでも仕事中毒や競馬に狂う、投資に狂う、夜の世界から出て来れない人にもある種狂気的なものがある。ドストエフスキーが『賭博への情熱』と命名した狂気の世界かもしれない。彼の場合はポーカーであったが。マージャンで賭けるものが無くなり、自分の妻を抵当にする小説もあったくらい賭博は世界中を駆け巡り、太古の昔から消えない遊び(真剣勝負)だ。

何事をするにも、何もしない時間や空間が大事。気晴らしを大切にとも読める本だ。狂気に陥らないために。

最後にチェスと将棋の起源であるが、起源は同じで紀元前2000年ころにインドで発明された『チャトランガ』が西洋に伝わりチェスになり、平安時代に日本に輸入されて将棋になったとある。中国や朝鮮、タイなどにも『チャトランガ』を基にする将棋があると薀蓄を語っていた。

  1. 勝負!とはイチかバチか。裏か表か。白黒はっきりしていますね。スポーツなどは引き分けの場合もありますが、最終的には決着をつける事になります。勝てば官軍、負ければ賊。頭も体もあらゆる能力を最大限に使う勝負師たちは、絶えず勝つと信じて戦う訳で、負けた時の事など考えていないのではないでしょうか。決断はすべて自分がする勝負も、一瞬の直感しか充てにはできないし、いつも即決を迫られている状況では正気ではいられない状態かも知れませんね。部外者からは結果だけで一喜一憂してしまいがちですが、当人たちは結果以前の経過そのものが勝負なのでしょう。

    • 将棋で終わると必ず、盤面を戻して二人の勝負師がリプレー検証しますが、これが面白い。ああでもない、こうでもない、これを指すとこう出るとか話し合いに入ります。若手の棋士はAIで羽生さんの全試合を研究されていて、10代や20代はめちゃくちゃ強くなっています。彼らはほぼ全員、羽生さんを目指して将棋界に入った世代。彼曰く、まだまだ勉強や研究が足りないと言ってました。小学生のころから彼の天分を見つけた八王子将棋クラブの経営者も、彼との出会いがなければここまで長く経営はできなかったと。そういう出会いって多々ありますね。私のブログが来月8日で4年目に入りますが、ここまでこれたのもコメントを寄せ続けてくれたあなたのおかげと製作者のKとの出会いですね。

  2. 何でも懸命になっている人には誰もが応援しますね。応援する側も多少なりとも似たような経験があるから、将来性や才能を勝負では無いですが直観的に見分けられるのでしょうね。それにも基本はご本人が好きな事でなければ何事も継続できませんね。僕などは好きな事があり過ぎて、どれも中途半端でやめていて続けていない事だらけです。好きな事があり過ぎるのも考え物ですね。

    • 私は3日続けば良いほうです。趣味は飽きますね。惰性でやってることも多いです。趣味仲間も途中から飲み仲間に変質したりします。飽きないのは友人とのおしゃべりでしょうね。女性たちを見ているとつくづくそう思います。自身の健康やら子どもやら孫の話、美味しい店、テレビドラマについて、亭主の悪口、嫁姑の悪口、映画や音楽、話し出したら3時間でも4時間でも話し続けますから。最強の趣味はおしゃべりでしょうね。男も見習わないと。私はブログ書きで精いっぱいの状況です。

  3. ゼロ戦パイロットの弟。

    親父からは将棋も碁も教えて貰えませんでした。賭け事は一切しないしお酒も呑めない人でしたから。兄とは親子ほどの年の差もあり末っ子の私は姉たちとさえも一緒に遊んだ経験もありません。子供の頃の勝負事と言えば、近所のガキどもとメンコで獲り合いとか大河を挟んだ隣村の悪ガキ連中とチャンバラや石合戦などで戦う事とか、童謡の一節ではないですが「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」の通りで、山や川遊びでした。子供にしては遊びも命がけで絶えず血を流して母親に叱られていました。あの頃から何かを身に着けて居ればモノになった事もあったのではないでしょうか。まだまだすさんだ時代でしたが、今の幼い名人や名選手たちを見るにつけ周囲の関係者や環境も大きく変化していて、育つ環境でもあって、競争も激しいとは言え、それだけ世に出るチャンスも開けて来ているのではないかと思いますね。

    • 私は将棋、兄は碁を父から教えてもらっていたのですが、どちらもめっぽう弱かったですね。ある日、おやじと将棋をしたら私があっさり勝ってしまいました。機嫌悪くなった父とは以来、将棋を指していません。悔しかったみたいです。結婚後、妻の親爺さんとボケるまで何度もへぼ将棋をしました。ある日、2歩を打ったり、桂馬の飛び方を間違ったりしてきました。少しずつボケが入ってきたのですが、だまって続けて指してきました。寂しい気持ちになりました。駒の動かし方を知っている程度の将棋しか指しませんが、トランプやマージャンなど小さなころから遊ばせると人生の余白を埋める趣味になります。花札も好きです。昔は将棋は人生裏街道を生きる『道』に近かったらしいです。羽生さんも言ってましたが『先輩たちは怖かった!』と。ある将棋師は羽生さんを『将棋界の革命家』と言いました。そうかもしれません。将棋に向かう子供たちのあこがれは羽生さんです。

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