非日常空間としての空港。(900回目のブログのリメイク)
非日常空間としての空港。
きょう(3月27日)は新千歳空港内へ。水曜日なのに駐車場は大混雑。空港の中は多国籍。人また人。外の世界が不景気だろうと、それを忘れさせるフェスティバル空間だ。お土産も奮発して買ってしまう雰囲気だ。韓国からの観光客、特に若いカップルが目立つ。
私のパニック障害も直りつつあるから、生きているうちに全国の博物館巡りをしないとは思うが・・・。政府専用機が4機とも外に出ていた(古い2機と新機種2機だ)。羽田へ行くのか、帰ってきたのか。レストラン街は『一幻のえびラーメン』に長蛇の列。一度食べたが、私は臭みが苦手で残した。空港は貪欲な胃袋がうごめく空間だ。居酒屋風の『きくや食堂』で食べた『かに丼』は美味しい。札幌に仕事で来た友人と食べた空港内のこの味は筆者も久々の美味に出会い、彼の注文した定番の『海鮮丼』に筆者はカニを載せてあげたら『美味い!』の歓喜。カニは道産子でも1年に何度も食べない、値段が高くて買えない。それこそ非日常の食品。手巻き寿司の材料で買う程度だ。
カニは果たしておかずなのか。カニ通(こういう人が医療関係者にたくさんいた)に言わせるとズワイガニが一番おいしいカニらしい。そういえば、医者たちとオホーツク海の紋別市に講演の手伝いに行ったとき、帰り際、『そうだ、ズワイだ、買わなくちゃ』と言って、海沿いのカニ問屋に走っていった。筆者は細い、体が小さなカニは肉の量が少ないから買わない。味噌も食べない。時々、食べ物通で語り出す人が、みんな変態に見えてくるときがある。どうしてそんなにこだわるの?自分の舌を信じて食べましょう。おなかが空いているときは何を食べても美味しい。おかずがなくても御飯だけでも食べる筆者だ。味噌汁は2週間に1回くらいで十分。シャケの切り身一つでもあれば幸福感漂う。酒も飲まないし、タバコも吸わない安上がりの男である。
書いてきて、わかったのは、私自身、安上がりな人生なので日常生活から非日常へ移行することが困難な性格なのかもしれない。疲れるのだ。無理をしたくないのである。飽きっぽいのも、非日常な趣味や人間にも疲れてしまうからだと思う。そもそも本来、ナマケモノで何もしたくないのかもしれない。できれば、農耕民でなくて(農耕は仕事が多過ぎる)狩猟採集をして生きる人種かもしれない。狩猟採集でさえ働きたくないかもしれない。
それなら、どうして2015年3月18日から3年余、ブログを書き続けているのか。私のアタマが空港化しているかもしれない。多国籍で、外の世界が不景気だろうと私の想像力の羽根は軽々と時空を超えていくらしい。シベリアに渡る白鳥を何度も見ている。。海の魚にも渡り鳥にも国境はない。地面の中のミミズも隣の土地を浸食しても違法ではない。生き物から見たら、人間世界の決めごとはすべてフィクション。しかし、それで人が死ぬ。今日、究極のフィクションは紙幣かもしれない。
ゼロ戦パイロットの弟。
福岡空港の便利さに比べたら新千歳空港は不便な所にありますね。地元の方々に取っては良いのでしょうが、札幌あたりからは遠過ぎます。JRの列車では短時間で行けるとしてもバスやクルマは相当な時間が掛かります。北広島の日ハムBPなどの実現の暁には新千歳と北広島BPと札幌を結ぶモノレールがあればいいと思います。東京モノレール方式は雪に弱いですから逆さ吊り型ですね。へい列よりも、縦に二段式で、上り・下り線法式が良いですね。空港とのアクセスが良ければ観光も伸び地域経済も発展するでしょう。旧態然とした交通体系では人を呼べませんから。
坊主の孫。
今は亡き福井の義父に奮発して、たらば蟹の豪華な料理を食べさせました。「大味やな、蟹はやっぱり越前蟹やで」と。「ガッカリ」です。安給料の中から無理してご馳走したのでしたが喜こばれませんでした。それもそのはず漁師町で旅館を経営していたので蟹はいつでも食べられたからです。普段の私達は一杯の毛ガニさえ高くて手がでません。蟹を食べるどころか、東京の姉夫妻が来道した時に、逆に札幌の蟹専門店で蟹しゃぶなどをご馳走されました。本州企業の北海道支社勤務時には本社から社長などが来るたびに接待しましたが「君らはいいな。こんな美味しいものを毎日食べられて」?と。非日常ですよね。
seto
カニは日常ではありませんが、太いカニ肉を食べると幸福感はあります。私はカニ丼ばかり食べます。毛蟹でもタラバでも越前でも何でもOK。おかずは要りません。コース料理のカニは苦手(というより食べたことがない)というより、野生的に食べるのがいい。洗練から遠いですわ。毛蟹は安いところで700gで4000円で買えることろあります。空港は約2倍の値段。アバウトな値段です。
昔の少年。
東京生まれの高校生になる孫娘が明日朝東京に行きます。東京は流行に敏感で良いらしいです。アニメか何かのイベントが目的らしいのですが、友達同士で行くようです。今や子供達の方が頻繁に飛行機に乗っています。私などは生まれ故郷のはずの東京へは目的も無く行く事もなくなりました。混雑した都会の雑踏はすっかり苦手になりました。
seto
のんびり一人でリラックスばかりしていては、それも飽きがいずれきますから、都会の雑踏を分析する趣味を持つと発見があるかもしれません。チカホで古書店市が開かれて100円本を買う癖がありますが、年齢とともに本の題名(背表紙)が読めないときもあります。老人やある目的を持った中高年の集団もあちこちべんちに腰掛けています。(目的)のない旅も面白そうで、行き当たりばったりで私は魅力ですね。向こうに誰がいるかわかりませんから。岩手でも金沢でも京都でも神戸でも駅前の喫茶店のカウンターに座り、そこのマスターに話しかけて美味しい店や面白い場所を探す趣味がありました。何せ一人旅でしたから、お喋り相手が欲しかったんですわ。
ホランペッター。
若かりし頃には都会に憧れていました。高校生の夏休みには姉の家に泊り込んで、姉達は写真の工場経営で多忙でしたから、お小遣いを数万円貰って後楽園やら池袋や新宿あたりで遊んでいました。雑踏の都会には目新しいものが沢山ありました。音楽も生で毎日聴けましたから楽しかったです。ジャズなどを聴きかじったのもその頃でした。田舎に戻ると早速ビッグバンドの真似ごとで隣の中学や高校の吹奏楽の連中に声かけしてバンドのチームを作りました。自分の高校のクラスメイトたちより彼等と一緒の時間の方が多かったのでクラスメイトの名前も余り記憶に残っていません。その後も都会は大阪に住む事になりましたが、良いことばかりではありませんでしたね。知らない人ばかりの都会に一人で踏み込めたのも怖さ知らずで若かったからでしょうね。田舎暮らしと比べて非日常の都会は良くも悪くも魅力的でしたね。でも、そんな遊び感覚も二十代後半には徐々に薄れて現実社会で生きることになりましたね。今考えるに、厳しい冬に北海道に移住したことが非日常からの卒業でしたね。
seto
都市と言えば札幌以外、愛知県岡崎市み半年暮らしただけで、都会暮らしはたいしてしてない筆者です。ホランペッターさんの青春物語、そして北海道への移住は、大きなストーリーで読んでいるようで羨ましさも感じます。先月、東京から気分の休日に札幌に2泊3日で来た人が、札幌のチカホも人並み多いけど、東京はハンパじゃないとも言ってました。そういう意味で楽しさ・怖さ同居ですか・
流浪の民。
独り身の時にはお金も無いのに旅をしました。大抵は油彩の道具持参でしたが、旅先で絵を描けた記憶はあまりありません。何せ人が多い場所では落ち着いて絵など描けない訳です。人混みを避けて大阪は中之島の河岸でイーゼルを立てて集中していると知らない間に背後に人の気配を感じ振り向くと知らない女性が下手な絵を眺めていたりしました。旅先には人の居ないところは殆どありませんでした。四国の鳴門も結局はスケッチ程度で落ち着きませんでした。京都の嵐山にも何度も足を運びましたが、どこも同じでした。でもブラブラ歩きだけでも、当時は楽しかったのだと思いますね。
seto
金のない旅は景色や人をよく見るといいます。そういう栄養を流浪の民さんはきっと蓄積してますね。絵柄のヒントになったり、コピーの1行にも出てきているかもしれません。