地球最後の日のための種子 NO2。 800本目

飢餓から守る活動をする3人の日本人について。

昨日の続きである。核戦争があって、人類の大半が死滅することがあっても残りの人たちが再び農業を再開できるよう、現代版『食糧のノアの箱舟』がノルウエー最北のスヴァール諸島に築かれた。永久凍土の地下に200万種に及ぶ食糧の遺伝子情報を管理して、いつでも人類の食糧危機に対応できるよう、各国多くの政府と共有している(昨日のブログ写真参考)。

ノルウエー・スヴァール諸島の位置

ベント・スコウマンはそこの所長である。ここで本書に紹介されていた3人の日本人がいた(現在もいる)。一人は岩手の盛岡で岩手県農事試験場に1930年から35年まで勤務していた稲塚権次郎(いなづかごんじろう)。『ダルマブーツ』と『ターキー』という2種の小麦を組み合わせて『農林10号』を日本の品種として育成した。何度も繰り返すメキシコ・アメリカの小麦危機を救おうと(緑の革命と呼ばれる)稲塚の育種した『農林10号』を米国農務省の代表がワシントン州立大学の研究室に届けられた。

 

小麦としては背丈が45センチと低いが、1946年占領下の日本から届けられた。これをアメリカの小麦品種と掛け合わせる仕事に着手。1950年代初頭になって、『農林10号・プレヴォー』が開発されて商用価値が出てきた。当時メキシコでは収量の多い病害に強い品種が好まれたが、いかんせん背丈が高くて強い風で倒伏した。短い背丈の頑丈な茎の小麦があれば解決できる。そうして選ばれたのが『農林10号・プレヴォー』で、これと背丈の高いメキシコの品種と掛け合わせて7年間の失敗を繰り返し、新品種を開発できた。成熟も早く、多くの種子もつけて、あらゆる気候に適応し、どのような土壌でもよく育ち、水の多寡も問わない。世界中のどんな緯度でも作れる品種だ。世界の飢えを救う小麦に成長した。日本人は彼のことをもっと知っておくべきだ。

『農林10号』をきっかけにして開発された小麦品種はこれまで飢えで苦しんだインドやバングラディッシュにも植えられ、食べられたのである。これもメキシコに本拠を置く『国際トウモロコシ・コムギ改良センター』の大成果であり、陰に日本人の稲塚さんの育種した『農林10号』が大貢献している。当時、この組織でタクトを振るったベントスコウマンの尊敬するノーマン・ボーローグ(最下段に彼の伝記がある)にはノーベル平和賞が授与された。飢えに苦しむ人々を助ける学者ボーローグに面接してベントスコウマンも働くようになったのである。

二人目は、田場佑俊(たばすけとし)という科学者である。同じ研究センターでスコウマンが小麦であれば、田場さんはトウモロコシを担当、スコウマンと密接に対話して品種改良や世界の飢えと戦ってきて、田場氏は現在もメキシコのセンターでトウモロコシ部門での研究で所長を務め、タクトを振るっている。

(写真を探したがグーグルに未掲載であった)

3人目は岩永勝(いわながまさる)。センターの財政や作物の遺伝子情報を独占しようとする民間の企業との闘いを含めて元CIMMYTの元所長であり、どちらもスコウマンから絶大な信頼を置かれた日本人である。もともと日本は農業立国であり(ちなみに戦前の農業従事者は50%、サラリーマンは30%)、稲や小麦の品種改良は昔から地味に研究を積み上げられている。

 

ただ、前回も書いたが、1品種だけの繁栄や多収穫では伝染病が襲うと一気に飢餓に見舞われる。食糧は未来に何が起きるかわからないから多様な品種を育てていなければいけないのである。私たちが口にする作物について、もう少し啓蒙的な番組や記事、未来の食糧を考えた、小さいころからの学校の授業を、投資の教えたりするより早い段階で教えないと、自然を離れて生きる子供たちが、毎日口にする食べ物がたくさんの人たちの品種改良によってなされているストーリーが失われる気がするのである。

昨日も書いたが『お金があれば食べれるわけではない。安全なタネがないと食糧はできない』ことを学び続けたい。『もし種が消えたら、食料も消える、そして君もね。』架空の未来談ではないのである。現在進行形の話である。しかも皮肉なことに小麦の原産地はシリアのアレッポあたりらしい。アフガニスタンあたりも。原油が出なければ穏やかな乾燥地帯に強い麦を栽培する中東になっていたかもしれないと妄想するときが筆者にはある。

ノーベル平和賞受賞ノーマン・ボーローグ 翻訳 岩永勝

  1. 小学校の裏には田んぼ、表には畑がありました。中学校には学校林がありました。田んぼは苗の田植えをして毎日成長を眺めていましたし、畑には作物を種から植えて収穫もしました。殆どが農家でサラリーマン家庭は数人しかいませんでしたから、みんなて慣れたものでした。学校林では杉の苗木を植えて定期的に根狩り(除草)をしました。野山の兎を捕まえたり木のみも食べました。そんな環境は都会にはありませんが、私の孫の通う札幌の小学校には小さな田んぼと野菜を育てるガラス張りの温室があります。採れた米や野菜は教材として調理実習などで使われているようです。僅かですが、私たちが昔に経験した事が今も引き継がれている事にホッとしました。農業は人命を守る必須科目ですから、もっと深く関わっていかなければいけないでしょうね。

    • 農業は人命を存続させる仕事です。これなくしてすべての産業や宗教や文化は成立しません。昨日、京都の送り火生中継をしてましたが、山の樹木を伐採して焚き木を燃やすエリアをあちこちに作って風習とはいえ、ずいぶん自然を痛める行事をしているわいと思った次第。疫病や飢え・戦禍で荒れた京都の町でたくさんの死者を送るのはいいのですが、それは三大祭りであるわけで、山に貴重な松を植えて切り取り、それをまた燃やすのなら炭でも作ったほうがよろしいのでは非文化人の筆者は思いました。

  2. 中東では闘いが絶えません。あの戦士?たちが銃を鍬に持ち替え、農夫だったとしたら、どんなに平和な世界に生まれ変わるのでしょう。中東に限らず銃の乱射やテロ行為などで尊い人命が失われています。人の命を奪うのは天災だけで十分過ぎますね。多くの命を育む仕事に一生を命がけで従事する人たちに光を当てず、野蛮な行為にスポットを当てるニュースが多すぎますね。ノーベル賞(平和賞)の起源がアルフレッド・ノーベル自身の兵器工場で生産された銃器や兵器に使われている火薬やダイナマイトの発明と言うのも皮肉ですね。

    • ノーベルはそれで賞を作ったと言われますが、彼でなくても誰かが発明したでしょうね。毎週のようにアメリカも無差別の銃の襲撃が起きています。火薬にしてもトンネルを掘るのもダイナマイト。文明は功罪あって、必ず、それで儲ける人がいます。誰かの不幸でお金持ちになる人たちです。安全地帯にいて、あれこれ指示する、自分には鉄砲の弾が飛んでこない人種の声の大きさがテレビを通じてきょうも世界じゅうで流れています。

  3. 先週の休日の早朝に長沼の農家さんへ朝もぎトウキビを買いに行ってきました。午前8:00に到着しましたが、既にご夫婦で300本ほど収穫を終えていました。知り合いからも頼まれでいた分も含めて130本買い、3~4カ所ほど各地方に送って残りを持ち帰りました。早速茹でて食しましたが、余りの美味しさに孫たちも大喜びでした。その時に品定めしておいた枝豆を明日の日曜日の朝収穫に行く事にしました。毎年伺う農家さんで、必ずお土産にキュウリやゴーヤなども持たせてくれます。枝豆の次はジャガイモの収穫期です。枝豆は自分で刈り取ってマメのサヤだけをもいで後は畑に返します。今年の長沼は台風の影響もなく、今のところ被害も無く作物も豊作のようです。毎日毎日、早朝から一家総出で農作業に出て働いて居る人たちを見るにつけ、農業の大変さに頭が下がる思いです。我が家はそんな農家さんの収穫期の喜びをお裾分けしていただいています。農家ではそれぞれ独自の種を保存しているようで、同じ地域の農家の間でも味に違いがあるそうです。

    • 農家独自の種の保存ですか?私はJAから購入していると思ってました。それにしても130本とはすごい数ですね。娘が九州へ20本トウモロコシを送りましたが輸送料がトウモロコシ購入金額と同じだと笑ってました。枝豆は産直農家の前庭でサヤだけむいて帰ります。250円で夫婦ふたりでは食べれないほどになります。大根50円、とれたてホウレンソウ100円。あんまり野菜を食べない私ですが・・・・・。恵庭・長沼・東千歳は大農業地帯ですね。ドライブすると産直農家だらけです。

  4. 飢餓に苦しむ人たちを尻目に無益なミサイルを打ち上げるなど、最近のニュースは嘆かわしい事が多いですね。地球環境の危機や食糧危機を自覚しているならば決して出来ない行為ですね。せめて、原爆を経験した世界唯一の我が国だけは、世界のお手本になるよう希望しますね。揚げ足取りの口論ばかりでは平和は実現しません。どんな人も生きる権利がある訳ですから人命を奪う行為は許せませんね。国境を越えて、多くの命を救う種苗の研究開発に携わっておられる方々には感謝しかありません。

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