筆者のパニック障害その後!
何度かブログで私のパニック障害について書いてきた。10代の末(自宅浪人中)、突然パニックに襲われて父に札幌の救急病院へタクシーで運ばれた。胸が苦しくなってきて、いてもたってもいられなくなったのである。原因は自宅にこもり過ぎて、閉塞感が心身に影響を及ぼしたのではないかと今なら言える。それにしてもあの苦しみは50年経過しても残っている。それが20年を過ぎた30代後半に再度出てきてからは、満員電車で何度も発症した。体がパニックを覚えてしまったのである。私もこういう環境下になると胸が苦しくなると反射的に落ち着きを失う。当時は数字を追い求める営業にのめり込み、家庭を顧みず生きてきたツケなのかとも反省したが、とうとう49歳で急性心筋梗塞を起こして人生2回目の救急車のお世話になった。パニックと心筋梗塞は直接の因果関係はないかもしれないが、どちらも胸が苦しくなることについては同じである。60歳を過ぎて、数字の世界から離れてパニックは遠のいた。混んでる帰りの電車にも「ええい、乗ってしまえ」と気合を入れて乗り込めば何とか自宅まで安全に帰宅できる。パニックにやられる前に、こっちからパニックを退治するぞ宣言である。ただ、パニック障害については、同病で苦しんだ人とは軽快な会話ができるが、未経験者には「何、それ?」とけげんな顔をされた。現在では、知る人も多いが、病気は総じてそういうものだと達観する。まだ新幹線(窓が閉塞している空間)で自身の体がどういう反応をするか試していないし、飛行機を拒否してきているので旅ができるか不安は残る。娘の結婚式に福岡空港まで妻に迷惑をかけて往復したのが最後、15年乗っていない。棺桶に入る前に私のパニっク障害完治宣言をしたいものである。がま口には石ころを2つを友にしている。まさかのときに石を握って気持ちを分散させるためである。パニックに苦しむ女性からもらった石だ。呼吸で吐き続けて息を整えるのがいいと本には書いているが実践できず、すぐに吸ってしまう。泳ぎもダメな筆者である。世間と数字に溺れた人生であったのかと歎ずる次第だ。
坊主の孫。
多かれ少なかれ、誰にでも起こる症状ですよ。敏感か?鈍感か?の違いですね。閉鎖空間もそうですが、雑踏の場合もあります。緊張した空間でも起こります。病気はどれもそうですが、追い込まずに、気を紛らす方法がいいですね。貴殿ならお喋りがお好きなようですから、話し相手を同行させれば飛行機だって新幹線だって平気になるかも知れませんよ。飛行機は何度乗っても嫌なものです。乗ったらすぐにイヤホンをつけて音楽や落語で気を紛らわせますね。新幹線などは過ぎ去る風景や街並みを観察するのも楽しいですよ。クルマでフェリーも乗りましたが、広くていいかも知れません。それに移動手段も自分のクルマですから、休み休み行けますからね。まずはフェリーから試してみては如何ですか。途中下船は出来ませんが。
seto
日本の社会も息苦しさを感じるこのごろです。ベッドも狭いので広々としたところで眠りたいと思い8畳の板間にマットレスを引いて大の字で寝るようにしてます。東京で結婚式があって、(なんとしても来てくれ、JRもあるじゃないか)と懇願されましたが断りました。福岡便では機内でずっと食べてましたね。おにぎりとサンドイッチ。狭いところにいると感じる、誰にでもある気味悪さや不快とパニックは全然違うのですよ。(いてもたってもいられなくて、高いところなら飛び降り、飛行機なら窓ガラスを割って外の空気を吸いたい)ところまで発展するのです。フェリーはたぶんOkだと思いますが妻は拒否。私一人で行けばなんのことはないですね。フェリーからの飛び降りはないと思いますが。キャビンアテンダーに聞くとパニック障害は男の現役サラリーマンに増えてきていると申しておりましたよ。
昔の少年。
父は秋が深まる頃、山仕事から帰ると必ず言っていました。枯れ枝が目に刺さってくると。あれだけ山の中に毎日のように入っていたのにです。皆んな何かしら特別な病いを持っているんですね。
seto
植物の復讐と私は呼んでますが、庭のバラのとげにやれれることも多くて、私はバラの復讐と命名。山歩きのときは曲がり竹の上を滑って、沢に転落したこともあります。地面に巣をつくる地ハチに刺されたこともあります。自然は生きていますね。自然に感情を感じるときです。
ヤドカリのような世帯主。
キャンピングカーなどでの旅なら如何でしょう。広い空間とは言えませんが、自由気ままに過ごせますよ。それにしても8畳間に大の字は贅沢ですね。僕は世帯主なのに?何故か隅っこで小さくなって寝ています。
seto
隅っこ暮らしは、いま大人気キャラクターーです。昔の子供部屋を私が占拠しているだけですよ。