僕は君たちに武器を送りたい(瀧本哲史)
読みが外れれば大損をしてしまう投資の世界を熟知している瀧本哲史さん。8月10日、47歳で死去。彼の名著の『僕は君たちに武器を送りたい』(講談社)を読んでみた。挑戦的な題名の本だが、中身も挑戦的で学生や社会に出て間もない人、大学時代から起業を目指す人へゲリラ戦のアドバイスを書いている。非情で残酷な日本社会(日本に限らないと思うが)で生き抜くための武器を提供している。たとえば就職するときの企業選びの注意事項は・・・・(同著 101p)
1)大量のコマーシャルを打っている会社、『今、流行っている』商品・サービスを売る会社には気をつけよ!
2)生産性の低い40代・50代社員が幸せそうにしている会社には入るな!
3)企業を見極めるポイントは『お客さんを大切にしているか』。顧客を大事にする会社は従業員も大切にする。
マーケッティングの会社に在籍していたり自分で投資家として活躍もして、日本の企業の実態を分析して得た結論を簡潔に述べて、若き世代へ『ゲリラ的に』働ける武器を、理論を、その具体的な事例を書き溜めた。読みやすく、各章ごとに『ここままでのまとめ』として得られた武器を表示している。気のつくままに、彼の武器を列挙するので、関心あるかたは書店でどうぞ・・・。
●企業や商品で差をつくることは難しい。差をつけるには、ターゲットとなった顧客が共感できるストーリーを作ること●『自分の頭で物事を考えない人』は、DQN(ネットッスラング・ドキュン=遅れた層)ビジネスのカモにされる●メディア業界人は『唯一の情報を提供できる人以外は』生き残れない。●顧客の需要を満たし続けるマーケッターは生き残れる。●勉強ブームのカゲには『不安解消マーケッティング』がある。安易に勉強すれば大丈夫と思うな!●全産業で『コモディティ化』(平均化・差異が認められない個性喪失)が進んでいる。賃金を下げないためにコモディティになるな●専業主婦はハイリスク。婚活ブームに踊らされずに、女性もキャリアを目指せ●金融会社など高給で知られる会社ほど、変化が激しく、短命な商品の寿命がそのままビジネスの寿命になる●大学では『奴隷の勉強』に時間をかけず、自由人になるための『リベラル・アーツ(教養)』を学べ●本当の資本主義の時代に、『ほんとうに人間らしい関係』を探っていこう。
これから世の中に出る人、まだ出て年数の少ない人や学生の未来構築に生き方や言葉の武器を瀧本さんは遺言のように書いていたんだと思った次第である。国に頼るな!が基本。自由人になるために。
広告マン。
武器商人のようなタイトルで目を引きますね。武器と言ってもビジネス・ツールとしての格言ですから安心しました。最近の世の中はこの書物の内容どおりになりつつありますね。若さに任せて安易な結婚をしなくなり、就活も何社も受け、内定を貰っても職業選択には慎重ですね。僕たちの時代には勢いだけで、行き当たりバッタリで生きてきましたが、今の若者たちは情報量も多く、冷静・沈着・潔癖ですから、どうもサイクルが合いません。パワハラも度が過ぎれば問題ですが、些細な注意すら出来ずに気を使う先輩たちも大変ですね。セクハラも会話の中で、知らず知らずに使ってしまうなんて事にもなり兼ねませんね。
seto
私も武器という単語にびっくりしましたが、よくよく中身を読んでいくと著者の若者への注意事項がたくさんあります。若者は情報量が多過ぎてかえって選択に失敗するケースがあるかもしれません。ネクタイ選びでも数種からなら選びやすいが、100本もあるとどれを選んだらいいかかえって困惑するようなもので、若さの勢いが知識と大脳で消されてしまうかもしれません。先輩も気遣いで疲れてしまうご時勢です。
広告マン。
28年間勤めた会社は109年目で倒産しました。当時の先輩たちは、どんどん悪くなっていました。ゴルフ三昧、飲み食い接待費使い放題。我々若い社員が汗水たらして死に物狂いで稼いだ利益を、いとも簡単に食いつぶしていました。そんな或る日、大阪本社で全国会議があり、当時支店長になりたての僕は、本社局長クラスの方々と一緒に常務に誘われ、北新地のクラブに連れていかれました。ところが、落ち着いたと思った途端?「おい!次、行くぞ!」と常務が、その調子で高級クラブを4~5軒回って、最後に「占めに細うどん食べるぞ!」と、仕方なくついて行くと、局長たちが店主に「お土産作って!」と勝手に自分のお土産まで作らせる始末。大阪本社の連中はこんな具合なのか?と愕然とした一幕でした。そんな会社を食い物にする体質が目に余る頃、支店に戻って社員に言いました。『「大きな会社は安心」「労働組合が守ってくれる」時代は終わったよ。君らもノンビリしていたら明日は分からないからね!会社が無くなればお終いだからね!』と言ったものです。当時の事務社員は代休を利用してフランスはパリへスィーツを食べに、よく行っていました。それなりに待遇も良かったのです。しかし、僕の予言通りの事態が起きてしまいました。社員の彼ら彼女らには再就職にもサラリーマン以外の選択肢がなかったので、中途採用の再就職活動は大変でした。僕は自分で事務所を借りて、管財人のお手伝いをしながら社員の再就職のお手伝いもしながら、お蔭で2年間は殆ど遊んでしまいましたが、その間に学んだ事は独学で覚えたパソコンでした。独立や再就職を繰り返しながらも、その2年間がその後の僕を助けてくれました。すべてがパソコンの時代になったからです。それが僕の武器と言うわけです。