世の中は2倍明るくなる!
むのたけじさんの詞集『たいまつⅠ』(評論社98p)にある言葉。全文はこうだ『世の親たちがわが子たちにそそぐ思いやりの半分を他人の子たちにそそぐなら、世の中は確実に2倍明るくなる』。現代の親たちがすべて自分の子供におもいやりをたっぷり与えているとも言えないけれど、総じて親のエゴ(子供を親の見栄の道具にしがち)に集中しないで、その気配りを他人の子供へ向ける、遠慮なく干渉していくと、地域社会はもっと風通しのいい、安全な場所になるだろうと言う。子供たちにもいろいろ悩みもあって、身近な家族より叔父さんや叔母さんの方が本音で話せる子供も多い。というのも子供は大人以上に大人の部分があって、大人の気持ちを先取りして(こう言うと親は困るだろうとか悲しませるだろう)自分の言動を制御するからだ。親がかえって自分ではなく、友達とか近所の子供に関心や愛情を向けてくれるほうが、子供の気持ちは解放される。自宅に犬でもいれば母親の愛情が分散して子供は楽になることと同じ。子供も学校での悩みを犬のお腹を撫でながら話すかもしれない。親子の信頼感が第三者が入ることでより強くなると思うがどうだろうか?結果としてそれはまず家庭が明るくなり、世の中は比例して明るくなると言えるのかもしれない。そういう家庭で育つと働いても逆鏡に強い人になりそうな気もする。『世の親たちがわが子にそそぐ思いやりの半分を他人の子たちにそそぐなら、世の中は確実に2倍明るくなる』
昔の少年。
以前住んで居た高台の住宅地で、我が家のお隣さんは夫婦とも大学教授でした。息子さんが二人いて、東京の大学に行くようになり、東京で二人で共同生活をしていました。夏休みに帰省して我が家に遊びに来ました。目的は麻雀をしたり雑談でした。自分の家では息苦しいのか、それとも親が構ってくれないのか、大学教授でもない只のサラリーマンの僕に懐きました。僕も若い頃には無茶をした方なので、そんな話に共感したのかも知れません。実際彼らは決してお利巧ではありませんでした。親の目が届かない東京でホストクラブのアルバイトをしたりして高級な装飾品やクルマまで買っていました。そのクルマで帰省した或る夏に、僕も本州に出かける用事があり、東京に帰る彼と一緒にそれぞれのクルマでフェリーに乗りました。フェリーの中でもゲームをやったりして随分打ち解けて話しました。北陸に降りて高速道路に入り、関越自動車道と北陸自動車道の分岐点のパーキングエリアで彼のクルマのタイヤなどを点検してあげて別れました。東京に戻った彼は、その後、旅行代理店経営の叔母さんを頼ってボストンに行き留学しました。彼の夢は大学教授でもなく、親には言えなかったホテルマンだったのです。会ってはいませんが、彼の描いた夢は実現して今ではニセコのホテルに勤務しているようです。
seto
そうなんですね、親以上に本音をいえるおじさん、近所の人って大事です、口が固くないとダメですが。大学教授の子どもたちで、一番ネックは母親の価値観でしょうね。のんびりゆったりの母親ならいいのですが。一度、ニセコで会いに行くと歓迎されるかもしれませんね。
坊主の孫。
子供の頃を思い出せば、夜になると川向うの叔父さん(父の弟)の家によく行きました。末っ子の僕には年上の姉たちも遠くに別居でしたから、そこに行けば3人の従弟たちもいるからです。我が家にも有りましたが、叔父さんの家の囲炉裏は一回り大きくて何時でも決まった所に叔父さんは座って煙管でタバコをすっていたり、お酒を飲んでいたりしました。叔父さんは、よく話し相手をしてくれました。そんな時にはいつも右手の親指と人差し指、中指の三本の指で長い煙管を水平にクルクルと器用に回しながら話しました。酒もタバコもやらない真面目な父と違って悪い事も教えられました。「男は酒が飲めんといかん」と言って一合の枡酒も呑まされました。酔っぱらて100mほどの川に架かる橋の欄干をヤジロベイよろしく酔っ払いながら楽しく家に帰ったものです。今思えば随分危険でした。もちろん家に帰れば父から「アイツ、子供に酒なんか飲ましやがって!」と大目玉を喰らっていました。そんなダメな叔父さんでしたが、器用な一面もあって、そば打ちが上手でした。太い田舎蕎麦をよくご馳走してくれました。従弟たちとは兄弟同然でしたから、両親が東京などへ行って不在の時には、まるで自分の家のように泊まりに行っていました。そんな従弟のなかの僕より三つ上の長男がトヨタ自動車に勤めてから豊田市に両親ともども引っ越し、田舎暮らしばかりの叔父さんも環境が変わった途端寝込んでしまいました。或る日、名古屋から電車を乗り継いでお見舞いに行きました。あの野良仕事で鍛えた屈強な身体もすっかり衰弱して自宅で寝たきりで訪問介護を受けていました。従弟たちも植物人間扱いしていたので可哀そうで、皺くちゃの叔父さんの手を握り声を掛けました。すると普段は喋らない筈の叔父さんが僕の名前を言って手を握り返し「おおきに」と小声で言いました。目には涙がこぼれていました。それが叔父さんとの最後の会話でした。
seto
いい体験持ってますね、羨ましいです。夏休みの泊りにいった母の実家でたくさんの叔父と叔母に会いました。私の両親の葬儀にはみなさん駆けつけてくれていい時間を過ごしました。叔父さんや叔母さんの思い出は悪い思い出は全然ないですね。こころ優しい人たちばかりに囲まれていたと今更ながら思います。小さき者へたくさん愛情があったのでしょうが、今もきっとだれしもありますね。
昔の少年。
田舎のような小さなコミュニティならコミュニケーションも十二分にとれてすべてガラス張りの安全な環境になるのでしょうね。都会化が進んで「隣は何をする人ぞ」となればなるほど、お互いの心も閉ざされ、扉には鍵が掛けられ、他人の事には無関心になるのでしょう。現在の様に一部を除き都会暮らしが当たり前のような暮らし方では、なかなか逆戻りできません。そこで、せめてわたしたち高齢者が昔の様に子供たちに声をかけてあげるのも一つの方法だと思いますね。不審者扱いされぬよう注意も必要ですけどね。
seto
通学前に不審な大人に注意しましょう・・・というPR車が通ります。不愉快ですね。子供に向かってるのか、各戸の住人に呼びかけているのか・・?善意から出る煽り行為ですね。実際、夜に公園で男が出没して騒がせる事件はありますが、朝ですからね。最近は小学生が庭に出ている私に『こんちにわ』を言う子もいます。