90歳を過ぎてひとり暮らしのおばあちゃんで資産をそこそこ持っている人も多い。元気な子供が3人4人いれば、それぞれに家族があって(または独身のまま)、暮らし向きはそれぞれ違うし、子供たちの経済的な自立の有無も違う。私からみたら平均以上の年金をもらって豊かな暮らしができるはずの知人であるが・・・。

ある日、母親が自宅マンションで転倒して骨折。病院に運ばれリハビリをしていたが『この病院の飯はまずいから早く自宅に帰してくれ』と叫んだり、『あの病院職員は態度が悪い』と言い放ち、病院側も困惑。1か月前倒しでとうとう自宅へ戻ることになった。母親を見舞いに行ったおり看護師に『この息子は貧乏で、いつも私に金をたかりにくる』とアナウンス。お金のある母親なら子供にお金を上げる癖があるのは事実で、少しでも自分を見捨てないよう懇願の意味もある。私も恥ずかしながら老健施設に入所していた母親から何回か恩恵に浴したこともある。しかし、病院関係者の前で言われた『たかり』という言葉はきついだろうなあと推測する。介護判定2で頭はしっかりしているからボケる一歩手前くらいで年齢相応の認知かもしれない。ブレーキの機能が衰えている。

ボケると夫婦の間でも言葉の戦争が始まる。『おまえなんか死んでしまえ!』という言葉も飛び交う。40年50年同居していてもこれである。絶対に許せない妻の夫への恨みが吐き出される。ボケると恨みの連射だ。ボケて本音を言うおばあちゃんの話であるが、反対に高齢の弱った母親に耳元で『頼むから母さん、早く死んでくれ』と嘆願した義理の兄もいた。ローソン経営に大失敗して借金をつくり、返済時期が迫っていたのである(と後で知った)。死ぬと全財産を自分名義に変更して独占するつもりであって、ほぼそのとおりになった。教訓は何でも本音を言えばいいというものではない。

  1. 高齢で病院や施設のお世話になると、自分では何もできずに家族や周囲の人たちの手助けが必要になりますね。義母も現在入院中ですが、自宅と病院、そしてデイサービスを行ったり来たりしています。本人はペースメーカーを入れているのですが、肺に水が溜まったりして手当をしたらまた元気になったりと、頭はしっかりしていて、口は健康ですから身近な人たちとの摩擦もあるようです。世話をする息子夫婦とはうまく行かず、あれだけ可愛がっていた孫たちさえも見舞いすら行かなくなっています。確かに本人も悪態はつきますが、原因は周囲の接し方にもあるようです。身体の自由が利かないがゆえに、言いたくない事も言ってしまうと言う、売り言葉に買い言葉ですね。世話をする身近な者ほど苦労が絶えず「早く死ねばいいのに」とか「ペースメーカーなど無ければいいのに」と陰口を叩いているようですが、これが何故か本人の耳にも入ってくるようです。「親でも子でも無い!」と怒り心頭でしたが、怒っているうちは未だ大丈夫なのでは?と思うこの頃です。

    • 実際、高齢者を身近で介護する家族は大変な心身(お金の苦労も含めて)しているだろうと思います。私は一度だけ母のトイレに付き添ったことがあります。病院の大きなトイレでしたが、おむつを下げてあげました。不思議な感慨でした。自分も認知やボケに近づいている認識もあるので、先日、友人が『昼寝のし過ぎは認知やボケを進行させるから、30分以内でするといい』とアドバイスされました。それにしても長寿・長寿。『江戸時代はもっとあっさり死んでいった』。医学っていったいなんだろうと思うこのごろです。

  2. 本音でズケズケ物を言うのは、高齢で先行き少ないと感じた時に、人は怖い物など無くなるからなのでしょうね。人間本来、本音同士の付き合いから始まるのでしょうが、いつしか口に衣を着せて接する事を覚え、裏では本音を匂わせながら綺麗事を並べるようになってしまいます。本音で話せるのは、赤ん坊と老人だけかも知れませんね。

    • 本音で話せるのは、赤ん坊と老人は名言です。母と娘も傍で聞いているとハラハラするケンカしますが、本音に近いです。わたしも何度も『もう会社辞めたいなあ』と思いつつ実際に辞めて4回転職(結婚後)しました。若いときの本音は『働かないでいたい』ということでした。元祖パラサイト的な生き方ですね。浪人時代は自宅浪人で引きこもり。50年前に私は早々と現代を予告した日常を送っていたのかもしれません。

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