カスハラって。
昨日のクレーマーの増加(私を含めてだれでもクレーマーになる可能性はある)について『カスハラ』(カスタマーハラスメント)~モンスター化するお客様たち~というNHKTV『クローズアップ現代』で伝えられなかった部分を含めて取材記事があった(文藝春秋社)。結論は、クレーマーの心のうちを『自分はバカにされているのではないか』『自分の能力が正当に評価されていない』という気持ちを様々な場面でぶつける。お金がますます万能な時代になって、お客様を普通な対応から、いつのまにか客側が『自分が神様だ』と思い込む風潮に世の中と企業側(お客様は神様です)が動いてきたこと、世代を貫通する貧富の差や老後の年金差、将来の暮らし・自分の人生に筆者も含めてイラダだつことからくる不安なのだろうと思う。しかし、これをどう個々人が解決を図っていくのが良いのか。怒りを抑える心理学が流行っているが、感情をコントロールするために必要なのは言語や柔らかい情緒なので、それを養うしかないような気もする。違う場所の空気に触れられる旅に出るのもいい。そうやって気持ちの余裕を自分でつくっていかないと、いまの時代は乗り越えられそうにない気もする。自己愛の強過ぎ、他人を信用しない企業風土・社会。私が育った昭和30年代の大らかさが消えてしまって、細かい規則でがんじがらめ。マニュアルで快適サクサクかもしれないが、表面的な愛想だけで生きると後々トンデモナ時代や社会になるのは目に見えている。頽廃である。モラルハザードである。新興宗教や占いの流行もそこにつながる。心がけはできるだけ『ほかの人と同じ単語や言葉は使わないようにすることかもしれない』。そこは自分の自由の基地だから。想像力の源泉でもあるし。地球市民として生きるにはこれくらいしないと、世の中渡れない。
広告マン。
昔、初めて札幌に来て驚いた事は、ラーメン屋のでした。客が遠慮気味に小さな声で注文し、店主や店員が大きな声で横柄な態度だったからです。並んで待っていると、断られた店さえありました。札幌に限らず、市場も雰囲気は似ていました。が、今では余り見かけなくなりました。効率面からか対面での接客が少なくなり、まるでかつてのバスガイドのようなマニアル化された接客言語がコンビニやファストフードなどから全体的に拡散されました。企業のフランチャイズ化も手伝って全国津々浦々まったく同じ言語や同じ装飾の店舗が建ち、普通の会話が飛び交う個人経営の駄菓子屋も豆腐屋も無くなってしまいました。クルマに例えるならマニアルからオートマに変わったような、味気の無い時代になったのかも知れません。そして、この先にはAIロボットが接客する時代が見えてきましたね。
坊主の孫。
最近、あおり運転が頻発していてTVなどで紹介されていますが、これも今に始まった事では無いと思いますね。ドライブレコーダーの普及で明るみに出て居るのであって、これまでにも暴力沙汰や、泣き寝入りのケースも多かったと思います。それだけイライラの多い現代社会になっている訳で、行動や言動にはいっそうの注意が必要になっています。かつての企業内での軍隊調の上下関係も、男女間での言動や行動も全てが要注意事項になっています。これまでの社会環境の良し悪しはありましたが、言い換えれば、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いなどと、本音で物が言えない社会なのかも知れませんね。
seto
いったいどうしてこんな不寛容な社会、他人に心を許さないようなガードばかりしている人間が増えてしまったのでしょうか?私なんか昭和30年前半の長屋暮らしの癖がいまでも取れず、誰とでもしゃべるのですが、頼まれもしないのにおせっかいを焼くのが好きですね。もうこれは化石の人種でしょうか?どっちが世界市民に近いかといえば私のほうでしょうね。それほど内へ家へ凝り固まって生きている人の群れが企業や官庁、地域社会で不寛容な生きづらい集団や個人を作っていると思いますわ。この辺のストレスがいろいろな場面でクレームに転換していることもあり得ます。夫婦けんかしただけで、会社で機嫌悪くなりますからね。デリケートな生き物、人間ですか。