驚くことが少なくなると、精神が硬化する(五木寛之)
『眠れぬ夜のために』(五木寛之 新潮新書187p)。人生の四季の章に引用されていた。『なんといっても、人間は年をとるにつれて、驚かなくなってくる。人間、驚くことが少なくなると、精神が硬化する。びっくりするのも若さの特権だ。老人の表情がいきいきしていないのは、世の中にもう驚くことがなくなってしまっているからだろう』。月曜日の通勤電車のなかでも老人に限らず、いきいきした表情の人が少ない。
駅を降りると、東南アジアの観光客の大らかな笑い声と対照的である。たぶんそれは、日本中の都市でも同じような現象が起きているはずだと私は想像するのだが、どうだろうか。幼子や子供の好奇心あふれたいききした顔を見ていると、こちらもニャッと笑ってしまうのだが、どこでどうなってこういう精神の硬直化が起きてしまったのかと考えてしまう。喜怒哀楽がグーンと減ってしまったともいえる。お笑い芸人だけがテレビの向こうではしゃいでいる、見る側が少し硬直した気持ちを和らげる。どうも社会の硬直化と平行して、お笑い芸人の勃興がつながっているかもしれないなどと妄想するのだ。
しかし、なぜ精神の硬直化がどんどん進んでしまったのか?大きな要因はオフィース内にパソコンが導入されてから起きていると私など思うのだ。パソコン画面に向かう時間が増えて、会話や冗談言い合う機会が激減した。それはもう劇的と言えるほどで、同時に個人情報守秘義務や様々な法整備が事務所に押し寄せ、事務所づくりにリフォーム会社がやってきて外部からの勝手な侵入を阻止するなど、社員の囲い込み(ディスクロージャー)が始まった。社員の羊化である。社員への監視の強化である。机の上に名刺を置くな、取引先を明示するような書類は閉まって、帰社のときは鍵をかけよ。ノートパソコンはデスクに固定されて持ち出しできないようなシステムだ。USBなど使用禁止だ。
情報漏れがあると、総務は『それみたことか、だから管理をもっともっと』と貴重な会社の儲けを湯水のように(危機管理の掛け声のもと)費消する。そのための会議を何度も何度も開催して、貴重な人間のエネルギーを自縛のために失ってしまう。疲れてしまう。創造的な人間は、これでは自分を生かせないと独立の道を選択するか転職を目指す。
その中でも元気だったのは『遊びが上手な連中であった』。毎週映画に行く、コンサートへ行く、会社以外の友人も多くて飲みに行ったり、社用でないゴルフをしたり、中には堂々と陰気でない不倫をしていたりする。伸びやかに生きている好奇心旺盛な一群だ。自縛をしない生のエネルギーが横溢していた。たくさんの出来事に自分でぶつかっていくことで自然に驚くことが増えてくる。ブログのテーマに戻れば、精神の硬直化を防ぐために必要なのは、たくさんの異なる人や出来事に自分でぶつかっていくことでしかないような気がするがどうだろうか。
広告マン。
営業で訪問した大手メーカー系のオフイスでは、遠慮がちに打ち合わせテーブルに座って待っていると、顔見知りの営業マンが来て「営業はそんな遠慮していたら駄目だよ。もっと担当者たちのデスクに座って書類を見るくらいじゃあないと・・・」とまで言っていた時代が懐かしいですね。近年ではどこのオフイスでもパーティーションで仕切られて内部が見えなくなってしまいましたから、一体どれだけの社員が居て、どんな顔ぶれなのかもわからなくなりました。ともすれば居留守をつかわれる事もしばしば。でも、外部から見れば、その程度ですが、内部では更に監視されて管理された社員さん達が働かされているのではないかとも推測してしまいますね。昔の様に職場内でバカを言い合い、大声で笑い合うなんて嘘みたいでしょうね。きっと。
seto
馬鹿話、多かったし、私なんか郵政省職員の机の上をよく覗いてました。遠くにいる知り合いから『こっちへ来いよ、いい話があるぞ)まで言われ、そのことについて誰も何も言いませんでした。嘘のような世界で、信頼関係がありましたね。
昔の少年。
これまでも独立は何度か経験してはいますが、長かったサラリーマン生活から独立すると、先ず精神的に解放されます。束縛感が無いですから、むしろ、その方がだらしなくなるのではなく、自分をコントロールできるのです。むしろ以前よりは計画的になったり、心に余裕を持てたりと、つまらない気づかいで疲れるなんて事は無くなりましたね。
seto
無駄なエネルギー消費で創造的な意欲が消えてしまってるのが、現在の社会・企業の現実と思います。前例踏襲、ロボット言語(同じことばかり言う)、法令順守。これではアイディア出ません。
坊主の孫。
確かに年齢とともに、感動や感激は少なくなりましたね。余程危険な目に遭った時か、体調不良以外で胸がドキドキさえもしませんね。世の中の大抵の事を経験済みでもあるので、今までに経験した事の無い出来事などがあれば多少の驚きはあるのでしょうが有ったとしても直ぐに対処法を見つけてしまいますからね。驚きや、喜びなど、怒りも含めて、すべては日常の中でも、遊びの部分に成るのでしょうね。でも毎日が遊びばかりでは、また同じ結果に成るかも知れませんよ。
seto
遊びだけならきっと飽きがきますね。仕事と遊びがモザイクしているのがベストでしょうが、仕事しながらいい女や男の思い出に浸る時間もきっと何分かあるでしょうね。それよりきょうの夕食は何にするかでしょうか?