退屈について

仕事は自宅でできればそれに越したことはない。

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退屈について。筆者は国分さん以外の本は未読。

退屈なので消費する。消費する動機が退屈だからする、ずいぶん日常の暮らしに余裕がある科白ながら、物を買ったり、レジャーに行く動機を正直に現している気もするのだ。しかし、退屈だからテレビを見る、退屈だからメールでもしてみるかなど、退屈という気分は人間の行動の大きな部分を占めている。


イベントがあるから行くのではなくて、退屈だからイベントへ行くのだと考えると『退屈という気分』が『行くぞという意思』を超えている気もする。そして、消費の嫌らしい本質が、そこに物語を付けて戻ってくることだ。それを語ると次の人に伝染する。


『あそこのシュークリームは絶品。いままでの人生で最高のシュークリーム』だと有名ミュージッシャンが語れば、それがあっという間に拡散する。HPが無いことがかえって消費や購買を過熱させる。地元のテレビ局やグルメ雑誌も無料で書いてくれる。お金を取る広告はノーサンキューだ。原材料(ある町の乳牛から搾乳されるミルク)に拘れば作れる商品の量は制限される。夕方の4時からしか開店しない不思議な店だ。https://www.facebook.com/choucerclehokkaido/なにせ、ススキノの中にあるからね。そういって私も宣伝隊に組み込まれている。そして食べたが、平凡な味であった。道産子ならどこにでもある味だよねと言うと思う。


退屈だから選挙でも手伝うかなどと思ってその熱気に当てられて、当選したときの快感が忘れられず、麻薬を打たれたような高揚を味わう。選対に関わった人から聞いたことがある。選挙は非常時の出来事、日常に飽きた人々がお祭りやカーニバルで散財して熱狂するのも日常の平凡や退屈を忌避するためで、それを組織的に組み込んでいる世間。退屈な王様(皆、かしづくからつまらない)が道化師を身近に置いたのもうなづける。イエスマンばかりは疲れるので夜の逆転世界に行く政治家や企業経営者や大学教授たちの心理も似たりよったりだ。


あらゆるスポーツ、戦争、祭り、政治、映画、演劇、各種飲み会、競馬をはじめ賭け事、議論(討論)。退屈な日常を避けるために作られた巧妙な装置かもしれない。国会中継などは役者不足の下手な芝居に似ている。こういう茶化しのブログも筆者の退屈の仕業かもしれない。同じ穴の狢(むじな)状態だ。


でも考え方では、ひとりだけの退屈は一番の贅沢かもしれない。他人を巻き込まず、とりあえずその日は食べていける食品と銭があり、部屋の酸素を吸いながら生かしてもらっている。ぼんやり、昔の仕事の成功や失敗を思い出したり、死んだ同僚たちとの会話を思い出したり、急に書棚に走り、気になる1行を確認しに行く。明日は札幌で営業のお手伝いが終わったら、下戸ではあるが熱燗を一口、酒好きな彼を誘っておしゃべりしよう。


ギャンブルも退屈だからはまっていくのかもしれない。営業マンでありながら、毎日毎日4円パチンコをして、金も給与の前借をしてATMで下ろしていた。筆者に昨日3万円負けた・幾ら勝ったと報告をしていたが、本業の営業は大嫌いで『早く60歳になって年金をもらいたい』と言っていた29歳。仕事をしないので退屈な毎日を過ごしていた。彼はいまいずこ。

  1. 退屈男と退屈女はいろんな形の消費行動をしますね。若いうちは音楽鑑賞(コンサート)で追っかけしたり、飲めや歌えの大騒ぎしたり、何故か皆ブランドものを買いあさったり、被服費にお金をかけて身ぎれいに着飾って街を闊歩したり、海外旅行したり、恋愛で紛らわしたり。結婚でもすれば、家庭第一主義になる者、仕事一筋の者、どっちつかずの者などに大別され歳をとって行きますね。さらに定年退職者などは、時間があり過ぎるので、のんびり列車や、大型クルーズ船で長旅をしたり、老人会で身近な温泉バス旅行したりと、退屈を減らす事に終始します。しかし人間の本当に一番退屈な時は、年老いてベッドで迎える最後の時間では無いでしょうか。起き上がって動き回る事すらできず、誰も傍に来ない日々。来ても身内のほんの決まった人のみ。

    • 人間はそうなんですが、ほかの動物を見ていると、彼らに退屈の概念がないように見えます。池の鴨やサギ、猫もそうですね。逆に彼らから見ると『退屈だから、私猫を飼ったのでしょうとか、池に私を見に来てパンくずをなげに来たのでしょう。しょうがない食べてあげようか』とか。文明の起動は『退屈とともに始まった』という人さえいます。戦争も退屈の所産かもしれません。あいつをからかってやろうか?あいついい物持ってるな、盗んでやろうかとかね。

  2. 現代は、退屈と言う言葉が無くなるくらいに気ぜわしい時代ですね。TVでは裁判や事件事故と紛争やデモや伝染病の話題ばかり。大人も子供もスマホやPCでインターネットに夢中。通信手段が無かった時代を生きて来た我々さえ、振り返れば不思議なくらいですね。あれだけ不自由な時代のはずなのに、恋愛したり結婚したりと、今以上に活発だったように想えます。今では動かず移動せず物事を簡単に済ませる事が多すぎて、便利な反面、いろんな面で弊害も出ていますね。顔を見て話すにもネットで画面同士での会話だったり、ラインなどのSNSだったり、娯楽もTVでは無くYOUTUBEやネット配信の映画などだったり、退屈しのぎに、用もないのに雑踏の中に向かった若かりし頃の事がウソみたいですね。

    • 私も鉄道で日本中を10日間一人旅を繰り返していました。年に1回、4年くらい続けました。いったい何を自分はしていたんでしょうかと思うくらいフーテン人生でしたが、そこでいろいろ出会いがあって楽しかったですね。北海道からみて本州は同じ国なのかと疑問も持ちました。家並みや風土が違い過ぎる、北海道がアメリカやヨーロッパに思えるときもあります、広々感です。学生時代の私の退屈は旅で埋められましたね。少しの恋とね。

  3. フェリー退屈男

    全て受け身ですごしていると、退屈でしょうね。ジッとしていれば誰かがやってくれるとか、面白いTV番組や映画をやってくれれば見てやろうか、とか、自分以外の他人に依存して生きていれば、他人が面倒を見てくれる分には良いでしょうが、それ以外は自ら動かない限りは退屈になるでしょうね。酒でも飲んで楽しければ退屈と言う空白を埋める事もできるでしょうが、下戸なら最悪ですね。酒に限らず趣味でもあれば没頭も出来るのですが、無趣味となれば、また他人に依存して退屈しのぎをしなければならなくなりますね。都合よく相手をしてくれればの話ですけどね。大型クルーズ船などの長旅に求められているのは、そんな相手をしてくれる時間を求めているからでしょうね。船内で用意されたリクリェーションのプログラムサービスから、一旦出航すれば誰も逃げられませんからね。

    • お節介なクルーズですね。やれパーティーだとかバンド演奏だとか礼服を着てディナーとか話芸があったり、ほっといてくれない旅ですね。元々集団での旅は拒否なのでああいう旅には魅力を感じませんが、他人が、行事で埋めてくれる(退屈を忘れさせてくれるイベント参加)ためにお金を払う仕組みですから。まったくのタダがテレビや無料ネット利用でしょうが、どちらにしても受け身で大脳が洗脳されるのが私は嫌ですから逃げています。流行を外れることで最先端を走る生き方っていいなあと気分をよくしています。

    • どんどん娯楽が提供されること(それだけのお金を払っている対価として)で喜ぶ人も多いと思いますね、楽ですから。リモコンでスイッチを入れる人のほうが多いと思いませんか?『切る』『見ない』で自分の時間を自分で能動的に使う人は少ないと思いませんか?趣味や好きなことで時間を費やすことに慣れていると、受け身の娯楽は時間がもったいないと思いますね。男女や職業別なく、おしゃべりしているほうがよほど楽しく、新しいニュースが入ります。

  4. 退屈を楽しめたら、いいですね。人里離れた小屋で自家水力?風力?太陽光?発電でインターネットだけ引いて、電話もラインなどの無料、いろんな税金も無く、谷水を引いて水道代も要らず、お金が無いので食料は自給自足で動物性たんぱく質は狩りをして、なんて?考えると結構忙しくて大変で、退屈を楽しむどころじゃあ無くなるかも知れませんね。

    • 一番、多忙な生き方になるでしょう。子育て真っ最中のお母さんンもそうです。昨夕も帰りの電車で泣く赤ん坊の背中をポンポン叩きながら体を揺すり続ける母親を見て、頑張ってくださいねと思いました。おっぱいが欲しいのかおしめが濡れているかですね。小屋での自給自足は万能人でないと生きられないかもしれません。太陽光発電があれば文明生活はできそうですね。人里離れないところでの暮らしが安心ですよ。

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