現代の父親像と子供に何を残せるか。
知人とお茶を飲みながら、ブログのテーマが決まったようなものである。若い人から見て生き方のモデルがいなくなってしまったのではないかという筆者の問いかけに対して、そのテーマでブログを書いてみたらということであった。スポーツ選手なら憧れの●●選手、芸能人もモデルは見つけやすい。
しかし市井の大多数の日常生活を送る人たちが、自身の職場や周りにお手本になる人がいるだろうか?別にそんな人を敢えてモデルとして探す必要もないとはいえ、そこそこいい仕事をしてきた人に聞くとそれぞれの限定的な世界でもお手本は見つかるのではないかということだが、ことはそう簡単ではない。
偶然、読んでいた『ニューズ・ウィーク』3月14日号が(ポピュリズム大研究)の特集で、ペラペラ読んでいると『欧州ポピュリズムの歴史的考察』というニューズウィークのコラムニストがわかりやすく書いていた。『イギリスでは国民の約3分の2が、子供たちは今よりいい暮らしが送れないと考えている』『フランス、イタリア、ドイツはさらにさらに悲観的だ。社会の進歩を示す最も基本的な尺度は、人々が将来に自信を持てるかどうか。
特に子供たちは今よりいい生活ができると信じられるか?』『1948年から1973年まで人類史上最も目覚しい経済成長が実現した時期だった。この期間、西欧・北米・日本の先進工業国は繁栄を謳歌していた。子供たちの世代はもっと繁栄を謳歌できるようになると信じられていた。』(歴史家・マークレビンソン)。
これらの文章を読むにつけ、本題の『現代の父親像と子供に何を残せるか』というヒントがあるように思えたのである。子供にとって父親は外の社会の価値観の縮図である。帰宅した父親の機嫌の悪さ、陽気さや夫婦の仲良し・不仲など、子供がこれから出て行く社会を擬似的に、間接的に子供に伝える。子供は幼くても少年少女でも両親のケンカを一番嫌い、敏感に反応して後々の人格形成に大きな影響を与える。不況で夫が失業したり、生活が苦しくなる転職で妻たちも共稼ぎが当たり前になると育児は保育園に丸投げして稼がないといけない。当然、両親の経済力に依存する子供たちも多く出てくる。
筆者には、若い世代が親世代に無意識に言葉は悪いけど『復讐』をしているように思えるときがある。スタバや居酒屋で何組かの若い世代同士の会話を聞いていたり、『年金世代をはっきり言って支えたくない。なんで少数の子供がたくさんの老人を支えなくてはいけないのか』『彼ら老人のために年金の積み立てをするのが馬鹿馬鹿しい』とまで断言する。
ある組合の強い大手企業が定年を65歳に引き上げる案が出てきた。若手社員が猛反対をした話を聴いてさもありなんと思った。まだ解決はしていない。60歳で定年して高い給与を確保されて、さらにその水準を多少下がるにしろ、ボーナスも保証された65歳までそこにいられるのは耐えられないのだ。定年後のOBの人たちへ企業年金支払いに40億円のお金を現在も注ぎ込んでいている。
昼飯時のメンバーを観察していると、世代を超えて楽しくランチタイムをわいわいしている組は圧倒的に少ない。世代で固まっている風景が多い。私たちが子供に残せるのは『教育の大切さ』と尊敬や軽蔑も含めて彼らの『壁』になることではないだろうか。しかし、『壁』と言っては抽象的で無責任だ。それよりも若い世代が生きやすい制度や年齢を超えた信頼関係つくりを日常で実践するしかない。不信から軽蔑や無視が発生するし、『あなたを信用してますよ』『絶対、あなたがここにいなくてはならない存在だと言動で示すこと』。上手に言えないが、若い人を見ていて、それだけは通じる気がするのだ。『壁』はきっと父親が意識的に作ってる可能性が大きいかもしれない。新しい治しづらいうつ病の蔓延は、だから年長の人間のほうにその原因の多くがあるように筆者には思えるのである。
昔の少年。
子は親の背中を見て育つと言う時代が変わったのかも知れませんね。サラリーマンの親の背中は子供たちには見えないでしょうね。会社でこなしている仕事は家庭内には持ち込まず、家族もその仕事内容については知らず、ただ毎朝出勤して疲れて帰ってくる父親を見ていても学ぶことは無いかも知れませんね。職人とか家内工業であれば間近にその働きぶりを観る機会も有ると思いますが、国民のほとんどがサララーマン時代ですから、父親の存在は給与を運んでくる(振込)人くらいにしか思えないかも知れませんね。余暇を利用して子供たちと遊べる父親ならまだしも、疲れ切っていたり、休日は会社の延長で付き合いゴルフに出かけたりしていれば接触する時間も無くなり父親の影も薄くなりますね。そんな子供たちは母親だけの教育で育ちますから、ともすれば不仲の夫婦の場合、父親の尊厳は無く、むしろ馬鹿にされ兼ねません。そんな父親にはなりたくないと考えていたとしても、では?、どんな大人になりたいのか?と言う答えにはならないでしょうね。昔はサラリーマン家庭が羨ましかった私ですがね。
seto
私も夜勤を終えて帰宅するやすぐに就寝する父親を見てましたが、現実どんな仕事をしているのか数回見に行った程度でした。『疲れて帰ってくる』というのが実はポイントで、奥さんが職場での勤務経験があれば夫への理解も深まると思いますが、『疲れたお父さん』なら子供はシグナルで『社会って過酷で、お父さんが疲れて帰ってくる。ろくなもんではない』と判断されてるかもしれません。
自我爺さん
現代っ子たちは、便利さに慣れっこになっていて、自由気ままに食べたり、スマホいじりに興じています。今回のCOVID-19の影響で、長い休校から、さらに春休みに突入しましたが、外出も近所へ出かける以外は家庭内でLINE通話やゲームで過ごしています。学校も休校、外出も制限されて、生活サイクルが夜型に変わりました。深夜までスマホ、昼まで寝て午後になってごそごそ動き出すので、親たちの生活リズムも狂っています。COVID-19が早く終息してくれなければ、親たちのストレスも限界に達するのが目に見えています。我儘に振る舞い、甘やかされて育った子供たちに、親たちの威厳も、人任せだった教育も全て失っています。こんな時こそ真剣に子供の将来を考えて導いてあげなければいけないのでしょうね。
seto
近所の公園を散歩したり、郊外へドライブで(ことのほか空気がうまい、早来へドライブしましたが)新鮮な空気を吸わせてあげましょう。GEOに行くと社員が『きょうはゲームソフト発売日で朝から混んで混んで大変でした』と言ってました。将棋やマージャンをパソコンでする程度でゲーム世代ではないのでわかりませんが、パチンコに一時はまった私なのでえらそうなことは言えません。どんな時代や社会が来ても『生き延びる知恵』を身につけて欲しいですね。そして、他人を助けるですね。
広告マン。
何処の会社でも、いつしか忘年会や新年会や観楓会をしなくなりましたね。昨年の暮れには、或る会社の社長さんから頼まれて、クリスマスにデコレーションケーキとスパークリングワイン(@6,000円ほど)をセットで社員100人弱全員にプレゼントする事になり、私が調達しました。忘年会で嫌々参加されたり、不参加が出たりと足並みが揃わないと見越していたからです。しかし、その気づかいも残念な事にクリスマスイヴの日がその会社の定休日で、社員からは、休日に会社にわざわざケーキごときを貰いに行くのか?との意見も耳に入って来ました。結局は前倒しで渡す手配はしましたが、親の気持ち子知らずで、若者たちに何をしてあげても有難くない時代になってしまいました。では?一体?どうして欲しいのか?答えは見つかりません。こんな事はよくある話のようですが、コミュニケーション時代の筈が、むしろコミュニケーション不足時代ともとれる事が多いですね。
seto
ワインとケーキの話、ありがた迷惑に感じる社員がいたのですね。お金使って感謝されず。たぶん仕事をする会社への所属感がずいぶん違うのでしょう。いつのまにかたくさんの派遣や臨時雇用やパートが当たり前になって、どちらかといえば使い捨て感覚で社員を雇い入れしてきた企業への若い世代の『深いところで、企業や中年おじさんを信用していない』『あんまり仕事を終わって構ってくれるな、プライベ^トな時間だよ』と言外に言ってるのかもしれません。復讐的な意味もあるかもしれません。ここに年金もあります。もう払いたくないと、この国に。
坊主の孫。
子供たちは別としても、不安定な時代に生きる若者たちには、先行き不安で結婚どころか生活そのものを心配している人も多いのでしょうね。しかし考えてみれば、自分たちの時代も、先行きは不安でした。レールに乗れた人は別にしても、親の後ろ盾も無く、一人で社会に放牧された羊みたいなもので、自分で仕事を、餌を、探すしかありませんでしたね。でも、そんなお陰で何とか生きて来れたわけです。ですから、時代のせいにばかりせずに、親族や他人に頼り過ぎず、自分自身の人生は自分で切り開いて行って欲しいですね。
seto
甘やかされて育つと難しいところありますが、人生どうにかなるもんです・・とでも思うと肩の力抜いて新しい展望開けてくるのですが。生き延びる知恵に3つのことがあります。1は何でも食べる2はどこでも寝れる3は誰とでも友達になれる。
現役高齢者組。
若者と高齢者が混在した職場にありがちな話は沢山ありますね。混在するからお互い反発するわけで、初めっから別会社にして若者組と高齢者組に分ければ問題は解決すると思いますね。若者組の組織も、高齢者組の組織も、のんびりして居られませんね。自分の食いぶちは自分たちで工夫して稼がなければいけないのですから。大きな机で座って毎日新聞ばかり読んでいる社員なんて居なくなりますよ。