言葉に溢れた世界。
言葉に溢れた世界。
電車通勤で、スマホいじりを見ている。私は携帯とデスクトップだけだ。小さな文字を追い、画像を追い、会社へ行けばパソコンに向き合い、文字や数字を追いかける。眼精疲労が心配である。昼休みに一度肩こりがひどくて10分1000円のマッサージに行ったことがある。「お客さん、OLも昼休みに多く来ますよ」と教えてくれた。だろうね。活字離れが進んでいるどころか、活字中毒になって、いまさら、朝刊で文庫本1冊分の活字を読めますか?と異議申し立ての声が聞こえてくるようだ。
まだ、ゲームをしている方が健全かもしれない、文字休めに。マンガやファンタジーの流行も「そこは嘘」という約束のもと、安心して遊べるエリアだ。ところが、新聞やテレビ報道は、尾びれに言葉の解説がついてくる。半分真実、半分作り話、半分偏見、半分云々。ついていくだけで疲れてしまう。
きょう、本好きの人と「活字離れ」について話したが、彼は、どうでもいい本を山のように出す出版社批判を繰りかえした。どうでも良くない本が読まれる世界を理想としている。その本は、たぶん彼自身の主観の中にある本たちだ。私は、ブログに書いてるように「スマホやネットニュースも活字だらけで、それを読むだけでも読書に近いものがあるかもしれない」と言ったが、少し自信がない。古典的な読書体験に大きな影響を受けているからだ。どこを検索しても文字だらけで、写真やゲームを見たくなり、新聞やテレビ離れを起こす。
画面に出るニュースはすべて過去だし、未来ではない。終わったことを後付で説明している世界だ。事件はもう終わってしまったのだ。過去、過去、過去ばかり見て生きている。「後ろ向きになって未来に入る人たちだらけだ」。この方が安全だし、他人との話題もスムースに行く。「昨日の日本ハムの大谷は5回まで巨人打線から8三振を取った」「昨日のアメリカ共和党大統領候補トランプは〇〇州でまた勝った」。
失敗にせよ成功にせよ。アメリカの大統領選を見ていて、文字や活字より何が強いか?感情の力だ。安倍首相の予算委員会での野次(感情の吐露)もそういう延長にある現象ではないかと筆者は思う。理性や言葉に現代人が相当疲れていると思うのは筆者だけだろうか?
坊主の孫。
読書も毒書も読む見る行為は同じですが、前者と後者では消化した後味には大きな違いは有るのでしょうね。いずれも読書家のジャンルに大別されるのでしょうが、現代では更に身近に映像やそれに伴う文字情報の氾濫で受け手側も疲れ気味なのでは無いでしょうか。すべてを読み、見て、聴いている人は、そう居ないのではないでしょうか。その結果、自ずと必要?好み?に合わせて選択しているのでしょうね。情報を多く取り込むほど、そのための時間は必要になり他のやるべき行動も犠牲にしなければなりません。情報と行動のいずれを採るかは個人個人のバランスへの考え方の違いでしょうね。
seto
コロナに異常に詳しい人もいます。単なる好奇心なのか、自分を守るために必要な知識を集めているのか、防ぐ新しい方法を思案しているのか、だれよりも知識があることで知識人ぶってるのかその意図はわかりませんが、自分が罹患すればすべて崩れます。罹患して人生観が変わったり、生還したときにウィルス感染時の自分の心境を語り継ぐことはできるでしょう。テレビは消したほうがよろしいかと存じますが。ユーチューブでコロナウィルスで検索して様々な分野の人の発言を聞くほうが賢いかもしれません。
広告マン。
同じ言葉や同じ歌でも、人それぞれですね。言葉では語気を強める場合や、歌では感情表現の違いなど、同じ言葉でも使い方次第で受け手への伝わり方が大きく変わってしまいますね。文字だけの場合には、よほどの名文でも無い限り、解釈次第では誤解さえ招く事にも成り兼ねません。文字だけの手紙も少なくなりましたが、メールの文書や、スマホや携帯でのやり取りでは、ほんの少しの手違いで送信してしまって後悔し、結果、誤解を招く事もしばしばですね。素早い伝達方法としてのメールは有効ですが、感情の無い文書のやり取りに過ぎませんから、要注意ですね。
seto
メールは元来、実名なので信用価値があります。出し手の顔を思い浮かべながら書きますからね、一番安心です。トランプは攻撃的、安部は観念的な言葉が頻出ですが、選んだのは国民ですから笑えません。小池都知事も肝心なところは(政府と相談して)と逃げます。みんな逃げる癖がついた人たちがトップを占めている異常な世界です。逃げるのは官僚の世界です。責任なんか取りたくないよ・・・という明治から始まる官僚たち。順調なときはいいが、新しい事態になると右往左往。前例のないことにすぐに対処できない、その間、たくさんの国民が犠牲になります。国民の僕であるはずの公務員が、まず自分の暮らしの安定でずっと走ってきたツケです。ここで地震でも起きたらどうするのでしょう。災害は重なるものです。
昔の少年H。
新語も増え続け、年々言葉は複雑化していますね。最近ではクラスター?パンデミック?ロックダウン?などなど専門語も混じったような和製英語も飛び出して、ついて行くのが大変な時代です。国会討論やTVのコメンテーターなども高学歴なのは良いのですが、自分の世界観で語るのは困りますね。難しい言葉で理解しがたい演説より、判りやすい言葉で語っていただきたいですね。
seto
わかりやすい言葉で語るのが一番、知性が必要なところですから。和製英語をしゃべるだけで、自分は何か物知りになった気分になるのでしょう。全部、やさしい日本語に変えられるはずですから、せめて自分たちはやさしい言葉でコメントしあいましょう。ロックダウンは、ロックグループが公演できず、皆解散になってしまったというように最初、筆者は思いましたね。東京での公演ゼロ状況です。