人生は暇(コロナ禍で不謹慎なブログ?)
人生は暇つぶし
人生に暇があるから趣味や好きな学問や研究に没頭できて、恋愛も失恋も仕事も旅行もできると考えると『暇』という代物がとんでもない化け物に見えてくる。
ひとつのことに集中している他人を見てみると、それに向かう形相とは別にどこか滑稽とか狂気に入っているようにも見える。動物を見ていると食べる・寝る以外は暇人(動物)にしか見えないが、風格があるのはどうしてか?人間は余計なビルを建てたり、穴を掘ったり、埋めたり、土管や電線を張って、家に電気を通して、パソコンやら携帯をいじらせ、ゲームで暇な時間をつぶしたり、その暇を買うためにお金を払い、払うお金のために働き労働を売る。本屋へ行けば、暇な時間を活字やCDやDVDを売っていて時間つぶし産業が流行る。それでも不安を抱える人は不安産業興隆の世界を覗く。プラス思考だの自己セミナーや新興宗教の誘いに乗る人も多いし、コロナ禍で失業や希望を失う人たちを大声で怪しげな人たちが跋扈してくる。怪しげな人をかわすためにヨガの基本(一人1宗)。一つの宗教に信者は私だけ。これなら教団組織維持に金は要らない、私は私、あなたはあなたである。
映画も時間つぶし産業、テレビも電気紙芝居と思えばいい。スポーツも昔あったゲーム盤を人間がしていると思えばいい。おしゃべりも暇がなければできない。サラリーマンも8時間のうち実際、集中力を発揮している時間は半分もないかもしれない。忙しそうに暇をつぶしている人が多いと思う。『それって仕事?またゴルフ?それって会社のお金を使うの?』、そんなサラリーマン上がりの経営者の群れを見てきたから、そんな管理職が回りにわんさかいたから、筆者は『暇には敏感』だ。
ブログを毎日書いている今のほうがサラリーマン時代より働いているかもしれない。収入はゼロだけど、エネルギーは本読み・テーマ設定・文章書き・校正など多岐にわたる。悪戦苦闘の毎日である。モンテーニュという16世紀フランスのエセイイストに(暇について)書かれてないか調べてみたが、宗教戦争の只中で、暇について考える暇はない。
パスカルなら人間のすることはすべて『慰めごと』という発想があるから彼の『パンセ』に書かれてあるかもしれない。探せたらまた書きます。『人生はアドベンチャーではなくて暇つぶし』なら、戦争や狂気の発現や戦いに勝つ意志へ紙つぶてを投げることになるかもしれない。
人間は静かに生きることが嫌な動物種のかもしれない。我が家の庭に咲くツツジやバラたちブルーベリーの木々を見て、人間が掘り返して移動させないと動かず、静かにそこにいて太陽を浴びて、水を根から吸い込んで呼吸をして、時期が来れば、誰が見ていなくても黙って咲いている。隣家は誰も住人はいないが秋には見事なツツジが紅葉している。移動は戦争を引き起こす、国境線の変更も。しかし、国境線が人工的に引かれただけならどうする?国境線を越えて移動するのが難民たちだ。貧困と飢えや戦争から逃げる。
人生は暇つぶしといえるのは、だから筆者がほどほどの暮らしのなかに生きているからだと指弾されそうだ。
昔の少年。
暇と感じるか?居た堪れず苦痛と感じるか?は人それぞれでしょうね。コロナ渦の[STAY HOME]今の状態を不安もなく、むしろ楽しみながら、のんびりと生きられたら。と考えますが、元の暮らしに戻せるかどうかも不透明な事態が続く今を考えれば暇も苦痛に感じてしまいます。働かずとも生きて行ける保証と言えば長年加入して来た年金の受給のみですが、それも健康ならまだしも、一旦病気や介護が必要となれば担保には成りませんね。先々を考えればキリが無いので、その時々で、今現在の事だけを考えるしか無いですね。
seto
私はじっとしていないので、きっとどこかで動きまわるでしょう。退屈には感じなかった社会人のころもありましたが、他人とビジネスしたり会話が楽しいですね。暮らしの保証は、生きていけるだろうろいう楽観だけが支えです。いま現在を全力で勤めあげていくしかないです。たった一人になっても、野垂れ死はしょうがないと受け止めるつもりです。
仕事半分遊び半分主義
側から見れば、仕事熱心と見られているのでは無いかと自画自賛して居ますが、実はずっと以前から実践しているのは「仕事半分・遊び半分」主義です。午前中は集中して居ます。更に集中する場合には午後2〜3時まで位が関の山ですね。後はブラリと外出。それが仕事に繋がる場合もあり、全くの遊びだったりと自由に動きます。疲れていれば広い駐車場や郊外の静かな所で車中昼寝です。果報は寝て待ての通り、そんな時に限って仕事が舞い込んで来たりしますから不思議です。一日の半分位は暇を作るようにして居まから、半年は遊び感覚ですね。
seto
遊び半分、仕事半分はその境目が難しいです。私は街中をキョロキョロして歩いてますから浮浪児営業です。目的無く歩くと前後左右の観察ができます。これが目的地一つだと行って帰っておしまい。子供の遣いです。暇や雑談を生かせるかどうか、未来をつくるのに必要なことです。効率的な生き方からは生まれにくい創造の世界。ヒラメク瞬間です。
匿名
暇も自分時間と考えれば、自分のために大切にしたいですね。誰であろうと他人に指図されたことは気が進みませんね。その反対に自発的にやろうと思った事は面白いですね。暇時間はそんな事で潰したいですね。
seto
最近はベッドで寝ながら文庫本ばかり読んでます。黒川検事ですが、元々検察庁の黒い話は昔からあって、次期検事総長が暴力団の交際費でベトナムへ買春旅行に行っていた写真が公表されて。その人事がなくなった事件があります。『噂の真相』です。バックナンバーを探して採録しようと思います。これも私の暇のなせるわざ(笑い)。当時の噂の真相記者(フリーランス)が、噂の真相廃刊後、その仕事場を週刊誌に移しました。元々大新聞やテレビ報道の生ぬるさに不満を持つライターですからね。
匿名
「暇」を見つけるなんて言いますが、実際にはみんなが「暇」を身につけていると思いますね。但し、人によって、それを「暇」と感じているか否かの違いでしょうね。心にゆとりがあれば「暇」も楽しめますが、ゆとりが無ければ、楽しむどころか焦ったり、余計なことをしてしまいますから無駄な動きをし兼ねません。無駄な動きは「暇」を無くす事につながり、そんな人には「暇」もゆとりも出来ませんね。
seto
定年後、皆さん、正直に『毎日、暇で退屈』と言います。中には『いあや、趣味に忙しくて』という人もいますが、さらに『野菜作りで畑に忙しい』とは言うものの
苗を植えれば後は水撒いてお日様次第で、それ以降退屈な日々が続きます。空白の時間を無理をして潰している(用事をつくる)のかもしれません。誰かからの注文仕事で忙しいのであって、内発的にこれを自分のためにやる人は少ないと思います。誰かのために人間は動いて働いている・・・自分のためには生きていない。そう思うこのごろです。