人も企業も敷居を低くする生き方。
人も企業もこれまで、社会との間に高い壁をつくって仲間内で居心地のいい日常を暮らしてきた。閉鎖的ということは壁が厚かったり、壁が高過ぎて超えられないことだとすれば、そこは刑務所。秘密の多い企業(かつて消費者金融・武富士という会社は自分の社員にまで盗聴をしかけていた)もしかり、改竄文書をする財務省しかりである。決算の改竄をする会計事務所もそうだ。しかし、それをするのは具体的な名前を持った人で、彼らの秘密体質が企業や親分のためなら体を張って守る。他人や社会への敷居を高くして生きているわけだ。そういう公的な面で壁や秘密保持に邁進する一方、SNSでは自分をさらけ出す芸能人や政治家や私人が多い。そこで相手を叩いたり、叩かれたりしたり、自慢ごっこをしたり、遊んでいたりケンカをしている。空間と時間の無駄、電力の無駄利用ゴッコである。サーバーが可哀想である。
さらに過酷なのは、一度、自分について書かれた投稿が虚報であってもそれを消去させるまで、手続きが面倒なことで、過去に何かをしでかして掲載されたことが、20年30年してぶり返されて、現在の自分の頑張りを消し去ったり、地獄へ落とされるかもしれない恐怖だ。しかも投稿したのはほぼ全員、匿名者で直接抗議できない仕組みだ。どうやってそれを解決したらいいのか。弁護士を立ててライン社やツイッター社、フェイスブックへ削除の申し入れをしたり、投稿者を特定できる方法はあるが、費用もかかるし、生死に関わらないのであれば忍従している人も多いと思う。
匿名は、相当、その人に公共性が高くないと、人間の持つ両義性(善と悪)の悪性がぞろぞろ出てきやすい。相手と自分の敷居が水平であれば,丁寧語で語れるはずだ。目の前にその人がいるような環境で書いたり、しゃべったりできるはず。
コールセンターで勤めていた知人の奥さんの話では、電話主の罵声でうつ病を発した職員もいて、必ずそういうときはベテランの職員が変わって対応するし、「この電話は録音させていただきます」と防衛線を張っている企業も多い。
結果として、社会や企業や人々が「信用」や「信頼」を自ら崩してきた。たくさんの壁、不信と不審があちこちでつくられて息苦しい社会をつくってしまった。せめて、自分の周囲だけは開放的な伸びやかな空間をつくり、自由な発想が飛び交う世間にしたいものだ。
坊主の孫。
誹謗中傷なども昔は雑誌などで叩かれる以外は、せいぜい陰口でしたから拡散の度合いも知れていましたが、現代のネット社会の自由勝手過ぎる構造では新型コロナ感染拡大以上の拡散伝染となりますね。これがある国等であればネットのロックダウンさえ可能なのでしょうが、民主主義国家ではそれも出来ませんね。余りにもひどすぎる犯罪的なものについては記事削除の最終手段はあるものの、それまでの間にも拡散は全世界に。投稿者の実名はありませんから特定するにも一苦労ですね。ネットは自由な世界の筈が実は見えない壁がある訳ですね。面と向かって言いたいのだが言えず、ネットと言う壁の裏側で自己保身しながら陰口を連発ですから、しかもその壁の向こう側には無限に拡散する世界があるのですから格好の武器を得たかのような錯覚に陥ってしまうのでしょうね。今後のネット社会はどのように変わって行くのでしょうか。
seto
言葉は悪いですが、子供に刃物という言い方があります。気違いに刃物とも言います。陰口、悪口、妬み、嫉み、恨み、罵詈雑言、ヘイト、死ねという究極言語、もう何でもありですが、しかし、実際、その中で本音があるとしたら、本来公で生きるときに守らないといけないマナーが崩壊しているともいえます。本人の中でモラルハザードを起こしています。政治家の大半、日本の政治家に限らず、北朝鮮や中国やアメリカバイデンもウクライナから長男に毎月500万円が支払われていた現実。大きな企業の会計粉飾決算、私が勤めていた会社でも残業時間の水増し、架空会社への製作費支払いと本人の酒池肉林。数え上げればきりがありません。権力と武器を持つと簡単に人は欲に流れる・・ということですかね。ネット社会は悪くなってもよくなるとは思えません。なぜって人間の質が低下しているからです。