『知識を足すより、思い切って減らす』(加筆)
知識を足していくよりも、思い切って減らして、キーワードで分析する。
間違った知識や偏見、思い込みや観念なら捨てたほうがいいと誰しも思うが、さて、いまの自分にある、積み上げられた知識や観念のどれを捨てて、どれを残すか考えると困った困ったである。自分の持っている知識や観念は全部、思い込みかもしれない。日本の教育システムの柱である受験勉強に自分の大脳が洗脳されて、それから抜け出したくて、ひとりあがいて50年が経過した。
恥ずかしい話、まだ迷妄の中に生きている。特に歴史について、書き残された歴史が為政者にとって都合のいい話ばかりで、太平洋戦争の原因を自分で学ぶうちに、どれが真実で信じるに値するかわからなくなってきたことを覚えている。知を積み上げる土台がそもそもグラグラでは歯と同じように、知識が積み上がれば必ず崩れる日が来る。私の歯も近日中に斃れる日が来ること間違いないように。
戦中の日本の新聞メディアやラジオ、軍部の宣教、大本営発表は戦意高揚のための嘘の塊であって、それは現代も変わらないと思う。戦中の日本が私は平成の今となっても同じ現象を繰り返し、平成の次の代に替わっても繰り返す予感を持っている。特に官僚は戦前の官僚となんら変わらず、責任という観念が100%欠如、国民にとって大事な話は隠してどうでもいいことばかりを繰り返す癖。それは明治以来、全く変わっていないと思う。
富永仲基(なかもと)が分析した民族(国民)の癖でも日本人の癖は隠すことだと明示されている。現今、はびこる個人情報保護法が度を過ぎた適用範囲に拡大されるのもそういう民族的な癖が過剰を演出させている気がするのだ。たとえば財務省は虎視眈々と消費税10%の決定時期を推し量っている。官僚たちの現役を引いた後の天下り先は物凄い数である。暇を見て都庁や県庁の近くのビルを調べてみるといい。社団と財団法人は必ず、あるビルに固まっている。そこにたくさんの眠そうなおじさんが雇われ、税金で暮らしている。年金の支給年齢を伸ばすと、まず役人たちの給与を優先に確保しなければいけないから10%の消費税は「自分たちにとって必要なのである」。
*富永仲基・・江戸期の思想家・富永仲基が儒教・仏教・神道を国民性の違いで”くせ”と名付けた。儒教は文辞、いまの弁舌なりと。仏教は幻術なり。神道は隠す癖があると喝破した。隠す・・か。「倚(寄)らしむべし、知らしむべからず」が、ずっと続いてるのかもしれない。国民の生命・財産にかかわる重大な年金問題、沖縄返還交渉の内容、核兵器の3大原則を実は無視して空母寄港、福島原発の希望的観測ばかり発表した学者たち、大きな声で断定的に説教する人間には嘘が多い。聖書とコーランの話から話題が離れたが、富永仲基については、加藤周一著作集第3巻318~319pを参照されたい。31歳で 病死しなければ、個人名の出ない歴史を人類史上初めて書いていたかもしれない。*
しかしこの本音を先に出さないで官僚は「医療費や介護、高齢化による支出の増大」という名目の話を記者クラブへ数字をつけて文書で流す。真面目なテレビや新聞の報道部はこの記事に味付けをして、学者のコメントをつけてニュースを作り国民を洗脳している構図がネット配信を含めた現在のメディアの状況である。財務官僚は後ろでニヤニヤ笑っている。財務官僚はそうすることで他の省庁の職員より重責を担い、抜きんでた存在になる。戦前の大本営と変わらないと私が言うのはそういうことである。大本営が財務省になっただけである。
しかし正しい分析はどんな小さな事実からでも、推理推論でその先を読める。碁や将棋の世界でも何手先まで読めるかの知恵比べである。それには、相手の癖を読むのも一つ。日本政府の癖は「隠すこと」、「官僚は責任を取らないよう仕事をする」、「自分たちが楽で生き延びれるためには弱者の同胞は多少犠牲にしても仕方がない(棄民やむなし)」「私どものような暮らしをしたければ難しい公務員試験を受けて受かってみよ」。こういう官僚の生き方は、しかし、近代国家を作ったときから必然であったかもしれず、資本主義・共産主義に関係なくはびこるものらしい。
最近、図書館や文化施設に指定者管理制度を設けて、施設運営を民間事業者へ丸投げする自治体が急増している。「民間の知恵を借りて活性化する」という建前であるが、難しい公務員試験を通過したなら、そのくらいの知恵は給与分出しなさいよ、民間に甘えるなと図書館運営についてのアンケートに私は書いた。民間も官に甘え(原発事故責任を東電は取らず・取れず)、官は民に甘える(国民を楽にさせないで、税金で美味い汁を吸う、かつて集まった膨大な年金を社保庁が全国に保養施設を作り、自分たちの天下り先として2回目3回目の退職金を盗んで何事もなかったように生きている。警察も裏金作りで架空領収書を作りせっせと溜め込み、飲み食いや餞別に使う)。住民基本台帳をつくるのに兆の金を使いながら機能せず、あらたにマイナンバー制度を導入。この国のソフトウェア開発費を湯水のように無駄使いをして恥じない。
『税金は所詮、他人の金、次世代がなんとかするよ』という金銭感覚が、全国の政治家に妖怪のように拡散している。きょうも涼しい北海道で体を休めるため全国の自治体の議員バッジをつけたお歴々が大声でバスから降りて、記念撮影をしている。そろそろ議会制民主主義に代わる統治制度を発明しないと、税金を活かすのではなく捨てる制度になっていると思う。ECも中国も同じだ。
そろそろ、ここらで、いいコロナ。
とうとう、あの令和おじさんが総理になりました。あれだけ騒いでいた前総理の姿はすっかり隠されてしまいました。野党も戦う矛先を失い、共闘に備えて立憲民主党など再編成をしています。どれもこれも大掛かりに見えますが歴代からの繰り返しです。コロナ禍で大見えを切り、国民への支援策などと現金をばら撒いて国民を黙らせる手法も、他人の(国民の税金)財布ですから、当のご本人たちは誰も腹は痛みません。国民はすっかり騙され、自分の足を食べているタコですね。コロナ禍で経済が落ち込み国民がもがいていても、何の影響も受けない議員や公務員たちには現状を肌で感じる事は出来ないでしょう。それでは真剣に景気回復策に取り組めませんね。GOーTOキャンペーンとか、いかにも名案のように見せかけてはいるものの、すべては国が負担。つまりは国民の税金を投与しているだけに過ぎませんね。この次に来るのは「増税で取り返す」事くらいは予測がつきます。その理由は、コロナ禍で支援金をばら撒いたからと言うのでしょう。毎回毎回同じ手法しか考えられない政治に麻痺した人たちも手に汗してボランティア活動でもしない限り、上等なファッションで国会に居眠りに来ているだけでは国は栄えるどころか衰退の一途ですね。税金の無駄遣い=増税につなげる政治手法も、そろそろ、ここらで、いい頃かな。
seto
レイワおじさん、72歳ですから。首相に65歳までとか国会議員は62歳までとか制限あってもいいように思いますね。大脳が活性化しなくなると思考もパターン化して、大事な仕事を丸投げすることになります。小泉時代の竹中平蔵がブレーンで入ってきたので要注意。また外資に日本の金をぶんなげることを始めますね。この部分、もっと報道しないと。パソナ(派遣)の最高顧問で、オリンピック契約社員をごっそり持って行った政商です。税金でいい思いをしてると止められません。麻薬中毒です。政治家にはもう一度、議員として資格あるかどうか面接と日本語の使い方、憲法や法律の勉強、被災者の住民への1か月のボランティア義務、1か月の農作業従事、英語であいさつの訓練などを課したほうがいいですね。100円でも頭を下げて稼がない民間の現実を知らしめないと。まあ、税金で食べている業種はゼネコン、クスリメーカー、医者や病院、自衛隊に出入りするメーカー、国立大学、補助金を受けているすべての学校とその職員、財団・社団に勤務する元公務員、NPO法人の大半。すそのが広過ぎて見えなくなります、そして全国の市町村職員と議員たちです。税金の払い甲斐のある国になってるならまだしもお粗末。日本に限らず、世界中、似たりよったり。猫も杓子も公務員を目指すわけです。
昔の少年。
これ以上知識を減らす?と何も残らなくなりそうです。それだけ雑学しかため込んで居ない自分に気づきます。未だに読書嫌いな癖は治りませんね。近所には退職後も大学に通う方も居ますが、若者に交じっての受講は大変そうです。でも感心しますね。
seto
雑学が雑談に変化するので仕事や近所付き合い、友人との会話でも財産になりますね。『世間は1冊の書物』(デカルト)だと思えば、毎日毎日生きてることは書物を読み解いていることともいえますね。定年後の大学通い増えてます。大学経営上、おじさんおばさんから授業料取れるし。兄が60歳で定年後、大学に通いました。図書館も使え、プールや運動施設も学生同様使えるのですが一番の楽しみは先生(自分より年下)とのおしゃべりであったと言ってました。口から出る言葉がいつでも印象に残りますからね。半年でやめました。