『自然』は過去の習慣に忠実である。(寺田寅彦)
『災害は忘れたころにやってくる』と語った物理学者の寺田寅彦さんの『津浪と人間』(波でなく浪という漢字を充てていた)(平凡社 寺田寅彦83p)から。自然は人間のことなど忖度しない。原文はこうだ。『(自然)は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやってくるのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方即(法則ではなく方即と表現)とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである』。
私たちはこう考えるから、自然よ収まってくれ、地震や津浪や火山の噴火を起こさないでくれと祈るのは結構だが、赤ん坊の泣き声と同じように突然に泣きわめく。自然とはそういうもので、それを探求する科学の発達は『過去の伝統の基礎の上に時代時代の経験を丹念に克明に築き上げた結果である。・・・二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して他所(よそ)から借り集めた風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などはよくよく吟味しないと甚だ危ないものである』(同著84p)
ウィルスについても、人間と動物(家畜との共生)が始まって以来、シラミやノミやネズミを介在して何万年前から続いている。いまに始まったことではない。古来と違うのは交通の頻繁さと都市の過密化で、当時は自然免疫しか予防策はなかったが、その伝統でいくと薬としてのワクチンより自然免疫が人類史的には正しい措置だと思うがどうだろうか。薬メーカーの異常なまでに株価を意識した開発、暴利が転がってくるチャンスとばかりに偽情報を流したり、副作用の厳密な検証結果を待たずにとりあえずマスコミに流したり、政府に売り込むロビー活動だ。
それと今回の新型コロナウィルスは、致死率が低い。新型コロナの死亡はほぼ肺炎で高齢者が多いし、がんや糖尿病など病気持ち(私は心筋梗塞+糖尿病だ)にも死者が多い。しかし、高齢で亡くなる多くは肺炎であって通常の死でもあるという考え方も成り立つ。インフルエンザで亡くなる人からみたら、どちらも結果として肺炎だとしたら、各国政府はそれを新型コロナ死とカウントして数字を増やして国民に恐怖心を植え付ける。毎日毎日、新聞テレビで数字を発表して、数だけ垂れ流し。私の少年時代、インフルエンザが流行ると小学校では罹患の生徒数に応じて『クラス閉鎖』『学年閉鎖』『学校閉鎖』を各校長が判断。担任は『友人の家には遊びに行かないでくださいね、写しますから』で1週間休めた。もちろん看病する家族もうつるが『しょうがないね。漢方でも飲んでゆっくり休みなさいね。お前の大好きな桃の缶詰を買ってきてあげる』と喜んだものだ。健康になる秘訣は熟睡と美味しい食事をたくさん食べることだ。そして笑うことだ。そしてほぼ全生徒治癒していったのである。
私の少年時代のインフルエンザ対処法は過去のものだが、過去だとは片付けられない。王冠(コロナ)にたくさん宝石の乗せたような形に赤色を人口でつけてオドロオドロシイ図柄は世界中を飛び回った。
寺田寅彦の、『自然は過去の法則に忠実である』きっとこれは私の賭けだが『自然免疫が一番の治癒が早い』と思う。