いつか起こり得ることは今日だって起こり得る。3月17日
いつか起こり得ることは今日だって起こり得る。2020年3月17日
モンテーニュ(1533~1592)のエセー(岩波ワイド版の一、161p)に、『哲学をきわめることは死ぬことを学ぶこと』の章に出てくる。プラトンもキケロも同じようなことを言っている。年齢に関係なく、事故や病気、自然災害、戦争、蚊の一刺しでさえ命を取られる。たえずいつ死んでもいいように今を生きる癖をつける、自分に言い聞かせて死を恐れないような訓練や思考習慣を養い、楽天的に生きることを理想としたモンテニューであった。
私は20代前半で買った白水社の関根秀雄訳を読んでいたが違和感を感じるのでしばらく(40年間)読まずに積んでいたが、気になって図書館から原二郎さんの訳を読むとすんなり理解できる。翻訳者の力の大きさを堪能している。そこで上記の『いつか起こり得ることは今日だって起こり得る』。当たり前といえば当たり前ながら、いまの自分の住む場所で、時代で、地面で、通行途上で、自分が、または家族が親友が隣人が知り合いが、事故や事件や急病で亡くなるとは誰も思わぬ。いずれ人間は自分も含めて死すとはいえ、それは遠い遠い先で、他人ごとみたいな感覚で日々を生きているがどっこいそうはいかない。
『父がトイレで倒れていて息をしていない』と母から電話。私に『駅までそんなのんびり歩くと運動にならないから、早足であるく癖をつけないといけないよ』とアドバイスしてくれた近所の医療従事者人も、すい臓がんを発症して1年後若くして死去。毎日、ウォーキングをしながら私に携帯をかけてきた同僚も、突然の疲労感に襲われて、血液検査で急性骨髄性白血病と診断された。幸い、骨髄バンクで移植できる人を見つけたが、いざ連絡すると『親から移植は危険だということで反対されて』移植はなくなって地獄に突き落とされ、1年半後死去。
私も急性心筋梗塞で会社の主治医誤診で一日発見遅れて、心筋の30%が壊死。おかげで疲れやすい。妻は病院でうなる私を看ながら、葬儀の段取りと連絡先と生命保険の入る金額と子供にかかる教育費を考えていたらしい。ゆめゆめ最初に行く病院を間違えないよう、この病気の場合はこの医師、あの病気ならあそこの病院と普段から調べておくといい。私は死んだらこうするという話を妻と話して、子供たちへ伝えてある。葬儀はせず、焼き場へ直送して、市の集団墓地へ入れること。子供たちは遠いところに住んでいるので万が一に頼りになるのがご近所だから、親身に近所付き合いをすること。
先日も51歳の知人が早期退職して、健康維持のため河川敷でウォーキングをしていて心不全で急死の知らせが来た。健康のための無理な運動が命取りになる場合もある。とはいえ、人間の能力にも限界があって、エセーの中に『避けるべき危険をいちいち用心することは誰にでもできない』(ホラティウス)同著156p。
私も街中を人通りの少ない道を選択して歩いているが、罹患しないという保証はない。ウィルスに色が付いていたらなあと思う。
昔の少年。
コロナ禍の今は、出来るだけ人に会わないようにしています。自分の為でもありますが、自覚の無い感染者多数の話を聞いたのでもしかして自分もそうかも知れないと思ったりするからです。電話とメールと納品物は宅急便にしています。通勤は以前からクルマですが、出来るだけ公共交通機関は利用しないようにしています。家に帰れば石けんで手洗い,顔荒いの後にウガイを励行しています。クルマにもエタノールを携行していますから、少しでも何かを触れば消毒です。寝る時にもマスクをしています。洗濯物を夜に室内干しすると朝には乾いていますから、それだけ室内も乾燥している事になります。マスクをしていても喉がカラカラになるほどですから気をつけたいですね。ただ子供たちは意外に無防備なので心配です。
seto
私は2月から現在まで同じような暮らしを続けています。週⑶回の札幌行きをJRでしています。空いていたり混んでいたり,車内を観察してブログネタにしています。営業場所も電話が来なければ,行かないようにして,郵便受けにDMを入れるようにしています。外歩きから帰れば手を洗っています。そんなに神経質な生き方はしていないのが気になるところです。とにかく美味しいものを食べるです。