街の群集はどこか殺気だっている。飢えは都会のど真ん中にある。(3月10日)
街の群集はどこか殺気だっている。飢えは都会のど真ん中にある。3月10日
自宅の庭に大きなブルーベリーの樹木がある。高さ2mになるまで15年以上かかった。7月8月にブルーベリーは大活躍をする。とうてい夫婦二人で1年かかっても食べ切れない実が収穫されて、近所や知人に分ける外交官ならぬ外交木になる。町内で6軒に配る。ブルーベリーをプレゼントするのはそれだけで楽しいものである。蜂蜜を入れて電子レンジに入れると20秒でジャムが完成。庭にはほかに青シソがあるだけで野菜はほかに何も植えていない。自宅の裏庭にジャガイモを植えようとしたら、向かいに住む元農業普及員の人がそれを見て『そんな土の浅いところではダメです。30センチは深さがないと育たないよ』とアドバイスされ植え付けを諦めた。娘が嫁いだ大分からも幸水梨やブドウの巨峰や富裕柿も届く。これも自分たちで食べる個数を残して近所に配る。12月には大量の餅も届くのでこれも配る。近所では各家庭で大根やニンジン、ササギ、キュウリも作っているので、今度はこちらは野菜をもらう側になる。春にはアスパラガス、秋にはジャガイモをいただける農家もあって食に関しては恵まれた環境にある。なぜ、食べ物の話を書いたか。次の文章を読んだからだ。食べ物を上げたりもらったりするとお互いいい顔になる。生きる基本は食べることだから、それを直接共有し合う関係は強いし、安心が生まれるからだ。都会に長く住むと金があれば食料は買えばいいと思うが、それは違う。
『町の群集はどこか殺気立っている。町は食べ物を作らない。食べ物はいつも村から運ばれる。言い換えると供給が絶えれば町の民は飢えることになる。都会の暮らしにはいつだってその不安感がつきまとっている。都会ではたくさんお金があれば食料を確保できるだろう。他人よりもたくさん買って蓄えておける。隣人との富の比較がはじまり、貧しいという実感が身に迫る。・・・やはり人は地面に近いところにいて、自分で食べ物を作っているのがいちばん安心なのだ。』池澤夏樹 パレオマニア75p
*一昨年9月6日の胆振東部地震で近所のスーパーやコンビニから食料品がすべて消えた体験を私はしているから、物流が止まると大変な事態になる。農家や酪農家に囲まれる人口7万人の町でさえこうだった。飢えは実は都会のど真ん中にあるのだと思うと恐ろしい気がする。周りが食品探しに殺気出すと異常な不安が襲うものである。普段食べないようなものまで買い込む。小麦粉ななんて買わないが、これがあれば何か作れると思って買った記憶がある。なんでも多めに多めに買って自宅に貯め込んで安心する。それが食料不足を加速する。庄屋を襲った一揆が現実のことのように思われてくる。襲わなくても、こっそり盗む人が増えてくる。(12月1日、追加)
昔の少年。
作物を作ってはいませんが、我が家の躯体組み込みガレージにはクルマは要れずに、ほぼ食糧庫になっています。リンゴ、ジャガイモ、米、玉ねぎ、柿、大根、ミカン、野菜類など様々です。我が家は大家族と言う事もありますが、農家から直接届けてくれるものや、田舎から送っていただくもの、または本州各地の産地から買い付けるものなどいろいろです。今年も渋柿を島根から買い付けて干し柿に加工しました。幼少期に田舎での経験がここに来て役立っています。加工した干し柿は妻の知人たちの間で好評です。ミカンなども箱で買いますが、貯蔵庫を知っている我が家の孫たちが見つけて、知らないうちに空っぽになっていたりします。お米もスーパーで買うより安くて美味しいです。大量のリンゴもパイなどに加工しますが、隣近所などにお裾分けして、お返しにまた食品を貰ったりの連続です。確かに食料品のやり取りは信頼関係を深めますね。
seto
食料品の交換は楽しいです。古代から贈与の習慣が生き続ける基本にあります。それも生きる基本の食べものですからね。ガレージが食料倉庫とはすごいです。そして作る干し柿やミカンの箱買い、リンゴの加工もするのですね。今日の朝、車のバッテリー上がって、近所付き合いをしている旦那5人にSOS。ケーブルがないので借りに行きました。さっそく自宅にあった柿を配ってお礼を言いました。助かる近所!そういう場合も食品は喜ばれます、命のおすそ分けみたいな気持ちになります。バッテリー上がるケース、これから増えるので赤・黒ケーブル必要ですね。室内灯をつけたまんま2晩でした。
昔の少年。
千歳で歯科医院をしていて最近廃業した近所の先生は毎日のように大工仕事のような事をしています。最近は何でも燻製を作っているのだと。美味く出来たらお裾分けの約束も、未だに声が掛からない所を見ると?失敗でもしたのかと余計な心配をしています。干し柿の技術は私が家内と近所の主婦に教えたのが広がって、それを食べた人も今度は自分で作りたいとかで始めています。手作りの加工食品は出来上がるまでの過程も楽しいらしく、人気があります。田舎育ちの良さは、当時の自給自足のお蔭で、手作り作業を思い出しながら見様見真似で復元できるところですね。大豆から石臼できな粉を作ったり、蕎麦を引いたり。加工食品に限らず、荒縄を編んだり、草履を作ったり、何でも手作りでしたね。
seto
周囲の住民にもいい刺激です、羨ましいです。そんな家庭が私の近所にいれば弟子入りしたい気分です。燻製好きとはお酒も大好きな人なんでしょうね。桜で焼くのではないですか。子供時代の野生的な学びが現代で蘇ってるみたいです。歳をとってから、定年になってからの趣味は子供時代や少年時代に好きだったことを始めると飽きないと言います。荒縄を編むなんて、私の文化にはなくてどうやるんだろうと覗きたい気がします。動画のしてユーチューブ投稿いかがですか?