65歳以上の老人のタイプ5つ。そして追加。
新型コロナ疫病感染を防ぐために、自宅に引きこもる老人も多くなったが、買い物や街中や町内で図書館で出会う65歳以上の、特に男の場合、相変わらず嫌われる言動を含めて書かれた本である。自戒を込めたい。
五木寛之著『新老人の思想』で65歳以上の老人を面白く分類をしていたので紹介する。下記の5つである。(82p~89p)ほとんど男についの分類だ。
1)タイプA 肩書き志向型。名刺に肩書きが無くなるのは当たり前。それを受け入れて社会貢献をしようとする人に、周りは黙っておかない。その有能さを使おうとして肩書きを押し付けられて生きる老人たち。その喪失感に唖然とする人々は元会社のOB会を招集したり、集会でも(社長)と呼ばれる快感を再確認する。
2)タイプB モノ志向型。突然に物欲に目覚める人たち。一眼レフカメラ購買が多い。高価な楽器も。高価な時計に凝る人、車にも。とにかくお金に余裕があるからワインや高いパソコンにも向かう。他人に迷惑をかけていないから微笑ましく世間も好意的に見てくれる。
3)タイプC 若年志向型。ファッションに良く見られるが、流行の合わせすぎて、ときどき痛々しく感じるときがあると五木寛之さん。カラオケでもとにかくいま流行っている歌を歌うがどこか辛いところがある。
4)タイプD 先端技術志向型。70歳を過ぎてパソコンを習得して、常時スマホを2~3台所持。見事に使いこなし、現役のときにしてくれたらと陰口を言われる。さらに一般投資家といわれる一群がいる。テレビインタビューで証券会社前からしゃべる人に多い。(若い人は自宅からパソコンで投資をしている)また、個人資産をいかに防衛するか金融記事を欠かさず読む人たちもいる。
5)タイプE 放浪志向型。山頭火や寅さんタイプ。筆者は道の駅でよく会う人たちで、お金持ちが多い。1ヶ月、キャンピングカーで回るには最低20万円はかかる。とにかく旅が好きで、極端になると隠れ部屋を借りたりして自分の趣味を貫徹する。どこかで孤独死や単独死願望もある。本来、人間は孤独だし、そういう単独人生を夢見るヒッピー文化。ボブディランが好きかも知れない。
遊びとして分類してみたのでと五木さん。誰しもこの中で混合されたタイプだろうと思う。ただ、大事なのは、この世代が『不満と反抗のエネルギー』をいまも保持していることだ。すべてのタイプに垣間見える現象は、特に男の場合であるが、年金の多少も生き方にずいぶん影響を与えるであろうが、それなりの尊敬を若い世代から受けられない、どこか厄介者的に思われている肌感覚に苛立ちを持っているかもしれない。
五木寛之は、この章について『アングリー・オールドマン』と付けた。なるほど。この辺から『切れやすい老人たち』を読み解くこともできるけど、どう解決していくのかの処方は見えてこない。妻からの怒りの声も日増しに増えている気がする筆者である、ブログに逃げているわけだ。1から5までの老人は恵まれていると思う。
で、書いてみてアングリーオールドマンと引きこもりの若者(中年まで)と、置かれている環境が似ていないかということで、周りの世界への拒否感が共通感情としてあれば、何かのきっかけでつながってもいいかもしれない。筆者の親戚を含めて引きこもりの賢い男女が多いが、楽しい人生を送っているなら、生活費的に送れるなら羨ましい限りだが、本人としては、いら立ちや焦りをぶつけている。アングリーオールドマンの叔父の私が出て行ったほうがいいのかどうか、もう10年以上、黙ってみている。両親から私に「構わないでくれ」だけ。事件だけは発生してほしくない。
大家族の、間借り人家主。
高齢者になって、邪魔にならないように、ひっそりと生きているつもりですが、家庭でも何かと風当たりが強いですね。昨日も外出先に、妻から電話で「トイレが詰まった、どうしてくれるの?」つまり私が雪が降る前に下水の清掃を頼まれていたのに怠ったから起きたのだと。それは困ったと直ぐにクルマで帰路に就きながら、修理の道具は物置にあっただろうか?買って行くべきか?とか思案しているうちに帰宅。寒く暗い中で物置から修理器具を見つけ出して試みるも上手く行かず。近所の修理屋さんに来ていただいた。彼がマンホールを開けて点検も「詰まっていませんね。詰まっている原因は便器側ですね。」と、早速診て貰うと直ぐに解決。結局、子供たちがトイレットペーパーを一度に大量に流すのが原因だと思いますが、何故か私のせいで休日夜間修理料金12,000円+消費税1,200円を払う羽目になりました。殆ど家に居ない私ですが、何かが起きれば原因はすべて私のせいになりますからね。キレやすい老人にだけにはなりたくないですが、いくら結婚生活とは言え、忍耐にも限度がありますからね。
流浪の民。
最近、家庭内で特に「認知症扱い」されますね。確かにモノ忘れは頻繁にしますから、一概に全否定は出来ませんが、余りにボケ老人扱いされるのには気分が悪いですね。ののしりあう事もしたくないので、黙って聞き流しますが、余りに頻繁に言われると、もしかして?他人から見てボケが来ているのか?と思ったりします。イヤイヤ、絶対に大丈夫!と自分に言い聞かせながらも、近い将来「認知症になったら?」と不安もよぎりますね。
seto
どういうわけか,父親の認知に敏感な家族って多いですね。私と同じ年齢の人が介護施設に勤務している娘さんから{お父さん、少し認知やボケが入ってるから,散歩をたくさんして}言われて、しばらく歩いていたのですが,最近、とんと見ません。飽きたのでしょう。家事労働は実はボケ防止の効果があるので,流浪の民さんは大丈夫ですよ。
昔の少年。
定年まで趣味も持たず働き続けた人たちが退職後に、これまで叶わなかった夢を実現したいのでしょうね。私などは逆パターンで、若い時に好き勝手をやっていたので、歳をとるごとに真面目人間になっています。でもマダマダ完全な真面目人間ではありませんが。若い時など考えられなかった事ですが、今では、家事手伝いを進んでやっていますね。
seto
私も家事手伝いをしないと叱られます。寝ていてはダメですね。真面目なつもりがさぼるのに真面目なだけでした。{私が先に逝ったら困るのはあなたよ}というのが口癖。生き続けるのも大変な事業です。