小さなパニック増える
私の持病、パニック障害が何度も起きてきている。①突然、私が一人になったときのことを想像してカーテン越しの夜の世界を見てパニック。②心臓カテーテル検査で入院をして個室に行くまでの天井が低い廊下を歩いていて発作。③個室に入って気づいた自宅で飲んでいる薬を忘れてまた起きる。病院はコロナ対策で一度入ると外出は手続きをしないと自宅へ薬を取りに行けない。昨年9月の入院では起きなかったが、今回は会社をやめて次のライフステージをどうするか思案しながらの入院であったからこんなに発作回数が増えたのか?
社会全体も新型コロナで息苦しい、政治の世界も秘密や隠し事だらけで息苦しい、メディアも歯切れ悪い五輪報道や政権へ真っ向から批判しない臆病さに、私も疲れてしまった。開放的な外の世界の空気を吸いたい、大きな深呼吸をたくさんしたい。しかし、外はいつ起きるかわからない原子力発電所廃炉活動失敗や青森六ケ所村の再処理工場への大地震と大きな事故による地球汚染や生物への存続への大被害予想。海岸線に52基の原発を並べてしまった国策と未来の子供や孫たちの世代へ、生きられない環境を残してしまった罪と責任を思う。
個人的な病気と社会の潜在的な病気(悪平等な世界の蔓延と人倫の荒廃)はちょっと取り返しがつかないところまできているかのしれない。それぞれの世界で生きるお手本の人達が消えている。そうでなければ政治や官僚や諸団体、教育、家庭まで人倫(この漢字は使いたくないが)から遠く離れた生き方(ウソと金で貪る人たち、暴力で弱き人を叩く脅す)ができるわけもない。もっともっと江戸末期や明治にしろ昭和でも偉い人たちはたくさんいた。才能があれば貧乏でも皆で金を出し合い勉強させ世の中に送り出した。ゴマすりではなく才能で引き立てられた時代もある。
パニック障害の発作回数の増え方と新型コロナによるマスク着用の息苦しさという身体のことと、社会状況が私の心身へ及ぼす影響も相当にあるとは思う。
昔の少年。
心配事を思うと誰でも夜も眠れません。眠れるのは酔っ払いくらいです。ですからパニックは大なり小なり皆んな経験があります。父も生前は山仕事が本業でしたが木の枝が自分の目をめがけて刺さって来ると言っていました。それぞれ違いはあるものの何か不安が蓄積されたときに現れるのでしょうね。私も母親が認知症で入院先で亡くなった時に幻影を視たり金縛りに遭ったり大変でした。また支店を任されすべての責任を負い体調も優れず、毎日毎日フラフラして倒れそうな状態で人通りの少なくなった地下の通路の柱につかまりながら車のある駐車場までやっとの思いでたどり着いたりしていました。会社に向かって途中で息苦しくなり引き返した事もあります。今も不安材料はたくさんありますが、少しは改善されたのか何とか毎日を過ごせています。不安を取り除ければよいのですが今の時代心配事は次から次へとキリが有りませんからね。或る程度は成り行きに任せる事も必要ですね。
seto
どこか心配したい病もあるかもしれません。心配がないと作り出すみたいな。大学生も、大学やクラブもせず友人もできない学生が「いったい自分は大学生なのか」と自問自答してると、何しにこkへ来たのかと思うと言ってる人もいます。先生は向こうでしゃべり、質問はあるのですが、横の学生同士のつながりができず、大きな不安を抱えてい未来に入っていきます。晩年を迎えた私のパニックどころではありませんね。1950年代、1960年代にあった自由な空間や自由な時間、自由なルール変更(遊び)に若者たちを戻してあげたい気持ちになりますね。ルール,規則や規制、個人情報、プライバシーにがんじがらめになって、それこそパニックの基になる世界で生きていると思うのですね。