裏方仕事と顔について
裏方仕事といい顔について。
最近、裏方仕事について考える機会が多くなった。しかし、仕事はすべてもしかしたら裏方仕事が中心ではないかなとさえ思う。約30年携わった広告の仕事もテレビCMになったり、新聞に掲載になったり、イベントが始まったり、企画のアイディアを出し、企画を練って、様々な分野の人と討論を繰り返し、自分の思いを伝え、それから泥だらけの営業(資金集め)が始まる。せいぜい2名ないし3名でチームを組むが、成功しそうな企画なら協力者が出てくるが、失敗する可能性の濃いものについては誰もついてこない。それぞれが自分の仕事を抱えての参戦なので難しいし、企画への思いは企画者本人が一番強いから、最後は自分ひとりで積み上げた仕事も多かった。「ウエブ進化論」という本を読んでいて、グーグル本社での働き方がどんなアイディアも自分で動かせる、見える形にしないと誰も評価はしない。働き方の2割は「アンダーザテーブル」で、だれも発想しないような仕組みやシステムを具体的な提案の仕事を義務付けられる。とにかく好きでないと務まらない。裏方の話に戻せば、裏方仕事が7割、いや8割できれば仕事は終わったようなもので後は流すだけで誰でもできる。仕事は準備と当日の運・不運で決まる。あと確認はし過ぎることはない。私はこれを怠って2回失敗している。間違いを修正できる仕事とできない仕事があるからこちらも要注意。講演会で当日、飛行機飛ばず講師不在もあったし(テレビ局にはニュースにするよう手配済み)、別な人が「私,話せます」と手を挙げてなんとかイベントは終わったが。冬のイベントは怖い。神経が休まる時がない。国家公務員を、また諸団体が突然「働き方改革」など電通の女子社員の自殺から、厚労省の仕事づくりでやっているが、トップになるほど泥だらけで働けば「働き方改革」はクリアーできる。部下に丸投げしないで、むしろ部下から仕事をもらってこなして楽をさせる生き方をすれば、風通しのいい職場になるし、セクハラやパワハラは減るだろう。メンデルの遺伝の法則を発見したメンデルは、修道院の片隅でエンンドウマメを植えて丹念に色と高さを記録を書いて、それを比べてようやくあるルール(規則性)を発見した。よそから見たら、こつこつ裏方仕事をしているメンデルである。だれも見ていない所でいい仕事をするコツ、そしていい顔になる秘訣はいい仕事を続ける以外にはないだろうと思う。男でも女でも。だから丸投げだけしてきた人の顔はそれなりの顔をしている。加えていうと、実は自分がしてきた仕事も、先輩の誰かの真似をしてきたのだと思いたいし、オリジナルな仕事はあるようでないのが普通かもしれない。
広告マン。
私の場合の事で恐縮ですが、恵まれない環境に居た事が結果は恵まれていたのだと思いますね。ある職場では、優秀な先輩は女癖も悪く無断欠勤を平気でしますから、彼の仕事もとにかくやらなければ締め切りにも間に合わなくなりますし、仕事内容についても不在の先輩に聞く事もできず自分で考えなければならない状況下に置かれたりしました。更にこれまでを振り返ればスタッフの少ない職場や、本州企業の出先の職場で、当然ながらスタッフが極端に少ない職場が多かった事が、むしろ自分にとっては恵まれた環境だったんだなと今になって思います。丸投げをする相手は居ませんから、丸々自分に投げるハメになりましたね。
seto
丸投げするのは自分しかいない、、、たくさんの人に聞かせたい言葉です。前宇投げすると、現場の仕事を覚えません。家庭の仕事もそうで、掃除・洗濯・料理とこれまで私なんか妻に丸投げしてましたから、少しづつ覚えて、一人になっても生きられるよう学んでいます。企業や役所や政治の世界では丸投げ横行、というか丸投げしないと次にその仕事を待っている人がいて、それをまた待っているという構造になって、ゼネコンがわかりやすいし、広告会社もデザインやコピーを外注して、あたかも自分のやった仕事であるかのように振る舞う癖がついてしまいます。後々、ばれてしまうんですが。
匿名
裏方と言えば、弟子入りした時には殆どが裏方仕事でした。一体?何時に成ったら、自分は大先生のように、自立できるのだろうか?と先行き不安ばかりでした。ところが、或る日突然!生い立ちも複雑だった大先生の九州の母上が、続いて横浜の画商の父上が他界され、葬儀でアトリエに自分だけ残されました。得意先は大企業でしたから、お構いなしに打ち合わせやら、作品提出要請が矢継ぎ早に来ますから泣き言も言えず、必死に徹夜作業もいとわず何とかやり、作品を持参して朝のラッシュの電車で得意先企業へ出かけたりしました。それがキッカケで自信がついたのか、しばらくして全て任されるようになりましたね。
seto
裏方仕事は実は、本来の仕事であったのですね。仕事って、段取り7割8割できたら終わったも同じとよく言いますが、打ち合わせも含めて、スケジュール管理含めて、仕事オーライです。自分の大先生の仕事をずっと見ていたんですね。否応なく独り立ち、そして自信強化の人生ですね。
広告マン。
毎月連続講演会の企画では神経を使いましたね。一年前からの会場確保のための抽選会から始まり、直接交渉をして、本州から著名人を呼ぶのですが、台風や雪害に悩まされましたね。それにマネージャーや付き人の居ない作家や冒険家など途中経路の確認ができず、会場到着まで外で待ったものです。マネージャーなど裏方さんがスケジュール監理や同行していただければ気を病むこともなく安心でしたが、考えてみれば、その分、裏方さんの苦労は大変なのでしょうね。
seto
ブログにも書きましたが、私も冬の講演会で失敗しました。2月でした。大阪から講師が積雪で空港に降りられず帰阪。偶然、副事務局長が1便前の飛行機で札幌に入り、「私、講演できます」の一言で救われました。地元テレビ局も取材に来ていて夕方のニュースで放映されました。イトーヨーカドーの1月2日の餅つき大会も一人1店舗持たされて、私は琴似でした。自宅から杵と臼を運び、もち米をヨーカドーに頼んでふかしてもらい、アンコをヨーカドーの中で購入して領収書もらい、2回か3回の餅配りをしました。終われば、杵と臼を洗ってまた車で自宅まで運んで終わりましたが、27歳のときでしたから体力続きましたが、思い返せばひとりでよくやったものだと感心しますが、なんと原始的な仕事だろうと思います。いまでもイトーヨーカドーを見るとたくさんの店のオープンイベントも思い出したりします。真っ赤な制服を着せてテープカットさせるヨークガールの管理もしていて、そのために近所のアパートを1部屋探すところから始まります。そこで着替えをしてもらうのです。国道上の方向指示看板も地主と交渉します。1か月幾らでOKもらい進めていきますが、裏方仕事はきりがないほどありますが、そこで何かを学んでいたのですね。初めての交渉ばかりで、先々それが飛び込み営業の基礎を自分に与えてくれたのだと思いました。