楽しみはうしろに柱、前に酒、両手に女、ふところに金 (46p)

明治大正時代に英語学校経営で財を成した斎藤秀三郎氏が豪快に花街で遊んだときのザレ唄。

現代の家屋で背にもたれかかれる柱がないところが多いから、若い人は柱に寄りかかる快感を知らない人が多いかもしれない。

札幌東本願寺で札幌別院の落成を記念して五木寛之さんと倉本聰さんを呼んで講演会のお手伝いをしたことがある。

私は本堂の太い柱に背を持たれて、畳に足を投げ聞いたことがある。暑い夏の日、涼風を感じて過ごした至福の2時間であった。

背もたれは太い柱に限る。一方、「倚りかからず」という茨木のり子さんの厳粛な詩もある。

 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは
椅子の背もたれだけ

 

もう一つのザレ唄は、実業家渋沢栄一氏が子供たちがいつまでも起きないので

朝寝坊昼寝もすれば宵寝する、ときどき起きて居眠りもする  (同著22p)

息子さんの渋沢秀雄さんの「攘夷論者の渡欧」に出てくる。お父さんが可愛い子供たちに朝起きを促すザレ唄とは育った家風が違いますね。

戦争をするより寝てばかりいるほうが、男女がむつまじくベッドでじゃれ合うほうが平和に近づく(なんだかジョンレノンみたいだ)ような気がする。

暖房エアコンの下を確保するユキ

 

 

    • 花柳界の部屋にある柱なので、どういう部屋の構造なのかわかりませんが、ふんぞり返ることができる場所でしょうね。後ろに掛け軸がある場所だと思いますが・・・。

    • 歌は江戸時代の狂歌で、庶民の夢という感じです。実際の金持ちが狂歌のように財力や地位をひけらかすと、「野暮」と言われて評価を下げてしまうので、旦那衆の遊びも、先ず三番叟を踊るとか席順決めはどうするだとか、けっこう窮屈なものだったようです。よく、江戸時代の町民文化は現代のネット民と似ていると言われますが、粋じゃない遊びをやってると、「炎上」してしまったのでしょう。

      • 野暮と言われず、粋な遊びを楽しむために、踊りや小唄もできて、余韻残してきれいにお金を払って去る。これを繰り返せば、よき旦那になりあすが、本人の努力や修行も並大抵ではないですね。現代のネット民と江戸の町人文化の比較があるんですね。びっくりしました。冗談かと思いました。江戸町民に失礼ですね。

        • 大店の主人や番頭さんは、年をとるまで汗水垂らして働き、隠居すると長唄や浄瑠璃の師匠について芸事を習ったとか。粋な黒塀見越しの松のお富さんですね。で、こういう旦那衆が江戸の芸能文化をささえていたのだそうです。

          • 終身雇用に守られた団塊の世代の連中が、考えてみると文化ファンや学問ファンでたくさんいると思いますが、見えてきません。どこに行ったのでしょう?社会を底辺から支える、文化の土壌を豊かにすることを見えないところでしているといいのですが。子供の数が多い中で、無用な競争を強いられて、偏差値教育の始まりの世代。旦那衆になり得ますか?

  1. 余談ですが、柱で一つ、思い出したことがあります。広島の義兄の一人っ子長男が知的障害児でしたが、未だ幼い頃から常識外の行動をする子でした。義兄はあの東洋工業に長年勤務して立派な自宅を建てましたが、その新築の家屋の大黒柱を長男が鋸でゴリゴリ切り出したらしいのです。それでも義兄夫婦は軽く注意するだけだったようですが、その子が大きくなって、お正月に亡くなった義父の立派な葬儀で、夫々が色紙に何かをしたためて義父の横たわる棺に入れたのですが、私『ジイチャンカッコよかったよ!』と書きましたが、義兄の長男は『ジイチャン、明けましておめでとう!』と。厳粛な葬儀場で、失礼ながら、おかしいやら、突拍子もない発想に関心するやら、そして自分の色紙のコピーもまだまだ未熟だったな?と反省したものでした。コピーライターも知的障害児には、とてもかないません。彼も3年前の夏に若くしてジイチャンの傍に逝ってしまいました。私は遺品整理に広島に行きましたが、兎に角、コレクターでビデオやCDやら膨大なデータの山でした。これを見て自分が敵わない理由が分かりましたね。

    • 義理のお兄さんの一人っ子、天才的な才能があったわけです。自分の感性に実に正直に生きてきたんですね。絵とかモノづくりにぴったりの才能ではなかったでしょうか?コピーは感性と言葉の並べ方の表現ですから、建前の表現を壊してしまいますね。厳粛さや儀式って、刑式と伝統に価値観が縛られてあるので、それを壊すの凄いです。本人はいたって自然ですからね。多様性の基本かもしれません。異なる人との共存ですから。

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