「猿の惑星に近づいている」(丸山眞男)
ジャーナリスト故筑紫哲也 【この「くに」の面影】 に戦後のオピニオンリーダーである政治学者丸山眞男との交友が出てきた。図書館で関係本を探し、読んでいたら作家埴谷雄高さんとの対話を発見。1981年の対談。バブルが始まるころだ。(KAWADE 道の手帳 丸山眞男)
丸山眞男「現代は情報過多の時代でしょう。情報過多っていうのは、必ずしも必要な情報じゃなくて、くだらない情報を含めて要するに情報の絶対量がめちゃくちゃ多い、ということ。・・・・・皮肉なことに結果としては、自分の周囲に壁をはりめぐさらないと自分というものを守り切れない。そこでできるだけ外部情報を絶っちゃって、いわば精神病理的にいうと自閉症になる以外に、自分自身の存在の確実性というのかな、そういうものをつかまれなくなっている。・・・どうも若い人を見ていると、それぞれ自分のまわりに非常に閉鎖的な世界をつくっちゃってるようにみえる」(同著97p)
埴谷雄高「・・人類の新たな情報過多時代に虚報もそれに応じてますます過多になり、一種の虚報的人間というものがやがて人類の中に生じて、頭のなかは虚報ばかりで、大地に足がついていなくてフワフワと空中を漂ってゆく浮遊人間みたいのが出てくるんじゃないのかな」
丸山眞男「猿の惑星に近づいている(笑い)変な怪物ね、あれ人ごとじゃないんだ」(同著104p)
42年前の対談ですが、情報過多に虚報過多もあると作家の埴谷雄高さん。一次情報(自分の五感で直接見聞きしたこと・・これでも勘違いや間違いは生じる)ではないのに、他人の価値観や主観の思い込みも加わった二次や三次の洪水で何が正しくどれが間違いか、フェイクなのかツルースなのか流行りの横文字で議論する人も多い。現代は個人がスマホやパソコンで自由(?)表現できるけど、自分で調べて検証した内容を発信しているか大いに疑問である。
対談の行われた1981年を調べてみると、不動産と株への異様な熱気に包まれ始めた年である。世相としては「窓際のとっとちゃん」(黒柳徹子)やなめ猫ブーム、校内暴力の深刻化、古着の流行、写真週刊誌「フォーカス」創刊。世界的に読まれた本は1976年に発表されたリチャードドーキンス「利己的遺伝子」が読まれ続け、親子の対立・雌雄の争い・攻撃や縄張り行動は「自分のコピーを増やそうとする遺伝子の働きで、人間は遺伝子の乗り物だ」という革命的な人間観が出てきた。何でも遺伝子のセイにする会話も増えてきた。
話を戻すと、丸山眞男の言う、精神病理的に自閉症に向かう、自分の周囲に壁を築く人は当時も現代も多い。個人情報やプライバシーを盾に他人への関心はあるくせに踏み込まない、お節介をしない人々の群れに都会や住宅街はなってしまった。私の記憶でもプライバシーマークを大金を払って会社で取得、毎月講義を受けたころから、激しくなった気がする。冷たい人間関係の始まりだ。それに平行して、虚報的人間が自分の責任で情報を発信する習慣が減ってきたように思う。
埴谷雄高さんの言う、大地に足が付いていない浮遊人間がとりあえず大地に生きている。言葉と観念のお化けに自分がなっていることに気付くと、自然に向き合うことが多くなるはずだ。
丸山眞男への批判本(論文)も多い、象牙の塔の中での自由人。庶民や大衆を下に見る睥睨さがたまらなく嫌だと言う人も多い。俺を批判するなら十分勉強してから批判せよという論法があるかもしれないが、これは原発や新型コロナで世間からの批判に専門家が答えるやり方にそっくり。官僚もこの論法を使える。どの分野も専門家がタコつぼから顔を出さないから、この図式はいつまでも続き、ニュースは虚報に溢れることになる。
坊主の孫。
染まっていますね。多くの人達が。例えば語尾上げ会話が流行れば男女を問わず奇妙なイントネーション会話が溢れ、それに同調した人たちは未だにその癖が抜けず時代遅れになって行く。一方ネット時代となって、最早久しいですが、SNSの種類も増えて、アメリカ大統領でさえツイッターでつぶやいたり、若い女性たちの間では自己表現をこれ見よがしにアップロード。SNSは今や犯罪にまで使われています。ともすれば知らない言葉や(略語)や社会現象などに後れを取って居るのでは?と自分を疑ってしまう事も多いですが、別にそれらに同調する事が正しい生き方とは言えませんね。一々それらに惑わされずに、自分は自分。他人は他人。と自覚すべき時代では無いでしょうか。
seto
自身も話したり書いたりする言葉がどこか,借り物を感じながら表現するときがあって、メディアや強い発言者のことばの影響を感じます。これを離れるためには古典や10代や20代になじんた本をひっくり返して、そのときの感性を取り戻したくなります。身近に表現豊かな人がいれば助かります。女性たちが、それもおばさん方が豊かな表現しますね。おばあちゃんが最強かもしれません。ダメなのは報道で記事を書いている記者たちの語彙の貧困さ。ネットニュースはそれの借り物で見出しがつけられていて、超格安で新聞社やテレビ局の記事を買ってるんで、自分で考える癖を若いときからつけたいものですね。感情まで画一化されてるようで怖いです。