最上のリーダーとは(老子 自由訳 加島祥造)
老子再び 最上のリーダーとは。老子(生没不明 BC6~BC4。いなかったという学者もいる)
詩人で英文学者の加島祥造さんを筆者は大好きである。特に「タオ」(ちくま文庫)は、シンプルな日本語でこんなに深く物事や人生・政治を語れるものなのか驚いたものである。第17章は最上の指導者(リーダー)とは・・・について加島さんは下記のような自由訳試みた。(65ページ)何度でも読みたい老子だ。どの政党においても宗教組織でも民間企業でも役所でも家庭でも通用する話だと思う。
第17章 最上の指導者(リーダー)とは
道(タオ)と指導者(リーダー)のことを話そうか。いちばん上等なリーダーってのは
自分の働きを人びとに知らさなかった。
その次のリーダーは
人びとに親しみ、褒めたたえられ、
愛された。
ところが次の時代になると
リーダーは人びとに恐れられるものとなった。
さらに次の代になると、
人びとに侮(あなど)られる人間がリーダーになった。
ちょうど今の政治家みたいにね。
人の頭に立つ人間は、
下の者たちを信じなくなると、
言葉や規則ばかり作って、それで
ゴリ押しするようになる。
最上のリーダはね
治めることに成功したら、あとは
退いて静かにしている。
すると下の人たちは、自分たちのハッピーな暮らしを
「おれたちが自分で作り上げたんだ」と思う。
これがタオの働きにもとづく政治なのだーーーー
これは会社でも家庭でも
同じように通じることなんだよ。
第9章 さっさとリタイアする
弓をいっぱいに引きしぼったら
あとは放つばかりだ。
盃(コップ)に酒をいっぱいついだら
あとはこぼれるばかりだ。
うんと鋭く研(と)いだ刃物は
長持ちしない——すぐ鈍くなる。
金貨や宝石を倉にいっぱい詰め込んでも
税金か詐欺か馬鹿息子で消えてなくなる。
富や名誉で威張る人間は
あとでかならず悪口を言われるのさ。
何もかもぎりぎりまでやらないで
自分のやるべきことが終わったら
さっさとリタイアするのがいいんだ。
それが天の道に添うことなんだ。
昔の少年。
さっさとリタイヤするリーダーに言われました。『いつまでやるつもり?』と。私はただの労働者であすから、後を継ぎたい人も居なければ、継がせたい人も居ない訳で、いつまでたってもリーダーにはなれない運命ですから『死ぬまで働きますよ』と答えました。もし、後輩たちに慕われていたら変わっていたかも知れませんが、なぜか?いつも一匹狼的な生き方しかできませんでしたから高齢者に分類された今も働いています。では、家庭では?となると生活費を稼ぐ上では必要とされてはいるのでしょうが、それ以外はあまり大切にもされても居ないし、またそうされたいとも考えていません。ただ黙々と日々を繰り返しているのみです。しかし誰にも頼れない孤立した立場ですから、良くも悪くも全て自己責任と言う訳で、いくつになっても達成感など味わった事も無く、良きリーダーにも恵まれず、明日の心配ばかりが続いています。しかしこの心配も無くなれば幸福感の数倍の不安も襲って来そうですから、身を引くには、余り頑張り過ぎずに『仕事半分!遊び半分!』のかつての父親のように欲張らずに生きる事でしょうか。そこで、今になって初めて気づいたのですが、私にとってのリーダーは亡き父でした。よく考えれば何も教わった記憶はありませんが、黙々と働く姿と絵を描いたり釣りをしたり詩を詠んだりと、正に田舎仕事も他の人達の半分しかせず、残りの半分は趣味に充てていました。その父の炭焼窯は他の家の半分の50俵と小さく、借りて居た田畑も全て他の家の半分でした。朝早く起きて囲炉裏に火を入れ、夏は早朝から鮎釣りに出かけ、私が目覚めるころには数匹の鮎を炭火で焼いて食卓に出してくれました。夕暮れには背負子に山の木の実や自然薯を入れて土産に持ち帰って来ました。今思うに、私の幼い時のオヤツはアケビやニカゴや山ブドウなどでした。食卓には自然薯のトロロや自然のワサビや半分の菜園で採れた野菜やマクワ瓜などでした。何も教えてくれなかった代わりに身を持って見せてくれていた訳です。
seto
いい話ですね。自分にとってのリーダーがお父さんとは羨ましいです。歳をとると、自分が父親に似てきていることに気づきます。遺伝子のいたずらかもしれません。お金に細かかったところは兄が継いでいます。父親の子供好きは私が継いでいるかもしれません。寡黙なところは兄ですね。自然についてはニセコ育ちでしたが、庭で野菜やブドウを作ってました。人間は死んでもたくさんの人にいい影響は残せるものです。お手本がどこまでも、何世代にもわたって伝わるといいですね。
坊主の孫。
人の頭に立つ人間は、下の者たちを信じなくなると、言葉や規則ばかり作って、それでゴリ押しするようになる。リーダーは人びとに恐れられるものとなった。とは、正に今の世界のリーダー達を言い当てていますね。さらに次の代になると、人びとに侮(あなど)られる人間がリーダーになった。これも、どの国も賢い国民は内心では、そんなリーダー達を侮っているでしょうね。それに気づかない我儘し放題の鈍感なリーダーたちの行く末は、おそらく哀れな結末になるのでしょうね。現在の問題のリーダーたちには、前代のリーダーの教えを継承しているのでしょうから、お手本となった前代にもその責任を感じますね。
seto
リーダーは人の下につかないとうまくいきませんね。鉄則です。人間の基本、教養がなさすぎますね。だれがこれを教えるのでしょうか?見せるしかないです。責任は俺が取るから・・・というのもいいリーダーの条件ですし、他人の言葉を万引きしないで自分の腹からの発言で説得することもできないといけません。それには10年も20年も勉強と尊敬できる人を見つけて学ばないとチャンスを失います。私の住む町内のほうに優れた人が隠れてたくさんいますよ。恵庭の酪農家で精神障碍者を3人雇用し、小屋の中に40年詰め込んで働かせて、補助金を5000万円以上ピンハネした酪農家(元恵庭市議会議長 故人)が弁護士から訴えられています。恵庭市は市職員はコネで入社、そしてたくさんの天下り。全道の市議会で一番働かない市議会議員と言われています。コネで入ると批判力が鈍ります。その悪弊がほころびだしてます。前回は議長のパワハラでうつ病発症した職員も出たし、議長になると異様な権力行動に出ます。リーダーというより、肥溜めに入ったほうがいいですね。
契約管理職。
サラリーマン社会などでは『リタイヤ』は一般的に退職や引退を意味しておりますが、モーター・スポーツなどのレーシングの世界で言う『リタイヤ』は途中棄権の意味になります。レース開始直後の第一コーナーなどでよく起きるクラッシュなどの事故やエンジン不調やドライバーの体調不良などのトラブルが理由での途中棄権ですね。何れにしても人間が下す判断ですから、何処がリタイヤのタイミングかは事情によってそれぞれ違いはあるのでしょうね。仕事や役割で言うリタイヤは自分の意思で決定するものですが、後継者や後輩や同僚も居て安心して任せる土壌が出来そうな環境になったからとも受け止められますね。私がある会社でリーダー(所長)を辞めた時には、むしろ心配でしたね。理由は後継者にパワハラ癖があったからです。この場合は、私の契約期間も関係していたのですが、その後も中途職者が続出した様です。この場合の私は契約期間終了と言う事ですから、後者の途中棄権になるのでしょうか(?)
seto
パワハラって調べると癖や病気、劣等感の発露の場合が圧倒的に多いですね。パワハラする人の前段にパワハラされた体験があります。父親からであったり、元上司だったり。彼が地域社会に戻っても誰かに迷惑をかけていることが想像されます。家庭の中で子供や奥さんにパワハラしてなければいいのですが。そうするとそういう連鎖が止みません。DVが消えるのに100年(3世代)かかります。仕事も危ないなあと思ったらリタイアおすすめですね。別な道路に乗り換えて働くといいです。実力や人望がないと威圧的な振る舞いになりがちです。前職で3代にわたって雇われ社長が来ましたが、半端ない交際費の使い方でした。京都では芸者をあげて一晩200万円使いました。VOLVOに乗っていたのですが、車についた消化器を落としたときスポンサーのVOLVOに「同じものくれないか?」でした。2千円ですよ。担当者に恥をかかせました。そういう価値観の中で長年いると非常識になるんですね。気をつけたいことです。