不便の効用
時代は集中管理や便利さ、均一化、スムースさへ向かってるかに見えるが果たしてその未来に何が横たわっているのか?私自身、グーグルのWORDPRESSでブログを書きながら語るのも変だけど、いつ停電が発生し、電気で機能するライフラインが停止するか、交通機関も以前はディーゼルで煙を吐き出しながら、音もうるさく走っていたが、電流の力を借りずに自力で走っていて、架線にタコが引っ掛かかり事件で止まることはなかった。
水道も私の5歳や6歳までは、自宅に大きな甕(カメ)があって、井戸水や長屋の中心にある水道栓まで行き、水汲み仕事をしたものである。自宅横に石炭箱があって、子供の仕事は居間に置いてある石炭を絶やさないことだ。マキストーブの家は、秋になれば自宅横で木々を鉞(まさかり)切り冬に備える。火傷やケガは付き物で、鼻水を垂らして非力ながら家の手伝いをした。
中には朝から新聞配達や牛乳配達人をする少年も多かった。豆腐売りも夕方にやってきて、私は母から鍋をもらって「豆腐ひとつください」と言うと小揚げを1枚サービスしてくれた。新聞紙は捨てず、水に濡らして、掃除のときに床に撒いてゴミを吸引させるし、畳の下に引いてDDTを撒いて隙間風とカビ・ノミを防ぐ。さらに母は内職で賞味期限切れのご飯を鍋で煮て、糊を作り、新聞紙で市場(いちば)で使う商品を入れる袋を作り、記憶では1枚1円で売り、内職をしていたのを覚えている。
電話はなく、地主さんや商店主の家しか設置されていなかった。緊急は電報がよく使われていた。道は砂利道でアスファルトもなく、そもそも車の台数が少ない。病気になれば近所の医師が大きな黒鞄を下げて、白い割烹着を着た看護婦さんを伴い、時間が遅くても往診にきてくれた。わざわざ、自宅へ駆けつけてくれるだけで、両親も体の弱かった私も治るような気がしたものである。これが私が生まれた、幼少期の札幌駅の北口の風景だ。
馬車も走り、漬物用のダイコンや石炭を売り歩いていた。馬車の後ろに掴まってスキーをした子供が、馬車の急停止で頭を打って大けがもあった。調味料の貸し借りも頻繁で、ソース・塩・醤油(昔は多様な調味料はない)、ときにはお金の貸し借りもしていたと思う。地域が共同体で生きて機能をしていた。抽象的ではない、具体的な狭い経済圏であった。貧しい家には地主は丹前や和裁・座布団つくりのアルバイトを発注し助けてくれた。
知恵遅れの子供も町の中を歩いていて、彼らは私たちと同じ空間に生きていた。彼らは悪いことはしなかった。中学になって特殊学級という制度ができたと思う。仲良く運動会もして、修学旅行も彼らと行動をともにし、同じ部屋で寝た。良いことも悪いことも、表の社会に見えた時代、誰でも共通なコモンセンスの中で、地域で安心して暮らしていた。不便がかえって助け合いを生んでいた。不便は見えないところで効能があるのだ。
坊主の孫。
不便や便利さの基準には地域差や貧富差などの差もあって一概には言えませんが、近年の便利さにも際限が無くさらにエスカレートしています。が、便利と思い開発された地域の自動運転タクシーでも福井は永平寺町やアメリカでも早速人身事故が発生しました。今度は空飛ぶ自動車の時代だと言いますが果して。便利さの裏には多くの犠牲も伴いますから、便利さ=危険性も同居します。一昔前に列島改造論とかで全国に高速道路ができ始め、今もその延長上にありますが、古い物から経年劣化でメンテナンスに追われています。便利さを求めた当初は経年劣化など毛頭考えなかったのでしょうね。今の国債発行と同じ思考ですね。派手さを求めてその時点では高評価されても、後世にマイナス資産を残す結果になっています。原発も同様で最後の廃棄物処理が完全に解決する事の方が先で、その後で建設して居れば今の問題もなかったのではないでしょうか。その場しのぎは必ずツケが回って来ますね。
seto
その場しのぎは必ずツケが回ってきます。便利と言うか、システムに依存していると便利・効率が当たり前で、それがクラッシュや断線・停電が起きた時、パニックを起こします。人が亡くなるときもあります。トンネル崩落事故で走行していた車がペシャンコになった大惨事もありました。コンクリートは木材から見ると耐性がないので,都市のビル街もいずれ崩落するときが来ますが、そのときそれを片付ける人改修する労働者がいるかどうかですね。マンションの大規模開改修もタワマンをできる会社は限られていると思うし、補修費が足りなくて追加されるのは目に見えています。原発も廃棄物処理は別な技術屋の分野だと推進派は思っていたのでしょうか?福島原発事故で原発がなくなると思ったら、延命する法律を作り上げる国家的詐欺ですね。都市の煌々とした夜ネオンとTV局のデジタル放送なので倍以上の照明を天井から俳優に浴びせているわけです。病気にならなければいいですがね。
アドマン。
不便の効用と言えば携帯など無かった我々の青春時代には、何故?あんなに旨く交際など出来たのでしょうね。電話と言っても固定電話しかなく、殆ど電話など使いませんでした。手紙しかありませんから、郵便か、手渡しか、それとも直接会っての会話しか無かった訳です。なのに一緒にデートしたり映画を観たりと活発でした。と言うより不便が故に積極的でしたね。勿論クルマなど無い訳で自転車の荷台にポニーテールの彼女を乗っけて自慢げに街中を走ったものです。今では考えられない行動ばかりです。当時の不便の効用は何といっても通信手段の少なさから、手紙が中心で、ラジオの音楽リクエスト番組に匿名で曲プレゼントなんかしました。それだってハガキによるリクエストですが、手紙も含めて文字を頻繁に書く習慣がありましたから、出来るだけ綺麗な文字をと心がけ、クセはあっても自分流の綺麗な文字(自画自賛)が書けるようになった事ですね。それに比べて今ではPCかスマホがすべての時代になって自筆文字など書く機会も減少し、漢字も読む事は出来ても、すっかり忘れて書けなくなってしまいました。情けない限りです。今ではセクハラやパワハラ問題とかで男女間もややこしく、交際したくても、つい消極的になりがちですね。自己保身を先に考え、冒険は控える時代。これも便利さの裏返し(悪循環)ですね。
seto
電話なくても不便は感じなかった。おっしゃるとおおり手紙がありました。相手の〒受けにいれたこともあります。気に入った「愛の言葉」の本を買って参考にしたこともありました。ラジオのリクエストですか、だれだれさんから誰誰へこの曲プレゼント。会う時は面と向かって恥じらいながら、手には形態とスマホはなくて生の自分しかいない交際でした。手を握るまで冷や汗でした。金沢の帰り、池袋で降りました。転校していった高校の同級生に会うためでした。しかし、駅が広くて見つけることができませんでした。携帯があれば交際を開始できたかも。縁がなかったんでしょうね。地図だけはもらったんですが、方向音痴でした。不便はたくさん、いい思い出・苦い思い出をつくりますね。
匿名
大企業の高齢の社長さんや会長さんも我々と同世代と考えれば、彼ら彼女らも同じ体験か、それ以上過酷な体験をしている方々も多いですね。皆が順風満帆ではなかったと思います。或る食品大手の会長さんなどは小学生時代に親から土地を借り、自分で野菜を育てて、収穫期にはリヤカーに載せて街で売り歩き、土地の借料を親に返していたそうです。幼い時から地道な商売で培った消費者との対話からビジネスのノウハウを身に着けたのでしょう。今では大工場で社員も全国で1万人ほどの会社に一代で築きあげた強者です。同じ少年時代でも、ゲームばかりしている現代の少年とは思考回路が違うようですね。そのうちオタマジャクシは皆んなカエルに変身はするのでしょうが。
seto
雪印の創業者黒澤酉蔵もリアカーで牛乳ッチーズを夫婦で売り歩いていたといいます。ロイズの社長も東区の自宅横で牛乳を朝から晩までこねていたと言います。その姿を見ていた前職の部長が「あのとき声をかけて親しくなっていたら、広告をもらえたかも」とつぶやいていました。ひとかどの人間になるには何倍もの努力と運がないと成功しませんね。あと盛り立ててくれる周りの人たちです。奥さんにしろ支える人がいますね。ゲームですか?最近、スイカゲームしてます。お試し版です。脳にはスマホやゲームはいい影響はないと思います。スマホ脳という本も読みましたが、縄文時代のほうが賢く大脳を駆使していたと思います。
元広告代理店勤務ディレクター。
ロイズコンフェクトの佐藤社長には東苗穂の好条兼店舗にオリジナルチョコの相談で行きました。当時は雑然とした狭い店舗に、創業以来、売りにしていたオリジナルの小さなトンカチ付き板チョコがありました。当時の佐藤社長は現場でチョコも作って居ました。気さくに相談にのってくれました。その後、私の知り合いの大通りは13丁目あたりにあった小さなデザイン事務所で、パッケージを作り始めて次第にお洒落な包装に変わって行きました。また私の元28年間勤務した大阪本社の広告代理店の専務にまで上り詰めたW氏は営業マン時代に、あの安藤百福さんの鳥小屋程度の作業場を訪ねたそうです。自ら鶏ガラスープを作って乾燥麺を地道に売っていた頃でしたが、そこにW氏が言いました。我が社のクリエイティブに優秀な者も居るので一度提案させて欲しいと。そしてチキンラーメンのパッケージと第一号カップヌードルのロゴと容器が誕生しました。それ以来、わが社に全てを発注と成りましたが、代が変わると目ざとい大手広告代理店数社が入り込んで来ました。初代で成功した時点で虎視眈々狙っていたようです。二代目をマーケティングの勉強と言う名目で社員に取り込み数年後の代替わりで全てを扱うと言う戦略でした。それもシナリオ通りになりました。ロイズも同じく体裁が整ったところに資本力?で大手が入り込んで来ます。先代は恩義を大切にしますが、二代目以降になるとビジネス優先の方針転換が常套手段ですね。
seto
スポンサーが大きくなると、大手の代理店が盗んでいくのが業界の常識。四国の下着メーカーも大阪の大広が扱い、大きくしたら電通が横取りをしていきました。現在は博報堂が電通を追いかけて、スポート扱い(テレビ)で接近していますよ。電通の凋落もジャニーズ同様早いと思います。1億円の製作費を5000万円抜いて、制作会社に5000万円で丸投げ。こんな仕事がスポンサーに知れると長くは続きません。有名人や政治家の子息、スポンサー企業の娘と息子を人質にしてるんですから、旧態以前、フジテレビもそうですね。恵庭市の市職員もコネ入社ばかり、批判力なく、遠藤牧場(市議会議長が牧場主,故人)が30年以上前から身障者3人を雇い入れて、人件費を彼らに渡していなかった事件が発覚。市長や市議会、職員全員に責任ありますね。人間関係だけのコネ社会にありがちな構造です。裁判が始まります。