以前書いたのだが、よい友は三つ。その第一は物をくれる友、第二は医者、第三は知恵ある友。これが書かれた徒然草117段には「友とするにわろき者」が同時に書かれてあるので、箇条書きに書いてみる。友とするによくないものが七つある(作家・島尾敏雄さんの現代訳)

第一は身分の高貴な人。

第二は若い人。

第三は病気をしたことがない、からだの頑健な人。

第四は酒好きな人。

第五は剛勇な武人。

第六はうそつき。

第七は欲深き人。

徒然草を書いた吉田兼好が生きたのは1283年から1352年(どちらも推測)。鎌倉幕府ができて崩壊、室町幕府ができるあたりまでで政局は混沌。(徒然草」は鎌倉幕府が滅亡するころ(1333)に完成したとする説がある。

友人の選び方は難しくて、27歳から働いてきて、一番信頼できる友人は中学時代のクラスメートや大学時代の読書会のメンバーや私を慕ってきた新聞社の若手営業職の人たちで、利害関係での付き合いがほとんどの会社員時代には、社内でも信頼できる同僚はなかなかいないものである。年数からしたら20年以上付き合っているのに、退社すると付き合いが切れる。なので『信頼感)を持てる人と持てない人は、私自身の人の好き嫌いの価値観がそのまま反映されているのだろうと思う。

それはしかし、相手側からみたら、私自身も彼らの好き嫌いの対象であるからえらそうなことは言えません。吉田兼好が友とするに悪き人になぜ『若い人』を入れているのか?友という考え方に対等という意味を入れると、若い人を友にするネックがある。人生経験の多寡であったり、ギリシャ人が国を裏切ることはしても、友(友人)は裏切らないという確固たる人生観があればいいけれど。

  1. 価値観も時代変化で様変わりするのでしょう。友とする基準は個々人で違うのでしょうが、それも自分自身から見た友であって、その対象者にとっては必ずしも同じ見方とは限りませんね。親友?ともなれば、それは間違いなく良き友に違いありませんが、人間も成長過程での環境変化も手伝って考え方も変わる事は必ず有るでしょう。例えば遠隔地に転勤とか、結婚で暮らしの環境が変わったとか、多忙すぎて多くの友人を失くすとか、様々でしょうね。そんな訳で転々と環境を変える結果、自分自身も友人たちも、せいぜい自分の事だけで手一杯になり、過去の事は忘れる事にも成り兼ねませんね。しかし居住地も変えずジッと地元に暮らしていれば、特に何をしなくても誰からも忘れられない存在になるでしょうね。環境が変わらなければ、人の考え方や性格も大きくは変わらないでしょうから。

    • そこから動かない人が、幼少のころからの友達を持ち、仕事さえ続いていれば安定したネットワークで楽しく生きてますね。中学時代の同級生が、クラスメートの島をつくっている、お互い信頼の共同体を形成している珍しい集団があります。環境を変えない、お互いの日々の人生が見える中で暮すとこうなるんですね。

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