別れるときは嬉しそうな顔をする。
日常生活で、何度もあるおはようではなくて、さようならのとき、その人が一番輝いている顔に見えないかというのがきょうのテーマだ。今生の別れとか、もう何年も会えないとかではなくて、普通の日々のことである。私の経験でいくとデートのときも「きょうはこれで」と別れ際、彼女はほっとしていい顔をする。もともと私をそんなに好きではなかったと思えばいいが、そうではなくて、誰しもが「一人になりたい熱烈願望を持っている」ということを言いたいのである。極端なことを言えば,(人間は人間を好きではない)から(一人になれば真人間に戻れる)と解釈できないこともない。人間は一人では生きられないから、しょうがなく社会をつくり、一緒に仕事をして稼ぎをして食べていく。嫌だ嫌だと言いながら仕事をし、定年を迎える。勤めた会社でもそうだが、いろいろな打ち合わせを終わった時点でも別れるときは、やれやれの感情も生じて安堵感が顔に出るのか、例外なくいい顔・表情をつくる(出る)。そういえば、私も仕事帰りの電車が大好きだった。落ち着くし、たくさんのことが考えられて楽しい時間だった。自宅に到着するよりハッピーな時間だ。なぜか、一人だから、いろいろな束縛(社会の決まり事や契約や約束や家族からでさえ)から自由になれて本来の自分に戻れるのだ。本来の自分は人間をあんまり好きな動物だと思っていないから。特に叫びとか熱狂とか行進とか旗の集合とか、命令口調とか大きな声での断定とか感嘆符(!)の世界とかアレルギー反応を起こしてしまう。しかし、そういう中にいる人たちも一人抜け、一人去り、それぞれ自分の世界へ戻れば「熱も取れて」いい顔の世界へ戻れるのだろうか?帰りの電車で豊平川にかかる夕陽を眺めていたら携帯がジージーと鳴る。誰かからのメールだ。多くの乗客がスマホをいじって下を向いている。一人なのに一人ではない、自ら他人へ向かって自分の寂しさや孤立感が襲ってこないよう防衛線を張るべく、指を使っているのか?一人の時間に何をしているか、何を考えているかでその人の顔が作られるとしたら、現代、いい顔の人が少なくなったのは、たえず外を見過ぎて自分を失ってる人の多さと比例する。黙々とものづくりをする職人の顔がいいのはそういうことでもあったか。
昔の少年。
言われてみれば、正に思い当たる事ですね。知人宅から帰る時に閉まる扉の隙間に見える顔は満面の笑みでしたね。閉まった扉の向こうの顔はこれまで全く想像しなかったですね。一瞬の笑顔は作り笑いだったかも知れず、それを勘違いしてしまい、自分は歓迎されていたんだと。また来ようか?。などと思いがちですが、それは自分勝手な思い込みかも知れませんね。もしかして「この人は、くだらない話ばかりを長々として合わせるのに疲れた。早く帰ってと思って居たのでホッとした」の時の笑みだったのかも知れませんね。と言う事は素敵な笑顔にも色々な違いがあると言う事ですね。これからは相手の顔色を良く観察しながら、キリの良い頃を見計らって別れるように気を付けなければいけませんね。昔からのたとえ話ですが、表面上は穏やかな笑顔と独特の言葉づかいの京都の女性は一見人当たりも良く素敵な笑顔で『今度、京都に来はった時にはウチにも寄ってくださいね~』と。それを真に受けて尋ねると、内心は正反対の単なる表敬挨拶であって、長居し過ぎた客に『お話も弾んでよろしおすな~オブブでもどうどすか~?』(随分長居してますね~お茶漬けでもどうですか?)奥方からの笑顔から出る嫌味で早く帰れ!の意味の隠語ですね。京都人以外には通じませんから『それではお言葉に甘えていただきますか』などと返せば、二度と招かれなくなりますね。話し相手を京都人と思ってキリが良いところでさっさと切り上げればクリアできそうですがね。人情深く、人なつこい道産子には言葉や笑顔の裏までは読めませんね。
seto
別れるタイミングは難しいですね。飛び込み営業含めて40年営業をしてとんでもない数の人と話をしてきて、自分でもどこのたいみんぐで別れるのがいいのか、法則はないですね。昨日、近所の奥さんに春休みに娘夫婦4人がやってきて、朝は起きてこない、男の子ガケガをしないか冷や冷やで監視、1週間滞在していたんで、ストレスで帯状疱疹になってしまいました。身内でさえこうなるんです。来る方は病み上がりでお母さんを支えようと言う気持ちでで来たのでしょうが、結果は逆。「帰ってくれてやれやれ」と奥さん。自分の言動が相手(他人)に物心両面で負担をかけていることへの想像力があまりにも足りなさすぎる人がゴロゴロ。恋人同士でもそうだと思います。デートが終わるとどちらもホッとする瞬間があります。みんなひとりが好きなんです。私の体験からも。一人で生まれて一人で去るという厳粛な現実ですね。にっこり笑って世の中を去れればサイコーですね。
坊主の孫。
別れにもいろいろですね。笑顔ならまだしも、泣きの別れもありますね。どちらも経験して居ますが、更にそれらの裏も有る訳で
さらに読める表情と読めない表情などもあって、その場の感情が表情に現れる場合と現れない表情なども有り人の心は複雑です。
基本的には誰しも一人になった時の表情こそが本心なのでしょうね。我に返ると言う事でしょう。裏を返せば、本心こそ他人には見せない一面ですね。その時々の別れ際の笑顔?を推理しながら読み解くのも楽しいかも知れませんね。
seto
私のしている本のりさいくるボランティアは約2時間を週に二日間。会員は18名、男7名女11名。仕事終わったら、達成感を持って帰っていきます。世間話して別れていきます。行きたいときに行く、行きたくなければ誰に報告する必要ない自由作業です。25年前に定年になった教職員が始めた会で、当時は私語禁止令が出ていたみたいです。パソコンルームでの仕事でも私語禁止ありますが、集中・集中を25年前から提唱していました。私はおしゃべり九官鳥と言われています。実際は、わかれが苦手かもしれません。小学校の転校を3回して泣いてましたから。