お金の使い道がなくて困ってる人々がいる。
何とも贅沢な話を立て続けに聞いたのでブログに書いておきます。北海道はたかだか100年を超える程度の過去しかない。先日、小樽の金融博物館(資料館)を訪ねて渋沢栄一やたくさんの銀行、北前船で財をなした人々の倉庫や建物の写真や実物を見てきた。北海道は開拓史の払い下げで産業を勃興させ、財閥を儲けさせて、ビール・亜麻栽培、ススキノも男役人のための夜の社交場として人工的に作られた一角だ。東区の工場街で育った筆者は、お金持ちってどんな人種?って正直思う。私の周りには誰もいなかった。金1グラムが9529円の高値をつけたら、普通なら、売りに来て儲けるのがお金の動きだと思うが、実態は逆で『どんどん金を買いに来た』である。メガネ屋さんも、『円山の支店は売上額で本店を上回る勢いだ』と。メガネフレームも高級感のあるものが売れ、需要の多い補聴器も100万もするものも売れる。コロナ災害がなければ彼らは海外旅行へ、クルーズ船に乗るような層で金の使い道がなくて、自分の身の周りと、何があっても安心だろうと純金を買い求める。節税で床下に金を隠しておく手もある。子孫に手渡すのに便利だ。1g9529円ですからね。多少の値下がりは株で大やけどをするよりマシという発想だ。明日の生活費にも困っている人たちには、何をかいわんやである。
思い出したのが、市内のホテルで投資家セミナーを手伝ったとき、参加者の女性が突然、主催者に詰め寄り、「あなたですね、私の住所を他人に教えたのは!」と激怒して詰め寄ってきた。「私はそのようなことをしておりません」「あなたの会社以外に私の住所は教えていないのです」横で聞いていて、どれだけ誰にも知られたくない財産を持っているのかと思うと同時にその醜悪な女性の顔に吐き気がした。『金と便所は溜まれば溜まるほど臭くなる』、生き方がケチになり醜悪にもなるという貧乏人の私としての発想だ。人間の欲望は、健康で長生き、幸福感持続、食べるお金に困らない。そんなところだろうが、必ず人間は死ぬから幸福や金はいずれ消えてしまうと思えば、純金を持つより米俵1俵が床下にあるほうが安心な人生だと思う。私の親族関係の金銭トラブルは遺産に関わることであったが、長男が父親の店を継ぐということで預貯金全部持っていってしまった。ローソン経営に失敗してローソンの金融から借金。返済期限が迫っていたのだ。親の財産なければ自己破産するところであった。子孫に美田を残して長男を救ったケースだ。遺産分けのとき私の妻を入れて女3人いて、そろったところで義理の姉が通帳を皆の前に出した、13万円が記入されていた。長男は俺は忙しいからと逃げた。贅沢せず、地味な暮らしで貯めた全額を「店を継いだので」ということで持って行ってしまった。姉二人はお金持ち、私どもが一番貧乏であったが、高望みせず終わった。
貧乏暇無し。
お金の話には現在まで全く縁の無い自分ですが、永遠の空しい夢ですね。もしも可能性が有るとすれば、週一で買うロトあたりで大当たりでもすればの話。しかしその夢は今も実現していません。先日も900円当選も、それでまた同じものを購入。小銭でさえ右から左へと留まる事がありません。大谷氏の通訳の水原氏の場合の借金は巨額でしたが、考えて見れば、掛け金の差はあれ、同じギャンブル依存症ですね。彼もお金に困って次々と借金が膨らんだのでしょう。小銭での掛け事との大きな違いはあれ、私なども五十歩百歩ですね。つまりお金が有れば、つまらない賭け事で財産を減らす必要も無く、貯める発想になるのでしょうが、無ければ増やそうとするが為に失敗も多く借金だけが膨らむ構図でしょうね。財産家と貧困層との間の壁は堅固で厚く高いですね。水原氏とは反対に大谷氏は黙っていても増える一方で巨額の契約金さえも球団試算では回収可能どころかそれ以上の利益を産むとの判断ですね。つまり球団に大谷氏自身が既に返済を開始していて多数のCM料だけでもプラスに転じるとの計算ですね。言い換えれば、大谷氏自身が自分の契約金を自ら返済していると言う訳ですね。我々には関係のない別世界の話でした。貧乏に暇はありませんね。
seto
おたがい永遠の夢を持ちましょう。持ち過ぎるとつまらない人生になりますよ。と思いましょう。私の近くのお金持ちは寄附好きです。どんどん困ってる団体に百万単位で寄附します。一人暮らしですが使い道無く自宅のリフォームを始めました。屋根のペンキダケする予定が、風呂と台所。床鍼まで約束したらしい。ペンキ屋さんがヘッドにいるので彼が次々提案しているみたいです。しかも前金で支払い済み。合い見積もりを取らないので言われたまま。危ない危ない。ペンキ屋さんが「この家気に入った」将来買うとまで言ってる。横浜から移住ですか。そのために彼にリフォームさせているとも見えます。天涯孤独の人なので売ったお金はどこかにまた寄附していくのでしょうか。少し気になります。騙されているのではないかと。テレビは8Kテレビでスポーツ観戦しています。それにしてもうさんくさいリフォーム業者と少しまだらボケの入ったお金持ち高齢者気をつけないとね。こども食堂へも寄附をしています。人間、最後は名誉欲が残ります。表彰されることです。
坊主の孫。
貧乏人はお金の価値を知りません。先日も高島屋の黄金展で純金の茶碗をリュックに入れて盗んだ犯人が捕まりました。何でも数千万円もの品をたった180万円で売り払ったとの事です。買う方も貧乏と見るや足元を見て買いたたくのでしょう。犯人にして見れば180万円は大金ですからね。こんなニュースにも貧富の違いを思い知らされますね。札幌三越でもありましたが、黄金展などでは必ずと言っていいほど盗難事件が発生しています。展示は高値でも購入する客層狙いでしょうが、貧困層にとっては到底手が届かないと同時に、羨むだけでなく罪を承知で手が出る者さえ現れると言う訳です。盗難は犯罪ですが、百貨店ビジネスとは言え、貧乏人にとっては罪作りなイベントですね。
seto
金を溶かすのは大変です。純金もそうですが、一度超高熱で金は溶かします。これをできるのは田中貴金属だけではないでしょうか?純金の茶碗もスタートは溶かされた金を型に入れてつくり、芸術家が作りますね。純度99.99%で置いておけばいいものをと貧乏人の私は思いますね。先日44年間保存していた5グラムの金を売りました。54000円になりました。子どもたちに全部分けて贈呈しました。金だってフィクションの世界ですからね。延べ棒食べれません。買う人や店がなければ運ぶだけで大変。インドでも行けばたくさん需要があるでしょうが。政情不安になれば金を海外へ持っていくといいますが、重くて重くて背中に持てない、逃げれないと思いますが。これより米や麦の一粒が大事です。世界じゅうが金金の世の中にしてしまって、組み込まれてしまいました。消費は模倣ですから(必ず誰かが持っている、テレビやCMでやっていたから欲望が出てきます)、メディアや都会に住んでいると欲しくなるものです。持つと、他人へ見せびらかししたくなるものです。なので都市は貧乏人にとって住みずらい地上になりがちです。地方や郊外に逃げるが勝ちです。
タンスも預金も無し
7月から新札が発行されるようですが、旧来の札は使用不可能になるとも。タンス預金を吐き出させるのが目的のようですが、タンスも無ければ札束とは無縁の私には関係がありません。が、たとえ1万円でも持っていたとしたら無用の長物、只の紙切れになるのでは?と。500円玉は変わらないとの事ですから、これからは5百円タンス預金が流行るのではと。
seto
新札になっても1年間は有効ではないですかね。諭吉の博物館に行きました。1億円を持ち上げるイベントもやってました。すっかり子供から金・金の価値観を刷り込んでしまった現代社会ですが、金で買えないものがたくさんあることにあるとき気づくはずです。待ちましょう。子どものころから自由に使える金を持ってしまうと、可哀想な人生を歩むような気がします。札幌東区育ちではそんな人はいませんでしたが。疑い深くなったり、簡単に人に騙されたり、他人から妬まれたり、普通の感情が失われますよ。人相や性格が悪くなって、人生に不幸を呼び寄せますね。というか周りから金つながり以外の人が消えていきます。