災害社会学のキャスリン・ティアニーが災害時に『エリートパニック』という現象が現れることを指摘している。(同著260p)ここでいうエリートは官僚や政治家、メディアに携わる人、大学教師、テクノクラートなど専門技術者、総じてテレビや新聞紙上で語る人たち、富裕層などを指すと思えば間違いない。彼らの災害時(地震や騒乱、反政府的な行動)において果たす政治的な機能を特徴づける。『エリートは社会秩序の混乱や既得特権の喪失を恐れる』。エリートのパニックは『社会秩序の混乱に対する恐怖、貧民や少数者や移民に対する恐怖、略奪や窃盗に対する強迫観念、激しい武力行使に訴える傾向、流言にもとづく行動』に特徴づけられる。いま現在ここで利益を得ている人たちだと思えば間違いない。『現在主義』とも解釈される。病んだ社会の起源という副題の『文明が不幸をもたら』最終章に出てきたエリートパニック。新型コロナでもニューヨークの富裕層はいち早く郊外の別荘へ逃げ安全を確保したし、しかし、そこが果たして安全かどうかわからない。

しかし、そういう行動よりも『災害ユートピア』という現実もある。文明が崩壊したとき、人間の本性を目のあたりにする。略奪に走るのではなくて他者に手を差し伸べる人も多いことに気づく。『人間が災害時に利己的で、パニックに陥り、野獣に戻ったかのように変わるというイメージは完璧に間違っている』(災害ユートピアの著者 レベッカ・ソルニット)地震や洪水や爆撃などに遭った経験者を数十年分調べて『災害はときには天国に戻る扉となります。それが天国であるという意味は、少なくとも私たちは自分がそうありたいと願う人間になり、自分の望む仕事をし、それぞれが兄弟の番人の役目を果たすと言うことです』。これまで人は人にとってオオカミであるからという認識が蔓延してきたから、『災害ユートピア』が現れるのは革命的な認識の逆転になる。

最近、読んだ「希望の歴史」のテーマは「ほとんどの人は本質的に善良だ」である。人間の本質は善であるを分析していった本である。たくさんの犯罪ニュースに囲まれ、映画やドラマで架空の殺人を見せられて、静かな日常を自分から壊していっていないだろうか?「退屈のなせるわざかもしれない」気をつけたいものである。

 

  1. ゼロ戦パイロットの弟。

    貧富の格差のある状態、つまり比較的平穏な社会では富裕層と貧困層は永久に交わらない存在同士でしょうが、一旦、その平穏な日々が一瞬にして壮絶な現場に変わった時には、貧困も富裕も同じ立場、同じ環境下と成りますから、頼れるのは見ず知らずの他人であったり、災害パニックにも比較的冷静に行動できる人です。私の兄も震度7の大地震の現場で、がれきの下から女性を助け出しました。お互いに面識も無くただその場の判断で身体が勝手に動いたようです。私達も、その場になって果たして出来るかどうかは疑問です。兄のように勝手に体が動けばいいのですが。

    • ふだんの地域社会での付き合いも含めて、助けるべく人は動き出します、貧富の差はそこにはありません。毎日、パソコンで株をしている人がいて、コロナ感染広がるニューヨークのことを話していて「郊外に別荘がある人たちは大丈夫でしょうね」と私に聞いてきました。富裕層は災害やパンデミックから逃れられると思い込んでいました。市内のマンションの最上階に住むワイン好きの男でしたが、話を聞くだけで気分が悪くなりました。とにかく貧乏人を馬鹿にする言動が多い製薬メーカーのMRの人でした。精神的に病んでいるところもあって、ケーキを食べるとき、メロンを食べるとき、菅らずトイレに入り、そこで食べていました。岐阜出身でここは四囲が山に囲まれて、現金を持つ、逃げる風土で、いつ敵が攻めてくるかもしれず現金主義とのこと。親戚縁者もそういう気風らしい。長い期間、いい給与をもらい続けてきた人たちはいつのまにかそういうキヤラになるのですね。こういう人たちもいざとなったら人助けをするのでしょうかね。まずはさっさと逃げるを選択するかもしれません。

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