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人間の体は、血液にしても細胞にしても、皮膚にしてもほぼ1年でがらりと変わってしまう。皮膚は下から新しい皮膚細胞が盛り上がり、垢となって風呂場へ消える。古い血液はどこにいくのだろうか?たぶん便として吐き出される。

心臓の筋肉も新しくなるというから、私が50歳のとき心筋梗塞を起こし、発見がヤブ医者のおかげで一日遅れて、ほぼ30%の心筋が壊死したが、専門医に聞くと「壊死した細胞は細胞分裂は起きない」とのことで23年が経過した。階段を上り下りすると息切れはするが、なんとか心臓の機能は果たしている。肝心な大脳細胞も細胞分裂を繰り返して、ほぼ1年ですっかり入れ替わる。6月6日に久々のCT検査の結果がわかる。

ということは、去年の私といまの私はすっかり、肉体が入れ替わっていて別人ではないかと思う。去年、ある金融機関から借りたお金は「去年の私が借りたので、今の私は大幅な細胞分裂で別人になっているのだから返す必要はない」とも極論では言える。しかし、これを認めれば、経済や国は成立しない。どんなに細胞分裂で何度も私が新しい自分になっても、同じ人と同定されることになる。

動的平衡の福岡伸一さんファンの人なら、この話が彼の著作に何度も出てくるから覚えておいでのことだろう。しかし、私がどうしてもわからないのは、こころとか精神とかはどうなっているのだろうかということだ。考え方や価値観や好き嫌いが肉体的な細胞分裂の繰り返しで、どのくらい変わるものなのか。また変わらないのか?

結婚のときのことを思い浮かべると、釣るまではエサをたくさん撒いたが、釣ってしまうとエサはやらないのはきっと私の細胞分裂のせいで、私が変わってしまったと言えばいいかもしれない。何でも細胞分裂に原因を求めると、自分の意思はどこへいくのだろうか。要は私は私のまま、生まれて死ぬまで、変わらない私だと言う幻想が歴史のどこかで入ってきたと思えば妙に私は納得する。そういう風にした、そういう制度にした。私は変わってはいけないのかもしれない。不自由な私である。

ときどき、自分の意識や観念の世界から、「自分が出れれば、脱出できればどんなに解放感を味わうだろう」と考えることがあるが、無理だ。夢の世界さえ現実が出てくるわけで、自意識の中でそれぞれが暮らしていると納得するしかない。

養老孟司さんが一日5分でも10分でも自然を見なさい、花を見たり、空を見上げたり、地面の虫を見たり、作物を手に取ったり勧めているわけは、意識の牢獄から瞬間的にも出て自然に入ることができることを言っているのだ。人間の体はその年齢分の回数、入れ替わってると思うと不思議な感慨に襲われる。実はその答えは、一番上の図に回答がある。言葉や記憶や文字というツールが自己同一性を担保しているらしいのだ。

さっぽろ藻岩山ロープーエー

  1. 二重人格とか言うのは?実は自分の中に、別の二人格が同居していて、何かのきっかけで、どちらかが前面に出て来るのかも知れませんね。出て欲しい人格なら良いのですが、出て欲しくない自分が突然前面に出れば、対する人は『あの人が?まさか?』と成りますね。キレたり、犯罪なんかもそうかも知れませんね。悪い癖が潜伏しているとかとは逆で、悪い癖をもう一つの自分の心が普段から隠しているのかも知れません。そして、この時とばかり、隙あらば悪さをしてしまうなんて事に。二重どころか、三重も四重もと多重の人格が潜んでしまって居るかも知れませんよ。まるで『怪人二十面相』ならぬ『怪人多重面相』ですね。これは歳と比例して、いろんな人格を内に仕舞い込んでいる可能性も有るのでは無いでしょうか。要らない癖は早めに捨てるようにしたいですね。

    • 私も集団の中にいるとき、ときどき投げやりな発言をしてひんしゅくを買います。家庭でもそうです。直さないとは思うものの、一度出た言葉は還らずです。相手の中に残り続けます。これどうしようもないことです。言葉の上で疑似犯罪のように思いますね。単なる短腹じいさんですね、全く。書いているときは冷静なのに話すとそうなる。困った私です。

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