「張さんの思い出」
昔札幌に、張某さんという、中国山東省出身のコックさんがいました。そのお店
は味がよく、値段も手頃で、市民に愛されていました。が、この張さん、長年の
顧客も知りませんでしたが、戦中に徴用されて北海道の炭鉱で働かされ、終戦前
に脱走して山中に潜んで暮らしたという経験の持ち主でした。今回はその張さん
の思い出話です。
さて、いきなり余談ですが、中国の小説で「張某」と書くと、ほとんど「名無し
の権兵衛」と同じ意味です。何しろ世界で一番多い姓ですから、某では匿名と変
わりませんが、張は実名です。名前はわかりません。中国式にはチャンさんで
しょうが、我々はチョーさんと呼んでいました。
張さんの生まれ育った山東省は、中国の中でも特別な場所として知られていま
す。日本で山といえば富士山。それと同じように、中国で山と言えば「泰山」で
すが、その東側という意味の地名です。泰山は、歴代皇帝の中でも少数の選ばれ
た者だけが「封禅」の儀式を行ったことで知らる、聖地中の聖地です。また麓に
は水滸伝で有名な「梁山泊」があります。中国人にとってはそういう特別な場所
であると同時に、そこに生まれた人もまた特別な目で見られています。
山東省出身の歴史的な人物と言えば、孔子、孟子、孫武・孫ピンの両孫子、呉起
(呉子)、諸葛亮(孔明)、書家の王羲之・顔真卿、蒲松齢(聊齋志異)、江青
など、一度は聞いたことのある名前がずらりと並びます。
また、満漢全席で知られる宮廷料理は、北京ではなくこの山東省の厨師(コッ
ク)の手によって作られていました。だから中国で山東人と言えば頭がよく、強
い軍人と腕のいいコックが多いことで有名です。また「山東大漢」(山東人は大
男)という言葉があります。孔子や諸葛亮がそうであったように、我らの張さん
も堂々たる体躯の持ち主でした。口数は少ないですが、いつも温和で、慌てたり
怒ったりするのを見たことがないというような人でした。
その張青年は、山東省から北海道に連れてこられ、歌志内あたりの炭鉱で働くこ
とになります。それが今いろいろ話題になっているような強制徴用だったのか、
就職的なものだったのか、本人も決して口にしなかったのでわかりません。とも
あれ日本にやってきた張青年が、はたしてその後いかなる運命をたどるのか。そ
れは次回の講釈にて。



北海道での朝鮮人強制労働者の人が命からがら逃げ出したと言う実話を、高校生たちの演劇部の活動として教育文化会館で観ました。現在の我々が住む北海道で実際に行われた史実と理解するには余りにも酷いものでした。こういう事は避けて来た問題でもあるので、誰もが余り口にしなかった事でもあります。戦後80年の今も問題は残されていて国の対応も難しい立場に成っています。実際には過去の時代の国の施策が原因ですが、現代も負の遺産として重くのしかかっています。全ては戦争が残した国の汚点ですが、当事者の被害者個人としては、人生さえ奪われたのと同じですね。しかも他国で故郷にすら戻れずやむなく生きる術を模索して苦難の道を歩んでいるのでしょうね。
戦争は労働者をよそから連れてくる、朝鮮や満州を植民地としてきた短い帝国でしたから、戦時物資開拓のために石炭や鉄鋼(室蘭もひどいや空知へ運ばれました。九州もそうです。三井・三菱・北炭・住友・富士鉄あらゆる財閥が強制労働者を半島や大陸から連れてきましたね。誰とも同じな1回だけの人生を不本意な人さらいで日本に来て生死さまよう労働をさせれあれ、ある人は肉親に会えずに北の大地に埋もれてしまった。・国家なんて庶民にろくなことをしません。最後は自分の御身だけ大事にして
他は棄民です。能登地震に苦しんでいる市民・町民が『おれたち国から捨てられている、こんな人口の少ない地域に道路やライフラインを早急にしないべな。災害後200日以上経過して、プロレスラーの知事なんか何もしてくれない。いい思いをしているのか金沢だけだ)とこぼしていました。いずれ日本国民自身が棄民される対象になるでしょうね。大金持ちは、資産をドルに換えて海外へ移住していますよ。