飢えない国つくり。
農民が餓死する国は最低の国である。闇市世代の故野坂昭如さん(1930年~2015年)「農を捨てたこの国に明日はない」(2017年3月1日刊 家の光教会)1975年、東芝を立て直した土光敏夫さんと「財界は農業をこう見る」という対談文もある。「日本という国を綜合的に考えた場合、農村のない日本社会は考えられないということが一つ。同時に食糧問題として、しからば日本民族の食糧とは何だ、ということ。大きく分ければこの二つになると思うんです」(土光敏夫)
野坂さんは大企業というか都市資本の親分である土光さんに農業について質問した返事が、上の返答であった。先日、発表の日本の食糧自給率がまた下がって40%を切った。覚えているだろうか?北海道が3つの連続台風に直撃されたことがある。ジャガイモや野菜類の高騰を招いた。その次の年は首都圏が日射不足で野菜の成長が良くない。九州も大雨で畑の被害も甚大。古米や古古米でも貯蔵できるなら最低限、グルメに狂わず、食べれればいいわけで不足ならいつでも食に供せられるようしていると思うが、戦時体験が飢えである野坂昭如さんであるから、またこの国がひとりひとりの国民に異様に冷たかった歴史(棄民で満州に送ったり、南米に棄民させたり、特攻を発明したり、補給船が撃沈されたとはいえ、戦場へ食べ物を運べず半分以上の兵士を餓死させた国である)を考えると、冗談ではなくて、食糧を100%自給させる方向へ転換していかないとまずい。現在は20%を切っている。酪農もアメリカの飼料を輸入していかのも自給率が上がるような数字操作がされている。卵もニワトリの飼料も輸入に頼っている現実だ。日本全体が都市化してサービス産業ばかり多くなると農業の現場についてのニュースがおろそかになる。
鉄は食えない。金があっても食べ物は買えないときがある。そういう習慣や歴史は都市のど真ん中に住んでいると忘れやすい。貨幣や制度はフィクションであるが、食糧や水は具体であるから、水は水道をひねれば出てくる、食べ物はスーパーやコンビニにお金を持っていけば買えると思っている。しかし、こういうことも一瞬で失うこともあり得る。大災害や道路切断で流通ストップ。水道や下水のインフラも脆弱だし(すでに使用寿命が来ている水道管が多い)、雨水も放射能にすでに福島原発で汚染されているかもしれない。
アメリカの農業や酪農も遺伝子組み換え作物の飼料を食べて、抗生物質と成長ホルモンを打たれたニワトリ・ブタ・牛が工場生産性で作られ、市場へ世界へ輸出されている。日々、スーパーの食品やバーガー類に何が混入されているかわかったものではない。世界で禁止されている旧モンサント社のラウンドアップの農薬が日本で堂々と売られていた。コストコに並べらている食品も成長ホルモンを打たれ、牛・ブタ・鳥が病気にならぬようゲージに入れられて安く市場に出されているかもしれない。アメリカが大規模農業の国だというが、中小の酪農家や畑作農家は,工場化して穀物メジャーと連携するために大きな借金をしてよきアメリカの伝統であった農村文化が崩壊している。穀物メジャーの奴隷に近い。1代で終わる種を使っているから、次の年の種を残そうとしても残せない仕組みになっている。世界の食糧はカーギル(非上場)をトップに穀物メジャーの独占状態である。
義務教育で食について近郊の農業を訪ねる授業が必要だとつくづく思う。未来は彼らのものだから。
最後に、野坂昭如『絶筆』新潮社311p(2014年1月元旦)の日記より
『ぼくに提案がある。総理大臣に選ばれたら、まず飢えの経験を義務付けては如何か。ひと月の間、一日一食、白米禁止。雑穀寄せ集めの飯、汁は具なし。国民の役に立つ働きが見られれば、コッペパン一つを与える。こうでもしなければ、役に立つ総理大臣は生まれない。』総理へ飢えの義務化である。
2015年12月9日に急逝する野坂さんだが、前日の日記に『言っておきたい。いざとなったら、金じゃない。食いもののある国が生き残るのだ、よその国など誰が助けてくれるか。農の営みを、自分の眼で確かめてほしい。だが、日本の飢餓は、もう眼の前にある』(377p)
坊主の孫。
あれほど嫌だった田舎での農業体験。小学校にも小さいながら田んぼが有って校門の外には畑もありました。家でも田んぼや畑があったので子供ながらにウンザリしたものです。中学には学校林があって杉の苗木植えから若い木の周囲の雑草の根刈り作業など全校生徒で出かけて一斉に作業しましたが、山歩きも得意な私は得意になって木の実をかたっぱしから食べたり兎を捕まえたりと、それはそれで楽しかったですね。身近に田畑や山林があったからこそ体験できたのですが、都会ではそうは行きませんね。夏になると臨海学校もあり、海の無い私たちは楽しい体験学習でしたが、団体での宿泊のみで魚を獲る事は体験できなかったですね。田舎の環境が無い都会の子たちにも農業や林業や漁業体験をさせたら良いですね。田舎の土地や山を学校で所有すれば定期的に手入れや作付け作業が必要ですから子供達自身の手で作物も作り、正かとして食したり、植林で森を育てて、伐採により木工品を作ったり卒業ごとに記念品として成果品を貰ったりすれば、労働の経験や自然と人間の深いかかわりも身をもって学べるでしょうね。いくつもの塾通いでお勉強ばかりでは人は作れませんね。
seto
農業や漁業や林業体験は、実際にしてみないと楽しさや厳しさがわかりません。小さな庭でもことし初めての芝刈りをしました。知り合いに頼んだのですが、集めてゴミ袋に入れるまでも大変。ヘトヘトで昼寝しました。筋肉量の低下がひどいです。子供なら元気に遊びながら楽しく学べて、それが生涯の財産となるのですから貴重な体験です。都会の人は1次産業をどんどん体験させた方が生き延びる技術としてスマホいじるより大切です。
昔の少年。
嫌な仕事も成果次第では歓びに変わりますね。最近では気づいた少数の大人たちの中にも便利な都会のマンションに住みながらも近郊に畑を借りて作物づくりに精出していますね。秋ともなれば自家用車に収穫した作物を満載しているのを見かけます。一方街中では大型スーパーが軒並み安売りをPR。覗いてみれば確かに安いと感じるものの生産者の顔が見えませんから安全かどうか?は分かりません。自分自身で作ったものほど信頼できるものは他に有りませんね。幼い頃に身近に見たり手伝ったりしていた農作業も長らくご無沙汰して居ますから、今になって見れば、果して自分に出来るかどうか?
seto
きっと農作業できます。体のどこかに覚えていますよ。ことし1回目の芝刈りでした。友人がそのために芝刈り機を買ってきました。蓄電池の静かな音でした。代金を支払っても赤字になる仕事ですが、これから芝刈りの需要を見込んでます。不要な樹木伐採と廃棄もしてくれるから、昔の少年さんの庭で要望があれば恵み野から派遣いたします。シルバーより安いですよ。よろしくお願いいたします。情けないくらい、体力が衰えています。膝当てを当てて動いています。それにしても草木の力がすごいです。
アドマン。
長沼の大農家から直接農産物を買ったり、収穫に行ったりしますが、短時間作業とは言え、炎天下での収穫は大変です。今では代も若返り、ドローンなども駆使したりしながら管理したりと近代化はして来たものの、土を相手の農業ですから決して綺麗ごとでは済まされませんね。世の中の米騒動も備蓄古古古米放出で若干収まりつつありるようですが、国内よりも海外に輸出していたなど国やJAが関わるとロクな事が有りません。国内産より安いとの理由で輸入食品に頼る暮らしも食品の安全面から見ても果たして良いのかも疑問ですね。地産地消などと当たり前の事が最低基準ですから、自給自足の精神で農業や漁業従事者の若い後継者を育てる事も大切ですね。
seto
炎天下では必ず帽子をかぶらないと日射病になると注意されました。商社が陰で食料で儲けようとたくらんでいます。食料は税金を入れても100%自給へ向かわないとすぐに危機(地震や道路交通遮断)が来ますから、自然災害の国はまず食べ物をつくらないと生きていけません。コスパなんて概念サヨウナラです。コスパが最悪なのは政治家ですね、官僚たちですね。特別会計予算で食べている、社団や財団の役員たちです。NHKなんて毎回、特集してもいい話題です。そうやって農業を救わないと、胆振東部地震のとき、人口7万の都市から食品が消えましたよ。道路も停電で寸断でした。空恐ろしい首都圏です。タワマンは地獄ですよ。