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近所の知人のガレージ

自分の子供や孫たち、自分をよく知っている何人かのためにブログを始めるといいかもしれない。今年は例年の倍くらい『喪中につき賀状を失礼する』ハガキが届く。世話になった会社の先輩もいる。私が死んだらブログアドレスを教えて、生前の自分がどんな日付でどんな考えを持っていたのか、4歳になる孫が成人を迎えて、そのときおじいちゃんである私のブログを読んでもらおうと考えている。

そのためには、グーグルという企業が残っていて、私のデータが保存されていると仮定しての話だが。それもデータ大保管庫へ隕石が衝突したり、電源が消失して、グーグルデータ復活不可能になれば、すべて消える。記録メディアの寿命は私たちが想像する以上に、案外短いかもしれない。こうやって打ち込んでいる文字も、紙に残しておく方が頻度多く読まれて長生きしそうな気もしてきた。

SDカードにも膨大な孫の写真が入っているが、定期的に整理しないと、アルバムで残さないと、見ることが少ない。デジタルカメラだから撮影枚数は膨大になるだけ。便利なようでいてアナログの世界が懐かしくなる。フィルムや現像費用が高くて何事にも慎重に撮影していた。

近所に私と同じ年齢の人がいて(彼は技術系で大工道具を親父の残したものを含めて壁に整理している。男の子二人はこの道具を使いそうにないと寂しそうだ)(写真)。若いころからカメラ好きで現像室をガレージに作り本格的だ。カメラ雑誌に投稿して銀賞に入ったこともあるというので見せてもらった。新聞社主催のコンテストで記事と作品の切り抜きも綺麗にファイルされてあった。モノクロだが可愛い3人の子供が牧草の上で微笑むいい写真だ。

「いまはいい性能のカメラがあるから、上手だけど何かね…足りないんだ」。「プライバシー保護から勝手に他人を写せなくなってから、写真対象はペット・動物・花や鳥や城や電車や風景や空や飛行機やビル街だったり、表情ある人間が超少なくなって、面白くないんだ。土門拳の筑豊の子どもたちみたいなイキイキした顔が見たい」と私が応じた。さらに「人間臭さが欲しいね、どこでも」。

パソコンを打っていると漢字を忘れやすい。下手したら自宅の電話番号も「イエ」と携帯に入れてるから間違えるときがある。大脳の劣化や記憶力の低下にSNSは力を発揮しているかもしれない。

そういう私のブログではあるけれど、いまは読まれなくても未来の人が私の1行に偶然ぶつかり、何かを感じてもらえればそれでいい。

  1. 本当の自分をブログでどこまで書けるかは難しいですね。言論の自由とは言え書いてはいけない事もあるだろうし、絶対言えない事の一つや二つ持っているだろうし、ゆくゆくは親族にも読ませるなら当人達への中傷も避けなければいけないだろうし、特に子供に読ませても問題ない内容になるだろうし、何も気にせずに自由に書ければいいのですが。

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