アメリカを悩ます銃と自殺の関係
10月27日号のニューズウーィクは、アメリカ人の銃に関するレポートだ。相次ぐ銃乱射事件(6月17日、黒人の教会で9人殺害、7月16日米軍施設内、23日ルイジアナの映画館、8月26日テレビ中継現場でそれぞれ乱射事件発生)。
2012年(これが最新らしい)でアメリカで銃弾により死亡した人は3万2288人。ある論文によれば、実はその64%が自殺で占めている。要は他人からの防衛(護身用に購入しているはずが)、自分で自分を撃つ人が多いという話なんだ。(アニュアル・レビュー・オブ・パブリックヘルス)
アメリカ疾病対策センター(CDC)によっても、アメリカでは毎年3万2千人が銃により死んでいるという(上の論文と同じ数)と。うち2万人が自殺者だと推測されている。死亡記事は「急死」「自宅で死亡」「不慮の死」と婉曲な表現を用いているが。銃保有と自殺の関係を深く掘り下げる記事が少ないらしい。マスコミ自身がはっきり「銃による」とわかっていても書かない、書けない。
自殺者はなぜ、みずからの命を絶つのかという問いに実は「銃を保有しているから」というより、自殺の決行の手段として、精神疾患や依存症・家族歴が原因では自殺に走らせるリスク要因として銃の保持を考えてはどうかと述べている。しかし、銃規制に反対する勢力は強大なものがある。
実際、ハーバード大学傷害コントロール研究センター長は、15年にわたる研究の結果、「銃が身近にあることが自殺の確率を高める」という統計上の数値がふんだんに得られたと述べている。さらに、銃保有率の高い15州では、銃の所有率の低い6州に比べて銃による自殺率が3.7倍。女性の場合は7・9倍高くなっている。
自殺未遂者153人に聞くと、自殺すると決めたのはいつだったか尋ねると、全体の70%が1時間以内と回答した。自殺は衝動的な要素が強いのだ。生きている人間ならだれしも「生きていくのはしんどい。死んだら楽になるのかなあ」とほとんどの人は一度は考えるものだ。
しかし、統計でわかるように手首を切る恐怖に比べれば、銃は自殺を後ろ押しする道具として最適だ。致死量の薬を用意する準備もいらないし、一瞬で終わる。
アメリカで銃で亡くなる人の数(3万2千人)と日本での自殺者の数が偶然近い。我が国の自殺未遂者がこの10倍の数いることを考えると1年間に約30万人が自殺を図り、家族・友人・親戚が10人として、300万人が本人以外に心の傷を残す。そして傷つく国民がなんと10年間で実に3000万人。身近に自殺者(未遂を含めて)を抱えることになるのだ。凄い世の中だ。他人ごとのように書くけれど、かく言う私もスポンサーで4人、親戚で2人、隣近所で2名、合計8人いる。身近なことなのだ。
昔の少年
自殺は勇気がいると思う。そんな勇気があるなら、もっと生きていけるのではないかとも思う。自殺とは意味合いが違うが、昔の切腹などは更に勇気がいる事だろう。特攻だって勇気がいる。銃を持てる国で事故や殺人や自殺に銃が使われるのは当然だが、改善されないのは日本のように敗戦国でないからで、銃を取り上げる機会もなく今日に至っている。今の時代に火薬を詰めた薬きょう付き弾丸を弾倉に詰めて撃鉄の衝撃起爆で弾丸を発射させる旧式の武器を未だに後生大事に持ちたがる古い思考の社会はいずれは変わるだろう。銃は古い前世紀の遺物としても、自殺そのものの原因はますます複雑化する時代背景や家庭や社会環境に起因していると思う。日本でも心療内科が大流行だ。さきほど小6の女の子に「カウンセリングって何?」と聞かれ「相談だろ!」と答えたが、小さな子供たちさえ悩み多き時代に入っているようだ。