私の交通事故 原因と結果 偶然の重なり
私が32歳のとき信号無視で交差点に進入して、軽自動車が運転席側に激しく衝突して、私のホンダアコードが衝突の勢いで、クルクル廻り電信柱に後部がぶつかり止まった。南北の幹線道路から1本西に入った、一時停止が何回も続く住宅街の道路を選択したのだ。
友人が家を新築して版画でも送ろうと、近くの喫茶店兼画廊へ行こうとしたのだ。さらに転職も考えてるときでもあり、この日はロスアンゼルスオリンピックでマラソンの実況放送が流れていた。宋兄弟と瀬古が走っていて夢中で聞いていた。相手の軽自動車。ラジエーターから水が滴り、運転手はハンドルにうづくまっていた。
私の車には3歳の娘と妻、相手は信用金庫の営業マンがお金を積んでいた。原因は100%私の信号無視。保険会社の査定もそうなっていたのだが、事故後30年以上経過するので、冷静に事故が起きるとはどういうことか自分の当時の心理状況も踏まえて分析しようと思う。
(1)運転に集中できない心理面・・・転職前のイライラ。道路が一時停止が続き、ここも一時停止であろうと独断し、信号の有無を軽視。オリンピックマラソンラジオ中継に気を取られる。
(2)大事故に至らなかった原因・・私の車が中古のホンダアコードでボディーが厚く、しかもピラー(柱)に相手の車の正面がぶつかってくれ、軽自動車であったこと。万一トラックが猛スピード侵入したら今こうして私がブログを書いているかどうか疑わしい。近くの不動産屋がすぐに警察へ電話をしてくれ、対応が早かった。後部座席の娘は衝突と同時に車の天井にぶつけられて30歳を過ぎても天頂がへこんでいる。相手側は相即に現金を同僚が取りに来た。大事なのは本人の状態よりお金であった。両替用のダラ銭ばかりだと後で知った。
(3)交渉面でラッキーだったこと・・信用金庫へ詫びに行くと「交通事故は100%、相手が悪くても起こしたこと自体で出世に・査定に響くのでどうか示談にしてほしい」と上司。「病院その他、本人も大丈夫と言ってるが、万が一入院でもなればそちらの保険を使わせていただきますのでよろしく」とのこと。あれから私へ何の連絡もないので一度だけ信金の支店へ電話したが「もう大丈夫ですから」。
(1)から(3)まで、ほとんど偶然の集積で必然の要素はないような気がするがどうだろう。男と女の出会いも交通事故みたいなもので、どこでどう会うかわかったものではない。しかし、偶然も数え上げると原因の積み重なりが見えてくるから不思議だ。一番の偶然は、私がここに生きているということだね。父の何億という精子が母の卵細胞に入り受精したときから始まり無事に生まれた。その両親もまた・・と繰り返すと無限の生命の鎖が見えてくる。交通事故の原因からここの話は我田引水すぎるか。
二本足で歩き始めた人類も偶然、立ち上がったと考えると交通事故みたいに思えるがどうだろうか。
昔の少年
「偶然」大好き人間ですが事故だけは嫌ですね。クルマを多用する僕も何度も事故に遭っていますから保険は今や9等級でゴールド免許には比べようもなく毎月14,000円余も払っています。自業自得とも言えないのは貰い事故も有ったり道路状況の変化で防ぎようの無い場合など正に嫌いな「偶然」の出来事です。幸いにもこれまで大事故には至っていませんが、若い時は過信から事故を起こしがちですが、昔の少年の僕たちは加齢と共に動体視力や判断力など運転動作に支障をきたすようになるものです。クルマには自覚を持って乗りたいものです。好きな「偶然」はうれしいものです。昨夜もネットで調べたら、適当な数字を羅列して購入したロト7の数字3個とボーナス数字が一致していました。元を取り戻しただけですが、また「偶然」に600円ばかり賭けようと思います。内心はキャリーオーバーの12億円のうちの8億の「偶然」を夢見ているのですが。ある日突然ブログのコメントを書かなくなったら良くも悪しきも大きな「偶然」に出会ったとのだろうと思ってください。それにしても驚いたのは銀行は出世のため?と言いながら上司の汚点防止から来る人命軽視・と小金第一なんですね。