(続)一寸先は闇
9月7日に一度、私の急性心筋梗塞で倒れた話を書いたが、きょうは仕事を含めて世の中のことだ。不正経理で東芝が地方都市の工場で数千人規模の希望退職者を募る話なんて、ひどい話だ。当初、マスコミに流していた不正経理に加えてアメリカのWH関連の損金も加えて膨らんだ。原発の東芝と言われるくらい電力会社と東芝は密着度が高い。
原発の受注を東芝と同じように仕事をしている重電の日立は新幹線及びシステム(英国の新幹線も現地生産ではあるが受注した。加えてインドでの新幹線も受注)、三菱はロケットや小型ジェット・自動車・軍需産業に深く食い込んでいる。全然、活字にはならないけど、東芝はカザフスタンのウラン鉱を買収したはずだが、どうなっているのだろうか。しかし、未来は暗い。普通の企業なら、あの金額の不正経理が何年も続いていたら、東京証券取引所から『監理・整理ポスト』に入る。株主への重大な背信行為として。私は株をやったことがないから、どうでもいいけど、働いてきた社員たちには同情する。『整理・監理』ポストに入ればさらに膨大な社員の失業が出るか・・・?
人員削減の嵐、倒産の嵐がバブル崩壊後、繰り返された。北海道も御多分に漏れず、北海道拓殖銀行の破たん、連鎖して地崎組、ブルーハウス、カブトデコム(洞爺湖ウィンザーホテルを作ったゼネコン)、売上100億円を超えた広告代理店2つ、風力発電で一世を風靡した新日本技研、さらにマンションデベロッパー丸増、宮川建設、ハウスメーカー『木の城たいせつ』など。さらに中小の下請け会社も倒れた。生き残った広告会社、建設会社も人員を削減した。その時代、私も何人かの転職相談に応じたが、紹介できたのは少ない。特に40代や50代は強いコネでもあれば別だが、相当な賃金低下を覚悟しないと転職できない現実があった。
教育費と住宅ローンもあって、安い給与で妥協ができないのだ。自分の行いでよく言われる『身から出たさび』ではないので、運や時代の風に翻弄されたというのが正しいと思う、経営者は別だけど。結婚後3回の転職経験者の私なので、次の仕事を探す苦労は妻子には大丈夫と言いながら、気持ちの中では『困った、困った、どこかいい勤め先はないか』と焦ってしまう。履歴書を出しても出しても戻ってくる日々もあった。当時は派遣業は速記や通訳の世界に限られていたから、正社員募集が多かったにもかかわらず。
それでも決まるまで眠れない日々が続いた。それを思うと、預金者からの利益収奪で儲ける一部金融や政策のお蔭で黒字を出している自動車産業を除けば、身近に景気のいい話はない。政府の統計発表は、アメリカもそうだが信用しない方がいい。必ず数字マジックがある。失業率を減らすために、公共のアルバイトを短期間雇うこともするから。
そういう時代に、転職をしていくことは、眠れない日々が彼や彼女を襲うと思う。どうか一寸先は闇の世の中であっても『光』が見えるところへ移動できますように。
昔の少年
問題の企業に、僕や家族も何らかの関りを持っていた事を改めて知った次第。バブル崩壊後だけでも4回転職(内二回は自立も)。これまでに12回ほどの転職と10回ほどの転居など、初めからジグザグ人生設計。学業優秀でもなかったので頭脳だけで勝負しょうなどとは思ってもいなかった。そんな生き方には自と技能が身に着いたから生きて来れた。試験大嫌いな僕は、おかげ様で1000人規模の企業でも殆ど筆記なしの面談だけで通り抜けて来れた。昔で言う「手に職」と言う奴だ。だから自分は学歴偏重の社会の中でも大工さんや左官屋さんと同類項の職人だと言い聞かせている。社会に必要な職とそうでもない職がある。ビジネスにも実業と虚業があるように、景気のいいときや、逆のナベ底景気の時には虚業が暗躍する。コンピュータが導入されてからは操作できるものが優遇された。PCを或る程度操れたり興味を持つ事が生き残れる最低ラインになった。現在では当初の3分の1程度の設備投資でPCも入手でき環境は整って来た。次の時代には一体何が必要になるのだろうか。宇宙の探査機のように未来が見えればいいのだが。