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ツールドフランス

ドーピングといえば、禁止薬物を服用して、少しでもいいい成績や記録を残したいアスリートを襲っているが、以前から水着の材質に抵抗感を減らしたり、ボール競技の空気圧など用具に細工を施す営み。スポーツメーカーは、選手に使ってもらうために無償で技術者を同行させたり、運動具まで無料で提供している。

昔、棒高跳びも竹材からグラスファイバーに変わったとき一気に高さが伸びた。野球にしても、金属バッドが出てきたり、サッカーもシューズが異常に軽い素材を使ったり、選手を自社PRの媒体として使ってるメーカーは宣伝費としては安いものである。ロゴをしっかり入れているから。しかも大きな大会は公共の電波であるNHKも写して宣伝してくれる。

きょうのブログは5月3日&10日の『ニューズウィーク』「ここまで進化、技術ドーピング」と題して、自転車競技の世界で、細工どころか小さな電動モーターを自転車に付けて走っていた話だ。2010年ごろから自転車競技の世界で電動モーターを細工している噂はあったが、証拠が見つからなかった。

しかし、ことし1月の世界選手権でベルギーの19歳女子選手の自転車からモーターが発見された。4月中旬にフランスのスポーツ番組で3月に開催されたイタリアでの2試合で、7人の選手に性能を不正に向上させる装置が付いていた疑いが指摘された。USI(国際自転車競技連盟)は、高周波探知機を使った検査を導入したり、サーモグラファーカメラで撮影したりして、7人のうち5人は、先のベルギーの選手と同じモーターを、2名は磁気推進システムを使っていることがわかった。筆者はこのシステムが良く理解できないが・・・。

電動モーターは広く市販されている。日本でも広く売られている電動自転車に使われているものを、さらに小さくしたものだ。モーターを隠して競技に臨むのだから、選手も良心が咎めないのかなと思うが、金のためなら何でもする時代か。札幌で「ママちゃりレース」がある。普段、買い物に行くときのママチャリで競う楽しいイベントだ。ツールド北海道もあるから他人ごとではない。「技術ドーピング」とは、うまいネーミングだと感心。

原題はTHE NEW LOW OF MECHANICAL DOPINGで新たな法規制を提案している。それにしても「勝つために、こんなことまでして何が自転車競技か!」と思いたくなる。

  1. いっそ「電動アシスト・ツールド北海道」なんて作ったらいかが?。エコで環境にいいわけだし。(製造過程ではどうか?)バイクより経済的だし。人力も使うわけだし。二輪もいいけど、三輪ベロ・タクシーに客を乗せての競技も。いや電動アシスト付き人力車で漕ぎ手交代要員を乗せても。ちなみに、僕の母の実家は東京で人力車屋をやっていたらしいが、そのころ電動アシストがあれば、住み込みの千葉の若い衆たちも助かったのに。屈強な彼らなら、東京オリンピックなどで自転車レースなどあれば、お手の物だったろうに。でも、クリーンでエコな乗り物の前に汚れた東京をクリーンにしたほうがいいかも。「イヤなトセイだなぁ」。

  2. 軍用から民間用に改良されたものは数知れない。つまり平和利用と言うわけだ。軍用では究極の場合に備えての真剣な研究から実用化するため民間用に改良されれば、さらに進化する。あのVWのビートル(カブトムシ)の前身もドイツ軍の軍用車で水にも30秒間は沈まず、その間に脱出でき、ひっくり返っても頭部を守るための屋根の形状や、RR(リヤエンジン・リヤドライブ)つまり後輪に過重を掛けて砂地や悪路でも走れるように考えられた。小型モーターなどは日本のお得意分野だから、電動アシスト自転車にも今後、近い将来はもっと活用され、カッコのいいロードやMTBなどにも採用される事になるのだろう。その点から考えれば、ベルギーの女子選手は競技者としては失格かも知れないが、社会貢献度が高いとも言える。

  3. 倶知安のレーシング・コースで乗用車レースの合間に余興でママチャリ・レースをやった事がある。また、同じレーシング・コースを足で走らせるレースもやった。エンジンで競う競技よりも、この方が観客にウケた。クルマと違って、それほど、クラッシュなどの心配もなく、和やかなレースだった。その頃は電動アシスト自転車など未だ無かったが、今の自転車のアシスト・モーターには規定があって必要以上のパワーを出す事を法律で規制している。余りパワフルに仕上げれば自転車も「自動車」、「バイク」のジャンルとして分類され、自動車税やら免許証やら、いろいろ面倒なものが絡んでくるらしい。

  4. 自転車の想い出はたくさんある。幼少時に竹馬の友が古い子供用自転車を持っていた。それに乗りたくてその場だけ仲良くしていたが、本当は仲良くはなく、いつも喧嘩ばかりしていた。なのにいつも二人で一緒に大人への悪さばかりしていた。そのころ普段の僕は大人用自転車に三角乗りをしていた。三角のフレームのところに片足を入れて反対側のペダルをこぐ。今思えば危険な乗り方だ。中学へは、夏は自転車通学で砂利道の坂道で往きはよいよい復りは辛く、サドルに座る事もなく立ってこぎ続けて3年間。脚も腕もたくましくなった。それに悪路のせいでよくパンクした。自転車屋のオジサンとはすっかり顔なじみになって時々お金もとられなかった。荷台を外して、カッコよく颯爽と女子の傍を通り抜けるのが快感だった。

  5. クルマで転んで自転車で助かった話

    隣に座って僕の助手をしていた愛媛松山出身の青年がいた。あるとき、北海道の凍った道で転倒して腕を骨折。仕事も出来ず、一旦故郷に帰した。下宿の荷物は僕がすべて荷造りして送り返してあげた。やがて復帰して大阪本社勤務で最初は坊や(新聞社などへのパシリ)だったが、やがて頭角を現して一つの部局の局長にまでに出世。彼には笑えるエピソードだらけだが、その一つに、ある日、四国松山にある大手の食品会社へ向かった。当時は橋はなく船便で渡り、駅前からタクシーで大手食品会社玄関先に降り、社長室へ。社長が開口一番「お前、何で来た?」と。「タクシー?10年早いよ!どうせウチのカネ使ってるんだろう?」と。さらに追い打ちで「出入り禁止!」となってしまった。彼はD社と競って獲得した大口得意先にインドウを渡されてしまった。そんなことでメゲる彼ではなかった。次に彼は駅前で中古自転車を千円で買い求め、真っ赤なペイントを塗って、それに跨り凝りもせずまた大手食品会社を訪問。今度は玄関先のゲートの目立つところに自転車を置き、その傍らで座り込んだという。社長は上からそれを見てしばらくすると窓から手招きをして、「見込みのある奴だ」と、出入りを許してくれたという。中古自転車が彼の人生を救ってくれたのだ。一代でここまで築き上げた社長のエピソードは彼の比ではなかったが。

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