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黒澤明「生きる言葉」(PHP、黒澤和子194p)。「どんな理由があっても、戦争だけはしてはいけない」「自分の大切な人が殺されそうになったら反撃しないのかって、よく反論されるんだ。そういうことじゃないんだ。戦争というものが始まってしまうと、虫も殺せなかった人間が人を殺し、こころ優しい人間も身内を守るために鬼の形相になる。戦禍の中では自分が生きていくだけで精一杯、人間が人間でなくなるから怖い」「戦争を始めるのは簡単だ。でも巻き込まれた人間の心が立ち直るまで、さらに世代を超えて累々と悲しみは続くんだよ」

娘さんの和子さんが父黒澤明の残した言葉のアンソロジー集から。きょうのブログは300文字でおしまい。

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  1. あの第二次世界大戦に志願して予科練から飛行隊に進んだ長男の兄。そんな時代の中で徴兵から逃れた父。対照的だ。どちらが正しいなどと言えない。時代背景から若者は洗脳されやすく、大人は仕方なく参戦させられたのだと思う。父はたまたま徴兵を逃れる運を持っていたのだろうが東京空襲の体験者だ。幸いどちらも最終的には生き残った二人から僕はその事実を聞かされてはいないが戦場の修羅場を見て来た証人だ。大人たちはなぜ?子供たちに真実を語らなかったのだろうか?それはとても口には出せないほど無残な光景を目の当たりに見ざるを得なかった時代の人達の共通した考えなのだろう。簡単に「戦争はやめよう」と叫んでデモる現代の若者たちを見ていると何故か空しくなる。

  2. 中学の時に剣道を習っていた。大会になると師範たちが真剣で型を演じたり、試し切りと言って、青竹を芯に菰を荒縄で巻き付け、一昼夜水に浸けた等身大の人体に見立てた物を分厚いまな板状の板の上に立てて一刀両断に断ち切る。昔はあんな風に人が切られていたのか?と恐ろしくなった。竹刀で叩き合うのは可愛いが、木刀の型の場合、ちょっとでも外せば紫色に腫れ上がる。考えてみればスポーツは野蛮で、元を正せば皆、戦争の擬似化だ。

  3. 戦争を知らない世代の僕たちには、聞きかじり、読みかじりから推測の域を脱する事は出来ないが、親たちの激動の時代を乗り越えた術をもっと知っておきたい。歴史は繰り返すと言われるが、いつ何が起こるか判らない国際情勢になりつつある現状だが、国境を海に囲まれているわが国の子供や孫たち現代っ子は平和慣れしきっていて恐ろしい。

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