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中国は大平原が多い。東側と南部。移動しやすい地形だ。

以前中国で暮らしていた知人が、上海空港で詐欺にあったことがありました。
なまじ中国語ができたばかりに、長距離バスの割安キップ売りに来たダフ屋に引っ

かかってしまったのです。それでも乗車の際には、運転手にキップを見せて目的

地に行けるか確かめ、問題ないと言われたのですが、案の定、見たこともない場

所で降ろされてしまったそうです。

この時は、運転手も詐欺の片棒を担いでいました。よく身ぐるみ剥がされたり、

殺されたりしなかったものだというと、中国にそういう詐欺はいないと言ってま

した。顔見知りのゴロつきにちょっと強く言われると、公共交通の運転手でも、

はいはいと片棒を担いでしまうが、命までとるような度胸もないという気の弱さ

が中国人らしいのだそうです。

そんな風に、ちょっとした犯罪が身近な暮らしに馴染んでいるところが、いかに

も中国らしいですが、中国史に何度も登場する盗賊や匪賊と言われる犯罪集団に

も、日本人には考えられない、いかにも中国ならではの特色があります。

 

中国語で盗、賊、匪、寇のつく集団は、名前こそ違えどどれも似たり寄ったりの

非合法の武装集団です。馬賊、山賊、そして我らが倭寇なども同じで、集団で武

装して好き勝手をしました。匪賊は、農村の余剰人口である「閑人」の中から生

まれます。これは日本のヒマジンのような穏当なものではなく、やることがなく

て不満を抱え、絶えずよからぬことを考えているゴロつきのことです。村を襲っ

て物品を掠め取り、人を誘拐して身代金をとって生活していました。規模が大き

くなって村や州をまるごと占拠し、挙句の果てに当時の皇帝を廃して王朝を作る

ことも珍しくありません。むしろ、中国歴代王朝の開祖は大体そんな風に匪賊集

団を興し、各地を転々としながら勢力を拡大して、最後に王朝を開きました。秦

を滅ぼし漢を築いた劉邦などはその典型ですが、同じく秦末には陳勝という人物

が匪賊集団を率いて国を作りました。が、こちらはそのまま王国を継続できな

かったので、歴史上では匪賊、反乱軍の扱いです。要はその程度の違いしかあり

ません。

 

匪賊集団が巨大化するには、インテリの参加が不可欠でした。当時は教育といえ

ば儒教の時代ですから、良家の子は、世間知らずのままやたらと道徳的な教育を

受けて育ちました。こういう連中が世の不公正に憤慨して匪賊に身を投じたの

で、秩序と組織力が生まれ、勢力が拡大して行きました。現代でも大学を出たま

まマトモな職につけない若者が多いらしく、政府はその動向に随分神経質になっ

ているようです。

また、渡世人や流通業者などと通じて、情報と物資の調達を図ることで、さらに

勢力圏が広がっていきました。これらの人々を結びつけたのが「侠」の心、すな

わち不正を憎み、仲間の結束を重んじる義侠心です。これは中国人の大好きな世

界で、未だに時代劇といえば武侠物、義侠心に富んだヒーローが活躍するチャン

バラものです。

ちなみに匪賊に対抗した義勇団も作られましたが、これも実質は匪賊と同じ、す

ぐ略奪や身代金めあての暴力集団に成り果てました。匪賊討伐に差し向けられた

官軍さえ、街を奪還した後は、三日間略奪し放題というルールがあったそうです

から、一般人からすれば、黙っていても誰も助けてくれない、いっそ自分も匪賊

になろうか、と思ったとしても無理はないかもしれません。

 

 

  1. 我が国にも立派なヤクザとして清水の次郎長などの名が残されていますが、現代のインテリヤクザも勢力争いには下っ端を鉄砲玉に使い、義侠心など全く薄れていますね。東大法学部出のインテリが半端な小遣い稼ぎで税金をちょろまかす東京も、お爺さんの代からの世州お坊ちゃまが、諸外国への外面良くも、国民無視のやりたい放題の国会も似たようなものですね。太古の昔から隣国の中国をお手本にして来た流れが今も踏襲されているのか。

  2. 中国では今も、天安門事件を引きずっているようですね。天安門では、軍の装甲車がものものしく厳戒態勢を敷いているようです。日本に観光に来る中国人を見るにつけ、余りにも自由奔放と感じますが、あれは国外だけの顔でしょうか?13億人以上とも言われる人民を統制する事は、ましてあれだけ自由奔放な国民性を手っ取り早く抑え込むには軍しかないのでしょうが、僅かな上層部で、あれだけの大国を統制するのには、もう限界がありそうですね。今の中国を表すには「不自由民主主義」とでも?。

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