記念すべきブログ2本目の記事です。昨年3月19日。私のブログも再録も入れるとあと少しで500本になりますが、この雑誌との出会いがなければ私のブログは生まれませんでした。大学時代の恩師も亡くなり(彼からフランシスベイコンの自然観を学んだ)寂しいですが、たぶん、筆者の勘ではこの巻頭言は彼の筆になるのでは?と推理しています。

太古につながる生活者の目

DSC04268ひとこと「太古につながる生活者の目」という言葉の説明をさせてもらいます。1975年に社会思想社から「知の考古学」(写真)が発刊された。当時の気鋭の歴史家・哲学者・博物学・中国文学・科学思想家・言語学・社会学・植物学・ファシズム論・日本文学・ロシア文学・縄文文化・江戸の洋学者の紹介・建築学・朝鮮文学・地理学・麹についての発酵の文化までやる気満々の人たちが手弁当で、当時、「日本で最高の知の雑誌」があった。この雑誌を開くと必ず、右ページに下記の静かなメッセージがゴチックで縦書きに右から左へ書かれていた。

 

わたしたちは

同時代ドラマ終焉の幕間に

棲息しているが

この黙示録的同時代を凝視するとともに

現代史の一齣でありながら

太古につながる市井の生活者の眼を掘り起し

人間の思想の復権を願う者である

真に力ある思想とは

回心を促す思想であり

また

いつも思いも寄らぬ地平から

拓けてくるものであることを信じている

 

当時、この宣言文を私は好きでたまらなかった。何度も何度も読み返した。権威によりかかった、現今のメディアの繁茂を見るにつけテレビや新聞を見たりするのが嫌な時代が続いた(いる)。自分が喋る言葉も、いつのまにか業界用語に染まり、得意げに議論していた恥ずかしい自分もあった。60歳を過ぎて、書棚を整理しても捨てられぬ本はあるもので、この雑誌もそのひとつだ。地味な仕事をたくさんしている翻訳者や歴史家もこの雑誌で知った。関心のある向きには、古本屋の店頭で1冊、手に取ってみてはいかがだろう。  

  1. 本ブログのテーマは何故?とずっと思っていたのですが?これで由来が判りました。それ程の読書家、勉強家だから知識が豊富な訳ですね。「物知り博士」にも未だ知らないジャンルなどありますか?また、知らないで良かった、なんて事なども沢山あるのでしょうか。そんな「知らない方が良かった」的なお話しなどもお聞きしたいものですね。

  2. 僕の頭は雑学でできています。一つとしてまともな勉強などした事がありません。その場その場をしのぎ、必要なものも不必要なものも、ざっくり見たり、聞いたり、読んだり、書いたり、また描いたり、してきました。だから何でも知っているようで、実は深くは知らない事ばかりです。今もその状態は続いていて、若い人からも、全ての周囲の人からも、頭の栄養を貰って生きています。誰もが、自分に無いモノを必ず持っていますからね。真似たい事、真似たくない事、すべてが勉強になりますね。人は自分を変える鏡ですね。貴方も。

  3. そんなに、沢山読書していて目は疲れませんか?頭痛などしませんか?眠くなったりしませんか?不思議です。
    その時間をどうやって作っているのですか?横槍や、邪魔は入らないのですか?書斎があるのですか?いつも環境は静かなのですか?僕は、全く、今の逆です。目は疲れて眼鏡を取り換え、長時間熱中すれば頭痛になり、いつか居眠りしている自分に気づきます。まとまった時間が持てず、新聞を読めば急かされ、PCの前に座れば孫の邪魔が入りPCを奪われ、嫁にはPCは会社でやれと言われ、家事にも追われ、仕事にも追われ、クルマを運転していれば音楽やラジオを聴く程度で、他には何も出来ない状態ですね。誰かが運転してくれたなんてことは殆どありませんから。つまりは、自分で自分を忙しくしていて、まとまった自由な時間が作れないのかも知れませんね。とは言うものの、ポカリと時間を与えられたら一体?何から始めたらいいのか戸惑うのかも知れませんが。

  4. 多分、推測ですが、周りを、背の高い書棚に囲まれた静かな書斎で時間を気にせず読書に没頭しているのでしょうね。自分も昔、休日に下宿部屋でイーゼルを立てて油彩を描いていて昼飯も忘れ、気づいたら夜だったなんて事もありました。ただ、図書館ならまだしも、自宅の背の高い書棚は書籍の重さをずっと我慢しているに違いありません。時々整理して軽くしてあげなければ、地震でも来たら本棚の下敷きになりかねませんからね。書棚の下敷きになって命を落としても、「本望?」なんて洒落てられませんよ。

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