依存症ビジネス(第4回) ショッピングモールは人をゾンビにする。
1968年、ロメロ監督のゾンビが被害者を再ゾンビ化する映画『ナイト・オブザ・リビングデッド』をつくりゾンビ主役の映画ブームを起こした。脳みそがなくて死なない人間を作った。ペンシルベニアのモール街に出てくる。ショッピングモールに吸い寄せられるように蠢(うごめ)く。現代人もショッピングモール街をクレジットカードやポイントカードを握り締めてさ迷うお客がゾンビに見えると著者は言う。
さらにこのモールを最初に発案した人は、買い物客を迷路に追い込み、キョロキョロさせて買い物衝動を発動させる効果を狙っているとも。イオンモールなどは、どちらかというと直線的なモールだが、札幌駅の地下街は2列3列がモール街で東西と南北でごちゃごちゃであり、長年住み慣れた札幌市民も困惑する地下街となっている。わざとそうしてるのか偶然の都市計画(継ぎ足し)か不明だが、確かに女性はきょろきょろしながらお洒落な店を出たり入ったりしている。
というか、どこの街もそうだと思うが男向けの店が少ない。こういう配置になると、人間の原始的な大脳部分は、狩猟採集民族の働きで、脳が処理できる以上の小売環境に投げ込まれる。脳を失ったゾンビに近づくというわけである。目がくらむ買い物客の集団。物を買う行為が楽しいのはなぜだろうか?
この本では、買ってしまうより、そのプロセスの想像、試着したり、鏡に映る自分を見たり、カードで切る瞬間、これを着て彼氏に見せたら喜ぶだろうか、友達から賞賛の声が上がるだろうかなど、買う行為そのものに付随するプロセスや想像が刺激的なのである。『記憶に残るのは、より快楽の強いプロセス』なんだと。これはクスリについてもいえて、『このヤクが疲れを取ってくれて、快楽や夢をもたらしてくれる。辛い思い出を消し去ってくれる』と一度でも体験してしまうと、捨てがたい強力な記憶になって残るのである。
アルコール中毒で13年間苦しんだ著者なので、『アルコールそのものよりも、それを飲んだことで楽しいことや普段言えない言葉を吐いたりできる喜び。思いっきり歌が歌えたりすることもあるかもしれない。』その記憶が、依存へ走らせる。快楽を実際に手に入れるより、そこに至るまでのことを想像する、ドーパミンが放出される大脳の仕組みが大きく左右する。ショッピングモールをぐるぐる回ることで買い物客は、ドーパミンがどんどん出てくる。『カード1回払いで!』と言う瞬間のシーンも思い浮かべて。
『タイムサービス』にも弱い。この一言でどっと客が集まる。『限定商品』や『限定00個』にも弱い。個数や時間など外枠を埋められて囲われると走ってしまう。狭いモール街をうごめくゾンビに私たちは変化してるのかもしれない。『こっちの水は甘いぞ!』と誰かが言うとでドドット移動する。ブログ炎上も『あいつは許せない、あいつの発言は非国民だ』でどどっと反応する。買い物からネットの世界まで、『自分の大脳を他人に預けた言動』真っ盛りである。日本会議に影響を受けた議員があの集団の中で誰一人、『自分の言葉で、自分の考えを話せない』ゾンビにすでになっているのかもしれない。
この本の副題は『廃人』製造社会の真実である。それにしても、ショッピングモールで買い物をする人たちがゾンビに見える視点って、人々の声や場内音楽を消してただ動きを見ていると、不思議にゾンビに見える。なんだか世界中がゾンビだらけにも思える筆者である。キリスト教では、最後の審判で、すべての死者は蘇るから、人間はすべて未来のゾンビ候補なんだけど。