北海道への移住者数(県別)一覧。

北海道には、もともと縄文人が住んでいて、そこに北から北方民族がおりてきた。アイヌだったりギリヤークだったりオロッコだったり。アイヌでもホホーツクアイヌ、カラフトアイヌもいれば太平洋アイヌもいて、アイヌ同士も狩猟物をめぐって戦っていた。アイヌとはアイヌ語で「人間」という意味だ。そういう土地へ、今度は和人が本州からやってきた。

ロシアも幕末からシベリア開発で毛皮がヨーロッパで高く売れる・木材資源が豊富・石炭も出ることに目をつけて、デンマーク生まれのベーリングなどを探検に寄越して、シベリアとアメリカ、日本は地続きではなくて、海峡があるということを発見した。幕末はロシアは函館の開港を迫るまでになった。ロシアはとにかく太平洋に出れる不凍港が欲しかった。どこの国でも移民や移住が発生していることはご存じの通りで、その理由は人口の増加と飢え・地場産業の不振と戦争、そして疫病だ。

北海道への移住が多くなったのは明治33年(1900年)から明治42年(1909年)の10年間だ。福井県坂井市出身の北国諒星(本名奥田静夫)さんの歴史探訪「北海道移民史を知る!」(北海道出版企画センター)にこの10年間での県別ランクがある。(155p~156p)(1)富山県 6233人(札幌には立派な富山会館がある)(2)新潟県 5543人 (3)石川県 5043人 (4)青森県 4608人 (5)秋田県 4327人 (6)宮城県 4177人(札幌市白石区は宮城県白石市から移住してきたので命名された。

もともと白石村で村長がいたのだが札幌に合併された.。伊達市があるがここも伊達藩が移住してきたところである。温暖な土地で果樹栽培を始めた)(7)山形県 2921人 (8)福井県 2963人 (9)岩手県 2872人 (10)福島県 2538人 (11)徳島県 1927人(筆者の父方の母は鳴門市で石材店、母親の祖母は徳島市から阿波団体を組織してやってきて仁木町をつくったよさこいソーラン祭りのヒントになった阿波踊りも故郷をしのんで行われていた)(12)岐阜県 1866人(筆者の父方祖父が住んでいたらしいいが、詳しいいきさつは聞いていない)(13)香川県 1331人 (香川出身の社長が札幌に安くて美味しいうどん屋がないと嘆いていたのを思い出す)(14)愛媛県 869人 (15)鳥取県 800人 (16)広島県 751人(札幌近郊の北広島市は広島出身者が移住して開拓。現在、この町の少年野球は広島カープの赤ヘルユニホームを着ている。日ハム新球場はこの町の北広島高校の横に建設中だ。私の子供たちが出た高校だ)(17)兵庫県 750人。(18)高知県 729人 (19)滋賀県 530人。ほかに特徴的なのは、山梨県・三重県・奈良県(十津川村の水害に遭った村民が北海道に移住して新十津川村をつくった)・岡山県・山口県などは、団体移民として移住してきた。人間は移住しても、もとの故郷を忘れない。特に地名については再利用する。

作家・詩人・旅の名人の池澤夏樹さんが書いた「静かな大地」は淡路島から日高にやってきた一族の歴史がアイヌとの友情と苦悩を書いて感動した。いまは徳島県の淡路島であるが、当時、淡路藩と徳島藩は対立激しく、淡路藩は藩主の決断で船で日高にやってきたのである。当時、アイヌから馬の乗り方を教わったことから、日高を馬の産地として考えた主人公。初めは軍馬として繁栄するが、それが後の日高をサラブレッドの町へ押し上げた原動力だ。そういうことも読み取れる本。歴史は深い。ある一人の人の決断で歴史は変わる。北海道はそういう物語にあふれている。

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北海道との物流~北前船~(投稿原稿)

移住者の出身県ランキングを見ると、日本海側、それも福井以北が多いですが、
これは北前船の航路にあったためでしょう。
北前船の起源は江戸時代ではありますが、規模は大きくありませんでした。
大規模になったのは、明治以降、蝦夷地開拓の物資輸送のためです。

北前船の船主は大阪や江州あたりですが、物資は主に関西から、
堅田衆と呼ばれる琵琶湖の湖上運送業者の手で舞鶴などに集荷されました。
馬車輸送はコストがかかりすぎるので、琵琶湖という近畿圏を横断する水路が
あったことが幸いしました。
そこから北前船に積み込まれ、新潟県出身者の船頭が、
途中日本海側の各地に寄港しては積み込んだ貨物で交易を行いながら、
最終的に開拓に必要な物資を積み込んで、蝦夷地に到着しました。
何しろ人を送り込んでも、開墾し畑を耕し、収穫できるようになる数年後まで
ワラ1本も現地調達できないので、衣食住すべて北前船で
何往復もしなければなりませんでした。

北前船で直送していたせいか、北海道には関西に関わるものや習慣が残っています。
古い家に残っている漆器類は、東北に来るにつれて質素なものになりますが、
北海道で豪華な仕様のものになると言われています。
また、桜餅も、東京以北は薄い餅で餡をはさんだタイプですが、
北海道に渡ると関西風の道明寺粉を使ったタイプになります。
忘れてしまいましたが、言葉でも関西語が残っているはずです。

入植者のランキングは、この北前船航路に沿っています。
人口だけ言えば東京、大阪からもっと大勢きていても良いのですが、
やはり目の前で派手なモノと金の動くのを見れば、
一旗揚げようという気になった人も多かったのではないかと思います。

明治の北海道開拓時代まで、日本の表玄関は日本海側で、
しかもこの時代が一番活気に溢れていました。
北前船の船主たちは、後に損保会社各社になりました。
開運と保険会社の関係は、イギリスのロイズと同じです。

追加資料です。北前船は全国に及んでいます。

映画に出るアメリカの家族について

クリント・イーストウッド監督と主演作品「運び屋」を見て、筆者が「この映画、最後は外で遊んで、家族を顧みず生きてきた主人公と娘と妻との和解ですね。」臨終のベッドで妻から「そばにいてくれたらお金なんて要らないわ」とは泣かせると私がメールしたことについて・・・知人から。

アメリカでは家族が最優先、これは実際にそうなかもしれませんが、
家庭崩壊した主人公を、メディアに出さないという清教徒的な圧力も大きいです。

刑事コロンボのシリーズ化前の単発作品では、
ヒーローは、同時に良き父、良き夫でなければならないとする
スポンサー側と監督(確かスピルバーグ)との軋轢がありました。
で、決して登場しないが絶えず話に出てくる「うちのカミさん」という、
コロンボらしい設定が生まれました。

日本でいうと刑事ドラマのボス、丹波哲郎や裕次郎などが、
刑事部屋で、必死に結婚記念日に帰れない言い訳をするようなもので、
絶対にそんなシーンは入れないし、もし入れても
「馬鹿野郎、職場に電話するな!」と、プチDVなシーンになったでしょう。

これがアメリカだと、妻や家族とのやりとりを入れないと
「人間が描かれていない」という理由で、最低評価になります。
シンゴジラが日米で全く逆の評価になったのは、この理由です。

シリアスな事件が展開する中、いきなり夫婦や家族の話題を入れても
観客をしらけさせないというのはなかなか大変で、
シナリオライターの腕の見せ所ですが、これには、
家でむちゃくちゃ美人の妻が待っている、
みるからに愛くるしい子供が出てくる、
さらにはラブシーンになる、という常套手段があります。

これも最近では、ブロンド美女ばかり出すなとか、大変なようです。
そういう切磋琢磨があるので、
アメリカのシナリオライターの腕がよくなるわけです。