自宅でリモート(在宅勤務)はいいけれど

大学にしろ、自宅での勤務もいいけれど、私の知人の68歳の人は戸建てに住んでいたが、首都圏から帰宅した証券会社に勤務の長男が滞在。自宅をwi-fi環境に整備し、日々の証券業務をしているのはいいが、奥様はもっぱら長男のお世話係。知人曰く「なんだか自宅に妻はいてほしくないみたいなんだ」長男はどこか安い部屋でも借りて一人暮らしをしてくれればいいのにと思うが、生活費考えた我が家に帰る選択をした独身者。

大学生もリモートのほうが人間関係のわずらわしさがないから好きという人も多いと聞く。部活動をしなければ理想的な勉学環境かもしれない。生(なま)の人間関係が減っていっていいの?と疑問を呈したいところだが。出会いの不思議さを体験する機会が減るのにもったいないとも思う。そういえば、新型コロナワクチン接種業務をしていたときに、大学生や専門学校生から「市民のお世話係」担当を振り分けられると「嫌です」と言ってずいぶん辞めていったと聞いている。マニュアルどおりの仕事をしたがっていたと。受付・検温・履物装着・誘導・タイムキーパーなどが人気だ。時給が仕事内容にかかわらず一定ならば「楽」を選択するのが人情だ。しかし、その中でも「お世話係」にトライする学生もいた。社交上手な学生たちだ。

サラリーマンの立場に立つと、既婚者で狭い住居空間で子供でもいれば、仕事への集中は大変だと想像する。「たまには公園でも連れて行ってくださいな」「スーパーに〇〇を買ってきて」「自分の部屋くらい掃除機かけて」なんて言われるものなら、早く会社へ出社したい(逃げる場所として会社)、待ち遠しくなること請け合いだ。狩猟民としての男はじっとしておられない動物だから、在宅勤務ならスタバか図書館、近くに実家があるなら、自ら実家へ行って仕事をする選択もありだなと思った次第だ。あくまで私の場合だったらの仮定の話ですが。しかし、大事なのは、そこで何をしているかが肝要で、新しいプロジェクト提案書や企業再建に向けたアイディアでも作っているならともかく、出た数字の整理とか文字校正程度なら、うるさい環境でも我慢したいものだ。11月に入って市立図書館が受験生で混みだしている。パソコンスペースは満杯だ。勉強部屋も開放している。受験生は昔から在館勤務だ。不思議と図書館は勉強できるスペースだ。静けさが命だ。

スタバでも多くのカフェで小型パソコンで仕事をしているOLやビジネスマンも多い。スマホ1本あれば全部仕事はできるよと言うIT関係の人もいる。弁護士もスマホに六法全書がダウンロードされて、さらに全国の事件やその裁判結果が即座に読める。歩きながらでも仕事は簡単にできる日が来ている。娘を見るとスマホ、携帯電話、i-padミニを使い分けている。仕事と子供の学校からの通知、プラーベートと活躍している。逞しく生きていく娘を見ていて、同世代で自宅から出ない娘を抱える家庭も2軒ある。スーパーで会うと恥ずかしがって逃げていく。スーパーに出てくるだけ立派なもんだ。

テレビ局の心臓部見学ほかテレビ談義。

40年前、TVCM出稿を家具屋のオープンで大量に流して、お礼にテレビ局から招待旅行があった。札幌から20人くらいの出席者。横浜VS巨人戦のおまけもついていたが、雨で中止になり、横浜中華街に繰り出した。

スポーツ紙やテレビ局の接待は当時から派手で、特に民放テレビ・ラジオは広告代理店のお蔭で経営が成り立っているといってもいい。地方のテレビ局の60%を超える収入はキー局からのCM料が流れてくる。したがって、キー局から地方の系列のテレビ局へ社長として赴任するケースも多い。しかし、それに抵抗する地元勢力、また保身のために地元局勤務ながら裏切る勢力など派閥抗争も凄まじい。ヤクザの世界に知恵と陰謀を加えた抗争だ。怪文書も飛び回る。何度も聞いた話だ。

これに系列の新聞社も加わると、私から見ると陣取り合戦のゲームの世界だ。市内の中小企業の待遇からみたら高い給与をもらって、日々贅沢な暮らしをしているし、交際費もふんだんに使えるのに、次は権力を欲しがるいつものパターンだ。丸投げ仕事をする幹部が異常に多いのも特徴だ。一度アンコの甘みを知ると逃れられない筆者のように(オハギ・団子・たい焼き見ると手が出る)『相手を思うとおりに動かす快感』は麻薬の常習と同じ。麻薬は金を費消し、カラダボロボロから見ると一瞬(ここがミソ)の天国(万能感)を味わえる。テレビ局の社章やロゴ入り紙袋も彼らのステータスを世の中に誇示する。

権力はこれにお金と名誉と周りのゴマスリ坊主もおまけについてくる。

話を戻せば、東京キー局の見学会で日本中に映像が流される部屋に入って説明を受けた。大きなテレビ受像機画面がたくさんあって、技術者がタバコを吸いながら黙って画面を見つめている。手前に映画館で使うフィルムを入れた金属に覆われたテープがゴロンゴロンと並べられ、1本の番組が終われば、次のテープが転がされて放送スタンバイだ。こんな小さな部屋から録画された番組が流されて、画面の向こうで国民がテレビを見ていると思うと、なんだか情けなくなってきた。大宅荘一がテレビ出現を見て『一億総白痴化』すると言った意味が腑に落ちた瞬間だった。いかようにも国民をコントロールできるなと思った。革命や新権力は必ず最初、テレビ局を占拠する。

アナログの時代だから録画テープも巨大だったが、いまは地デジ。コンパクトな映像記録メディアで流されてるかもしれない。これは暴力に近い何かを私は感じていた。関係者には日常であってもこの場所は、人を生意気にする、睥睨する、視聴者を見下すメンタリティーを作りやすい場所だと思った。テレビ局は選挙放送時には、いかにも多忙な報道部のデスクを視聴者に見せるのが好きだ。しかし、裏の心臓部で無表情に実際に流す現場の虚無さといったら。

最近は、写される映像はほとんど外注の制作会社だ。サジ加減で発注金額を下げたり、キックバックを要請するテレビ局員も多い。NHKでも最近、そんな事件が起きた。発注者は権力を持つのだ。博奕・女・酒が嵩じて退職していった男は数知れず。最初はいろいろな能力があるだろう人々がコネであっても入社してきて、日々の仕事つまらなさに、そっちの道へ走っていく。若いときから接待のゴルフだけは上達が早い彼等だ。ゴルフ談義が止まらない人々。派手なアナウンサーやディレクターではない地味な地味な毎日画像を流す人たちを知って、自分が中学時代、放送部で毎朝クラシックのLPレコードをかけていた頃を思い出していた。

悩むお墓の場所。

私が45歳のとき父が急死したため、お経を頼むのに近所の東本願寺へ電話した。お経をあげてもいいが檀家になることが条件だと言われた。慌てていた私なので、この際、どんな宗派でもいいわと檀家に入った。あとで調べると父方は違う宗派であった。さらに家紋まで間違ってしまった。お墓は私の住む市営墓地を1区画買っておくよう父から言われたが、そのときは生活が手一杯で墓地購入は後回し。そして父が急死だ。次男なのでお墓がなくて、納骨堂を購入した。全部で6体入れられる。母も死んで納骨堂に入れたまではいいが、そこの住職から檀家なのに仏具磨きに来ない、熱心さが足りないなど皮肉を言われ、本堂を耐震リフォームするため2億円かかり檀家399戸で1戸最低40万円×口数の寄附依頼があったり、うんざりな寺なので縁切りしたくなった。自分たちはこの寺には入らない決意をしたが、はて、私の骨はどこへ置いたらいいのか迷っている。埼玉の友人は「近所のお寺にプレートで名前を出す樹木葬があったので2区画を購入した」と安心した顔で言っていた。自分の住む恵庭市にも市民たちが入る集団の墓地があるが、格安ではあるが、大きな穴に骨だけをボンボン入れて、俗名を掘るプレートもなく、なんだか寂しいなあと思って、自然葬を行うNPO法人から資料を取り寄せたが、海に捨てるにも漁民に迷惑をかけるし、樹木葬にしても近所の農家からクレームや裁判沙汰になってるケースもあるから諦めた。墓にお金を使いたくないしなあ。川崎の兄は「おれは北海道の墓や納骨堂には入らない」ので、私ら夫婦だけの問題だ。そんなとき、偶然、11月21日の真駒内滝野霊園の頭大仏を見学に行ったら、大仏の横に7年間預かってくれる納骨堂があり、1体30万円であとはお金はかからず、7年を過ぎると霊園の中にあるストーンヘンジに俗名が刻まれて残る。娘と相談すると「それいいよ、ナイスアイディア」と大賛成。お墓に行く途中、芸術の森はあるし、滝野すずらん丘陵もあっていいドライブになる。資料を取り寄せ、前向きに検討するが、そうした場合、さて両親の骨は今後どうしたらいいか。納骨堂から出して同じ頭大仏の納骨堂に移すのがベストだと思うが、それしかないか。親子ばらばらでもいいのかもしれない。埼玉の友人は両親は札幌で別々で構わないのではと言うが・・・・。