舛添知事報道で笑ってる人たち

権力は、大昔からエスケープゴードを必要とする。外交でも内政の経済で失敗したら、周りの国のせいにしたり、関心を自分たちに来ないように策動する。


だから、舛添問題の前後で起きた事案を点検してみると、政治がメディアをどう動かしているか、官僚や官邸がどう価値判断をしているかわかるというものだ。


一つは東京オリンピック誘致にからむフランスのオリンピック委員会が2億円余り(一説には20億円)の賄賂を電通とJOCの竹田会長絡みでタイの企業経由(現在当該企業は消滅させた)で渡して「東京へ投票するように」依頼した事実。東京オリンピック取り消しもあり得る話題だ。当然、森善朗も知っている。インチキ選挙をしたのであるから。


隣近所のおばさんも「もうオリンピックしなくてもいいわね」と3人聞いたら3人とも同じ返事。「税金の無駄使いだ」と。なぜ、それがメディアを含めて報道しないのだろうか? TVCM料金で稼ぐイベントだからか。正論を日常の言葉で、喋る人が超少なくなった。「決まったことは仕方がない」「戦争前もそういう言論でずるずる、戦費を使って行ったのに似ている」。退却が下手な国である。


第二は「パナマ文書」だ。いまリストが国際的なジャーナリスト協議会で解明されているが、日本の富裕層、企業は会計事務所や投資会社を通じてペーパーカンパニーを作り、できるだけ日本国へ税金を払わないよう周到な準備をしていた実態。国内で儲けたお金は税金として国内へ返すのが基本中の基本。グローバル経済に名を借りた常軌を失った企業群の解明。日本の大手の新興宗教や財務省の現役役人の名前もあるるから、蓋をしたくてしょうがない。


三つ目は、甘利大臣とUR都市機構との癒着解明。そして日銀黒田総裁の金融政策の失敗。パナマ文書は具体的な企業名が出てきているわけだからどんどん公表して、その言い訳を広報部がアナウンスすればいい。IOCは電通本社へ乗り込むといい。書類は残さず、シュレッダーで断裁されていると思うけど。長野オリンピック誘致は西武の堤会長がJOC役員で、これも金銭疑惑誘致であったが、当時の長野県知事が書類を焼却処分。報道機関は追及しない。オリンピックの場合、広告料が新聞・テレビ局にCM代として電通から入るので深く追求しないことになってるらしい。同じ穴のムジナである。


昔の「噂の真相」が懐かしい。タブーに切り込む、庶民の代弁、報道の「月光仮面」だ。いずれ、舛添氏は反逆に出ると書かれているが、都知事選挙で使われる税金を考えるといい加減、静かにしてほしいものである。

終生、結婚に希望を持って!(ある夫婦の例)。

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63歳8カ月で現役を引退して、ご近所の定年されたご主人方と立ち話をする機会が増えたが、あんまり面白くない。私の会話が下手なのか、対等になりにくい。どこか無理をして会話をしているんだ。バラを100本飼育してる人は、70歳の元官僚ゆえ、上から目線で年下の私に薔薇講釈を始めたり、海外旅行の楽しさ話に入る。私はパニック障害で飛行機ダメなの知ってるのに。20本の薔薇の維持でフーフーしてる私のレベルではない。


職人上がりの同じ歳の人は釣り好きで、毎日、大工仕事と家の周りの草取り、ペンキ塗りをしている。が、職人気質故、頑固っぽい。


そこに現れたのが、札幌の時計台付近で喫茶店「北地蔵」(全国的にも有名で現在閉店)のマスターが、近所に家を建てて住んでいた。30年間、デートや打ち合わせ、休憩で使っていた上品な喫茶店だった。雑誌記者や新聞記者もここで原稿を書いていた。自宅前の道路を歩いていて、「おやっ、どこかで、そうそう北地蔵でコーヒーを落としてくれたマスターだ」ということで無理のない付き合いが始まった。


彼らは知り合いのいない団地に越してきたので、私たちとの付き合いが、何かほっとさせるようで嬉しそうな顔をしてくれる。独身時代の妻も勤め帰りに友人たちとお喋りに講じていた喫茶店。「北地蔵」と言えば「ああわかったあそこね」で話もカンタン。夫婦して青春時代の思い出が想起される。お客商売をしていて寡黙なたんたんとしたマスターだ。近所の手打ちそばやへ行くと会ったり、「行くところが一緒だね」。図書館でも会う。価値観がどこか似ているんだ。難病を持っていて、50歳を過ぎてずっと独身だったが、同郷の人と縁あって結婚。「まさか結婚できるとは思わなかった」と本人。50歳を過ぎての静かな初婚もいいなあと思った。


いま現在、独身の30代・40代・50代の人たち、穏やかな結婚、子供も無理して作らず、楽しみは夫婦でのツア旅行。「今度、どこへ行こうか」と相談するのが楽しいと。いつまでも希望は捨てないで。向こうからやってきます。もうひとりは、出雲の神主。以前は広告代理店にいたのに、スーツから神官服に着替えて地鎮祭や街角占い師に占講義をする先生になったから面白い。


彼の説では「占い」は学問。殷や周からありますからね。彼は私の不信心な態度を見て「縁がないね、あなたは」。彼に「神を信じているの?」と質問。「信じないでこの神社を守れますか」。毎日、掃除をしているので「どうして?」と聞くと、「神様は綺麗なところを好まれる」と。私の部屋には神は来ない。縁結びの神社だから、全道から多くの女性が来る。地元の人より、札幌から多い。観光を兼ねて東京から一人旅の女性も来る。


きょうのブログは幾つになっても結婚はあきらめないこと、ゆったりつながるご近所さんがいいねというお話でした。

イソップ物語(捕虜になったラッパ吹き)

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久しぶりのイソップ物語です。岩波少年文庫「イゾップ物語」


軍隊の集合ラッパを吹いていたラッパ吹きが、敵につかまえられてこうさけびました。「みなさん、考えもなしにわたしを殺さないでください。わたしは、あなたがたをひとりだって殺していません。このラッパのほかは、なに一つ持っていないのです。」すると敵は、ラッパ吹きに言いました。「おまえは、じぶんでは戦争ができないのに、みんなを戦争にかりたてるから、よけい、殺されるのはあたりまえだ。」(河野与一訳 114p)


イソップは紀元前6世紀ころいた人(架空の人間だという学者もいる)らしいので、この物語の意味するところは深くて、普遍的な気もする。筆者は小さなころから集団で行動するのが苦手であった。幼稚園もルーテル教会でお昼ご飯のお祈りを皆でするのが嫌で退園した。行進も嫌だった。「右向け右」という、軍隊的な号令をかける人間(教師やクラスの委員が多い)のあの威張った表情は吐き気がした。3歳や4歳は行方不明になっていたらしい。ほとんど近所の映画館の真鍮の手すりに掴まって映画のカット写真を見ていたらしい。いまも落ち着きのない多動症の性格は、もう幼少期に植え付けられている。と、居直る私である。


イソップの話に戻ると、新約聖書の最終章「ヨハネの黙示録」も7人の天使のラッパが出てくる。ヨハネ黙示録の完成がAD69年~同96年と言われている。ローマ帝国を扱った映画でもギリシャ神話を扱った映画でもラッパはよく使われていたからポピュラーな楽器だった。喇叭(らっぱ)と漢字で書く。


そこで、このイソップ物語のラッパ吹きだけど、現代、このラッパ吹きは誰だろうと想像しながら読んでいる人も多いと思うが、私は言葉を話すすべての人がラッパ吹きに成り得ると思う。表現手段(スマホ・携帯・パソコン・テレビ出演・政治・立法できる立場に立つ人など)を持っている人はそれを活用して「他人を動かす、他人の頭脳に観念を吹き込む、他人に影響を与える」生き方が選択されていて、自分自身を第三者的な視点で見直す作業をしないと、たぶんどこまでも流されることになると思う。


そうならないために必要なことは、自然と相対時する時間を増やして、できるだけ「意識」や「言葉」の世界を離れることかもしれない。


地球上に繁茂したラッパ吹き、独裁者からマスコミまで。声の大きい人が勝つ世の中になってしまったものであるが、真実は声低く語られる(林達夫)。東京オリンピックも必要ないと思うし、もうあちこちの都市でオリンピック開催は止めた方がいい。近所の奥さん方3人に聞いたら、全員「必要ない」です。そういう声は届かないか。ニュースはすべてオリンピックありきで報道されて、どの局も「返上を考えてもいいのでは」と発言しない。たぶん私同様、都民でも「オリンピック反対」「なぜ国立競技場を壊してしまったのか。もったいない」と思ってる人は多いと思う。先日、気味悪いオリンピックロゴがキッコーマン醤油のカラー全面広告に掲載されていた。食品の広告には合わない。