浅井さんへの手紙

浅井さんへ

7月25日なのに寒い北海道です。深川あたりで大雨で水田が冠水、ことしのお米はどうでしょうか。心配です。

 

以前、たまたま見かけた朝日の書評を切り取ってました。

『神々のささやく世界 オリエントの文明』という本

にこんな文章がありました。

 

古代エジプト以前のシュメール王ギルガメシュについて

 

『古代の人々は私たちよりもはるかに神を身近に感じていたと

思う。だからこそ、神の声が聞こえ、それが記録にも残された。

しかし、紀元前1000年紀になると、なぜか神の声が届かなくなる。

その沈黙が、一神教を生み出してゆくのだと思います』

 

東大名誉教授 木村凌二さんが日本人であるがゆえに見える視点かも

と思いました。1994年サントリー学芸賞を撮った作品。

 

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も基盤とする一神教の神がなぜ生まれたのか?

20代のころから瀬戸が挑んだテーマでした。16世紀の宗教戦争関連本を哲学で

勉強していましたから。1神教の嘘の世界で膨大な流血が起きました。

 

最近、身近な庭に来るスズメたちを6年ばかり見ていると彼らの声(早くくず米を

置いて、いつもありがとうと10羽以上、電線に並んでこちらに挨拶をしているよう

に感じます。)

 

歳をとったせいですね。庭の花たちも枯れた花を切り取ってやると蕾たちは喜んで

いるように感じます。

 

植物も動物も感情がある・・・そんな気がしますよ。それが神の声のように感じる私です。

 

ある病院で、看護師の対応。

筆者は2か月に一度、心臓の薬をもらいに主治医のいる病院へ問診をしてもらい薬をもらうことにしている。今月もいつものように訪れ、名前の呼ばれるのを待っていると、左胸を抑えている私と同年齢のおじさんがいた。ほとんど予約患者で埋まっているので、臨時で飛び込んでくる患者に、看護師は『どういたしました?』と患者の横に座り、簡単な問診を始める。『胸が痛くて』『どんな感じで?1日に何回くらい?』『一日に3回くらい、ちくちくするのです』『筋肉痛の可能性がありますが、あいにく形成の担当の医師がきょうは不在で、予約をしていかれてはどうでしょうか?』と診断している。

何があったのか不機嫌な看護師で、筆者は医者にも見せず、ここであなたが診断してどうするのだ、万が一心筋梗塞だとしたら大変ですよと思ったが、患者は断定的な看護師の迫力に押されて、うなづいて、新患の順番を静かに待つことにした。看護師が帰った後、まだ痛そうに左の心臓部分をこすっていたので、私の順番が近づいていたから彼に譲るべきだったかもしれないと後で後悔した。私の判断ミスだった。

札幌周辺の基幹病院も看護師の質、職員の質の低下は否めない。妻が肺炎で入院した時も、点滴の場所を決める注射の下手さで1か月、台座の青あざが取れなかった。もともと循環器の医師が優れていて、カテーテルの件数なら多く、いい病院で医師も充実していたが、創設した院長の病気で脳外科と循環器の副院長の選挙となって循環器が負けて、外に出ることになり、病院の体質が変わってしまった。評判のいい循環器の女医さんは院長と大喧嘩していなくなった。「どこへ行ったの?」と聞いても医師も事務員も緘口令を引かれている誰も答えれず恐怖政治が敷かれている。

医療の世界の後進性は明治のころから変わらず、ロボットのダヴィンチを使おうが、PET使おうが、見るのは・判断するのは人であるから、患者の声や振る舞いや患者の暮らしの背景を丁寧に聞き出さないといけない。そういう意味で、医師の役割にまで口を出す看護士の出現にはびっくりした。そういえば、調剤薬局で、薬剤師に延々とおしゃべりするおばあさんやおじいさんが多い。おしゃべりをしたいのである。自分のことを心配してほしいのである。

はじめに出した心臓を押さえた患者に対応した看護士がもっと患者に寄り添う人だったら「心筋梗塞の疑いを持つはず」。最初に見立てをする人が誰であるかで、健康や命の不安が左右される。ここにロボット君が欲しいところだ。

トイレの話。

食についてはあれこれ書いてきた筆者だが、食べたら出す(出る)話を書いていないことに気づいた。たまたま『トイレ』(ミネルヴァ書房)というそのままズバリの本を見つけた。トイレ掃除たけなわの年末でもあるし。

スウィフトの本に裏切り者は緑色の便をするので、それを確かめに家来が王様の命で便色を調べる話とか、フランス文学者渡辺一夫さんの本に超美人でクラクラする女性を見たら、バランスを取るために彼女のトイレでのポーズを思い浮かべるといいとか、中村浩『糞尿博士世界漫遊記』(教養文庫)で尿を飲み水に変える研究をしていて、ソ連(現ロシア)で宇宙開発の関係者を前にした講演で、突然、自分の尿を出して水に変えてそれを飲んで、会場を唖然とさせたと。

誰しも実は糞尿に関しては、男女に関わらず失敗談含めていろいろなエピソードを持っている。その発表の機会がないだけだ。居酒屋で話されてるとは思うが、話せば『おいおい、食べているときに汚い話はよしてくれ、悪趣味だ』と嫌われる。子供は尿や便の話が大好きだから(おならの話も)、いつのまにかし尿・便の文化は入試試験問題からも遠ざけられてしまった。大事だと思うけど。

『トイレ』の本に戻れば、副題が排泄の空間から見る日本の文化と歴史。書き手がし尿・下水研究会だ。1998年に立ち上げた組織。会員は約20名。し尿・トイレ・下水道関係者が多い。『日ごろ、何となく口にするのがはばかれる話を、話題にしにくい話を幅広く情報交換する場をつくった』わけだ。古代、人間はどこでどういうポーズや環境で排泄をしていたのか?世界史の教科書には書いていない。日常の暮らしが書いていないのである。食べていないと生きられない生物としての人間だから必ず排泄をしているはず。

糞石(福井鳥浜貝塚)

古代人は川を利用して排泄していた。天然の水洗トイレである。日本では縄文時代の貝塚やゴミ貯めから石化した便が見つかっている。糞石と言う。しかし、自然の中におおらかに男女とも大小便をしていたと思えば間違いないし、それが天然の肥料にもなっていた。川ヘリに突き出すように作られたトイレは世界じゅうで見られる。

私の義姉が万里の長城を見に行ったが『もう中国へは行かない』と言う。『どうして?』『トイレが丸見えところでするので嫌だ』と。水洗トイレに慣れている者から排泄に行くときに感じる違和感は大きい。水に流すトイレットぺーパーも使える国は少ないそうだ。ヨーロッパも下水道が作られる前は、自宅にある容器にし尿を入れて窓から『ご注意!』と叫んでざっと道路へ捨てていた。どれだけ匂う町であったろうかと想像する。ベルサイユの庭もあちこちで淑女がスカートを上げて何をしていたと思うと興ざめる。

一番、上の図は、江戸時代のし尿のリサイクル図であり、無駄の無い環境の江戸を示している。江戸の長屋20人の借家人が住んでいれば、1年でし尿を売り1両以上の収入がある。一人前の大工の1か月分の収入に匹敵する。2回目は厠(かわや)について書きま