電気ストーブと扇風機が寝室で同居ほか雑談。

寒い夜は電気ストーブを約30分(これ以上だと電気代が高くなる)、暑くて湿度が高いと扇風機を回して寝ているから、体調がおかしい。寒気がしたり、微熱を帯びたり、仕事の忙しさもあって、我慢力や忍耐、頭の切り替えに苦労をしている。読書も長い時間読める本は限られて軽い本が多いからブログのテーマになかなか至らない。カミュの『戒厳令』というペストを扱った戯曲を読もうとしているが完読の自信がない。筆者のブログ『検索』で(ペストの歴史)またはデフォー(ペスト)を見ると長々とペストについて書かれてあるから興味のある方は読んでほしい。

8月22日は一転、熱風が襲い30度近くまで上昇。近所の内科は喉をやられている患者が多数(私もそのひとり)。このいがらっぽさは、熱風が南方から微量な砂を運んできたのか?私も昨日から軽い咳。会社が23日、隣の部屋へ引っ越すので、かび臭い文書や古いオーディオ機器を捨ててゴミを吸ったのかもしれない。近所の道の駅には全国各地からキャンピングカーが止まっている。ゴミ捨て場所と健康に留意されて旅をしてください。

暑さと寒さのまだら模様の天気と長雨と安定しない。140%の食糧自給率の北海道も自然の天気に従うしかない。海産物・農産物・酪農とバランスよく獲れる島は北海道が世界一の島かもしれない。最近は水資源をねらって中国人が森を買っている。きれいな水が草を生やして、土に入り、美味しい食べ物を育む。食べ物が美味しいのはそこの水があってこそである。ペットボトルの水を飲まなくても北海道全体は水道水で十分に美味しい。環境に恵まれ過ぎて、足元の水や土や樹木に感謝が足りない気もする。たった一度だけ行ったロサンゼルスの赤茶けた大地と人工的にコロラド山脈から水を引いて芝生を潤すスプリンクラー。この都市を維持するために必要な膨大なインフラと水道管。メキシコから略奪したカリフォルニア。旅の間も飲料水は必携で、それもそのはず、真っ青な空。雨が降る気配もない。2日間滞在して、雲や雨が恋しくなった。

ハリボテの都市に見えるロサンゼルス。嘘くささを感じる街でもある。ユニバーサルスタジオにも行ったが、『ウォーターワールド』のセット作りこみを見に裏側の大工仕事を見に行くと、板でバンバン打ち込んだだけのお粗末そのもの。表から見てお客が喜べばOKみたいな感覚を感じた筆者である。すべてがショーなのかもしれない。どこに住んでいようと、暑くても寒くても、何とか生きられる自然の中ならいいではないかという結論になりそうだ。

思考の惰性・言語の惰性。

自分も含めて(思考回路)や(言葉遣い)を変更することは至難の業かもしれない。ある本を読んでいて、自分の大脳をぐりぐりさせる本に出会うと嬉しいのも、これまでの自分の思考回路に横槍を入れてくれたり、当たり前と思っていたことに(意義アリ)という文章に出会うのも本の楽しみである。どうして惰性的な思考回路ができるのか?「○○は何々だ」という小さなころからの親や教師や友達や好きな映像や本の中で流し込まれて、実際、その思考で行為をすると成功体験(周りがうなづく、褒められる)が重なって、それを疑うというメタ思考へジャンプできなくなる。

たとえば、生物学の本の中に『獲得形質は遺伝しない』という命題があるとする。受験勉強ではこれでいいらしい(最近の中高の生物学はどうなのか知らないが)、しかし『獲得形質は遺伝する』という文章に何度も出会うと、これまでの知識が覆されて軽いショックを受ける。そうなると、父親や母親も毎日の生き方や人生観も、少しましな選択をしていくかもしれない。育つ環境が子供に影響を与えるだけでなく、遺伝子の中で『忍耐』遺伝子、『寛容』遺伝子などが親から伝わると考えると、親自身が忍耐強く、他人に寛容に生きる選択が生まれてくる子供たちに、次世代に手渡す価値になると思うとどうだろうか?

『突然変異は遺伝する』がこれまでの生物学の王道を歩いてきたのに、なぜ、何がこういう思想を生んだのだろうか?獲得された形質がすべて遺伝の対象になるのかどうか?訓練で足が速くなる、鉄棒がうまくなる、プラモデルつくりが上手で細かい作業が好きだ、三国志が好きで誰よりも詳しく物語れる、車の安全運転ならだれにも負けない。こういう資質にはすでに自分の親や先祖の遺伝子が入っているのか(運動能力が高い人が先祖にいる、こつこつ職人仕事が好きな先祖もいるなど)?惰性の思考と惰性の言語にだけ安楽に寄りかかると、居心地の良さに思考は老けるだけ、月並みな言葉で終始する毎日になる。

そういえば、ある人が通勤するにしても、駅に行くのに、同じ道を通らないで別な道を通り、景色を変えると良いと言っていた。会う人も価値観の違う人に出会うとベターだというのもその類だ。五感の刺激を新鮮にできる日常の工夫であり、なぜそれが必要なのかは、『惰性の力』『月並みな力』『自分で考えない既成観念』に寄りかかる楽を選択してしまいがちな人の性を、ちょっと変えようという提案でもある。そして道を変えて歩くと思わぬ人に出会うことも多い。それが次の自分の人生を変えることになるかもしれない。小さな自分の意志的決断を積み重ねると面白い人生で終われるかもしれない。皆が同じ道を歩まないで、迷惑をかけないで違う道を選ぶ人が増えれば、多様性や工夫力、生きやすい社会に近づくかもしれない。

10年後に潰れた瓦屋さん、そして類例。

30年以上前に500年に一度(?)という石狩川の大氾濫があって、両親の住む家が床上1メートルの水害に見舞われたことがある。水の引いた後、1階の和室の水分をたっぷり含んだ畳をはがしに知人を連れて行った。父が『畳が高くて叶わない』とこぼしていた。市内のどの畳屋に電話しても普段の倍はするというのだ。

同じような話に釧路沖で地震が発生したときに、深海に住む高価なキンキが浮上して大量に採れたことがった。しかし、市場にはいつもの値段で利益が減らぬよう調整、キンキは冷凍保存されて大儲けしているという噂が出たことがある。

九州の話に飛んでしまうが、台風による暴風雨で瓦が飛んで、瓦屋に仕事が大量に舞い込んだときに値段を大幅に釣り上げた瓦屋は10年後にすべて倒産したという。『日本昔はなし』のような出来過ぎた教訓談だが、あながち嘘とは思えぬ市民の知恵というか良識、バランス感覚が働いているような気もするのだ。

インターネットがまだ普及していないときに、噂や電話で、正直者が馬鹿を見ないような働きがあったのか定かではないが、「悪い噂は千里を走る」例で、火事場泥棒的な儲けは慎みたいものである。最近、全国の暴力団の抗争が減っていると思わないだろうか?経済的に安定した産業(?)になって、潤ってるから抗争しても無駄。福島第一原発の労働者として、税金が人件費として何次の下請け企業かわからないが、抜かれているという話だ。暴力団が別法人を作って表向きはカタギ、しかし実態は暴力団の傘下に入れば、税金は自然にそちらに還流する。

派遣会社もいまは雨後の筍のように増えてわが世の春を謳歌しているが、いずれこの時代も終わると思う。なぜなら働き手の絶対人数が減ればアルバイトにしろ派遣しろ、よりいい条件(正社員)で雇用しないと人は来なくなる。兵庫県灘区にある山口組はもともと神戸港の荷受の労働者派遣からはじまって巨万の富を築いた。派遣企業の性格は一流ビルに入居する暴力団と変わらない。共通語彙は《いかにたくさんお金を抜くか》でしかない。

私のよく借りる図書館も職員が館長を除いて外部の会社へ委託である。委託会社を調べると本屋や取次会社が資本を出して、図書館運営の経費節約を市に提案して、ちゃっかり税金を抜いて稼いでいる。『派遣会社』と利益構造は同じである。職員に『ボーナスは出たの?』と聞くと『出ません』と答える。誰かの犠牲で成り立つ経営はいずれそのそのツケを払う日が来るだろうと思う。職員は市民でもあるから、一消費者でもある。そして若い。明るい未来を作る動機づけに、そういう職格でいいわけがない。これから市を支えるのはこうした若い人なのだ。ズルをしないで真っ当な市の運営をしてほしい。経費節約なら市議会議員を減らすところから手をつけてはどうだろうか?